古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
第3章 再生 ――生まれ変わり――

 再生に関するシルバー・バーチの回答 C

 死後、霊界に行ってから地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してからまた同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのですか。
シルバー・バーチ
 償うとか罰するとかの問題ではなくて、要は進化の問題です。つまり学ぶべき教訓が残されているということであり、魂の教育と向上という一連の鎖の欠けている部分を補うということです。生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとはかぎりません。欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながらそれを果たせなかったことをもう一度学びに行くという場合もあります。罪の償いとばかり考えてはいけません。ましてや二度も罰せられるということは決してありません。神の摂理を知れば、その完璧さに驚かされるはずです。決して片手落ちということがないのです。完璧なのです。神そのものが完全だからです。


 自分は地上生活を何回経験している、ということをはっきりと知っている霊がいますか。
シルバー・バーチ
 います。それがわかるようになる段階まで成長すれば自然にわかるようになります。光に耐えられるようになるまでは光を見ることができないのと同じです。名前をいくつか挙げても結構ですが、それでは何の証拠にもなりますまい。何度も言ってきましたように、再生の事実は“説く”だけで十分なはずです。私は神の摂理について私なりに理解した事実を述べているだけです。知っている通りを述べているのです。私の言うことに得心がいかない人がいても、それはいっこうにかまいません。私はあるがままの事実を述べているだけですから。人が受け入れないからといって、別にかまいません。私と同じだけの年数を生きられたら、その人もきっと考えが変わることでしょう。


 再生問題は問題が多いから、それを避けて、死後の存続ということだけに関心の的をしぼるという考えは如何でしょう。
シルバー・バーチ
 暗やみにいるより明るいところにいる方がいいでしょう。少しでも多く法則を知った方が知らないよりはましでしょう。人間が神の分霊であり、それ故に死後も生き続けるという事実は、真理探求の終着駅ではありません。そこから本格的探求が始まるのです。


 新しい霊魂はどこから来るのですか。
シルバー・バーチ
 その質問は表現の仕方に問題があります。霊魂はどこから来るというものではありません。霊としてはずっと存在していたし、これからも永遠に存在します。生命の根源であり、生命力そのものであり、神そのものなのです。聖書でも「神は霊なり」と言っております。ですからその質問を、個性を与えた霊魂はどこから来るのか、という意味に解釈するならば、それは受胎の瞬間に神の分霊が地上で個体としての表現を開始するのだ、とお答えしましょう。


 ということは、われわれは神という全体の一部だということですか。
シルバー・バーチ
 その通りです。だからこそあなた方は常に神とつながっていると言えるのです。あなたという存在は決して切り捨てられることはあり得ないし、消されることもあり得ないし、破門されるなどということもあり得ません。生命の根源である神とは切ろうにも切れない、絶対的な関係にあります。


 でも、それ以前にも個体としての生活はあったのでしょう。
シルバー・バーチ
 これまた用語の意味がやっかいです。あなたのおっしゃるのは受胎の瞬間から表現を開始した霊魂はそれ以前にも個体としての生活があったのではないか、という意味でしょうか。その意味でしたら、それはよくあることです。但し、それはいま地上で表現し始めた個性と同じではありません。霊は無限です。無限を理解するには大変な時間を要します。


 再生するに際して過ちのないように指導監督する官庁のようなものが存在するのでしょうか。
シルバー・バーチ
 こうした問題はすべて自然法則の働きによって解決されます。再生すべき人は自分でそう決心するのです。つまり意識が拡大し、こんど再生したらこれだけの生長が得られるということがわかるようになり、それで再生を決意するのです。再生専門の機関や霊団がいるわけではありません。すべて魂自身が決めるのです。


 再生するごとに進歩するのでしょうか。時には登りかけていた階段を踏みはずして一番下まで落ちるというようなこともあるのでしょうか。
シルバー・バーチ
 すべての生命、とくに霊的な生命に関するかぎり、常に進歩的です。今は根源的な霊性についてのみ述べています。それがいちばん大切だからです。いったん神の摂理に関する知識を獲得したら、それを実践するごとに霊性が生長し、進歩します。進歩は永遠に続きます。なぜなら、完全なる霊性を成就するには永遠の時間を要するからです。


 先天性心臓疾患の子や知能障害児は地上生活を送っても何の教訓も得られないのではないかと言う人がいます。私たちスピリチュアリストはこうした難しいことは神を信じて、いずれは真相を理解する時が来ると信じているわけですが、疑い深い人間を説得するいい方法はないものでしょうか。
シルバー・バーチ
 疑い深い人間につける薬はありません。何でも疑ってかかる人は自分で納得がいくまで疑ってかかればよろしい。納得がいけばその時はじめて疑いが消えるでしょう。私は神学者ではありません。宗教論争をやって勝った負けたと言い争っている御仁とは違います。すべては悟りの問題です。悟りが開ければ、生命の神秘の理解がいきます。もっとも、全てを悟ることは出来ません。全てを悟れるほどの人なら、地上には来ないでしょう。地上は学校と同じです。少しずつ勉強し、知識を身につけていくうちに、徐々に霊性が目覚めていきます。すると更に次の段階の真理を理解する力がつくわけです。それが人生の究極の目的なのです。激論し合ったり、論争を求められたりするのは私はごめんこうむります。私はただこれまで自分が知り得たかぎりの真理を説いて教えてさしあげるだけです。お聞きになられてそれはちょっと信じられないとおっしゃれば、「そうですか。それは残念ですね」と申し上げるほかはありません。
 
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