古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
第4章 苦しみと悲しみと ― 魂の試練 ―

 シルバー・バーチとの一問一答 @

 もう一度やり直すチャンスは全ての人間に与えられるのでしょうか。
シルバー・バーチ
 もちろんですとも。やり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。墓に埋められて万事が終わるとしたら、この世は正に不公平だらけで、生きてきた不満の多い人生の埋め合わせもやり直しも出来ないことになります。私どもが地上の人々にもたらすことの出来る最高の霊的知識は、人生は死でもって終了するのではないということ、従って苦しい人生を送った大も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことが出来るということ、言いかえれば悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で人は内蔵している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスを与えられ、同時に又、愚かにも神の法則を無視し、人の迷惑も考えずに横柄に生きた人間は、その悪業の償いをするためのチャンスが与えられます。
 神の公正は完全です。騙すことも、ごまかすことも出来ません。すべては神の眼下にあるのです。神は全てをお見通しです。そうと知れば、真面目に正直に生きている人間が何を恐れることがありましょう。恐れることを必要とするのは利己主義者だけです。


 祈りに効果があるのでしょうか。
シルバー・バーチ
 本当の祈りと御利益信心との違いを述べれば、祈りが本来いかにあるべきかがおわかりになると思います。御利益信心は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶわけにはいきません。ああしてほしい、こうしてほしい。カネが欲しい、家が欲しい――こうした物的欲望には霊界の神霊はまるで関心がありません。そんな要求を聞いてあげても、当人の霊性の開発、精神的成長にとって何のプラスにもならないからです。一方、魂のやむにやまれぬ叫び、霊的活動としての祈り、暗闇に光を求める必死の祈り、万物の背後に控える霊性との融合を求める祈り、そうした祈りもあります。こうした祈りには魂の内省があります。つまり自己の不完全さと欠点を意識するが故に、必死に父なる神の加護を求めます。それが本能的に魂の潜在エネルギーを湧出させます。それが真の祈りなのです。その時の魂の状態そのものがすでに神の救いの手を受け入れる態勢となっているのです。ただ、これまでも何度か言ったことがありますが、そうした祈りを敢えて無視してその状態のまま放っておくことが、その祈りに対する最高の回答である場合がよくあります。こちらからあれこれ手段を講じることが却って当人にとってプラスにならないという判断があるのです。しかし魂の心底からの欲求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める魂の願望は、自動的に満たされるものです。つまりその願望が霊的に一種のバイブレーションを引き起こし、そのバイブレーションによって当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引き寄せられます。危険の中にあっての祈りであれば保護するためのエネルギーが引き寄せられ、同時に、救急のための霊団が派遣されます。それは血縁関係によってつながっている霊もおれば、愛によってつながっている類魂もおります。そうした霊たちはみな自分もそうして救ってもらったことがあるので、その要領を心得ております。

 いたいけない子供が不治の病で苦しむのはどうしてでしょう。神は本当に公正なのでしょうか。
シルバー・バーチ
 霊的な問題を物的尺度で解こうとしても所詮ムリです。ホンの束の間の人生体験で永遠を推し量ることは出来ません。測り知れない法則によって支配されている神の公正を地上生活という小さな小さな体験でもって理解することは絶対にできません。小さなものが大きいものを理解できるでしょうか。一滴の水が大海を語ることが出来るでしょうか。部分が全体を説明できるでしょうか。宇宙はただただ“驚くべき”としか形容のしようのない法則によって支配されており、私はその法則に満腔の信頼をおいております。なぜなら、その法則は神の完全なる叡智の表現だからです。従ってその法則には一つとして間違いというものがありません。あなたがた人間から見れば不公平に見えることがあるかも知れませんが、それはあなたがたが全体のホンの一部しか見ていないからです。もし全体を見ることが出来たら、成るほどと思ってすぐさま考えを変えるはずです。地上生活という束の間の人生を送っているかぎり“永遠”を理解することは出来ません。あなたがた人間にはいわゆる因果応報の働きはわかりません。霊界の素晴らしさ、美しさ、不思議さは、到底人間には理解できません。というのは、それをたとえるものが地上に存在しないからです。判断の基準には限界があり、視野の狭い人間に一体どうすれば霊界の真相が説明できるのでしょう。
 ご質問の子供の病の話ですが、子供の身体はことごとく両親からの授りものですから、両親の身体の特質が良いも悪いもみな子供の身体に受けつがれていきます。そうなると不治の病に苦しめられる子も当然出てまいりましょう。しかし子供にも神の分霊が宿っております。あらゆる物的不自由を克服できる神性を宿しているのです。物質は霊より劣ります。霊のしもべです。霊の方が主人なのです。霊的成長はゆっくりとしていますが、しかし着実です。霊的感性と理解力は魂がそれを受け入れる準備ができた時はじめて身につきます。従って私どもの説く真理も、人によっては馬の耳に念仏で終ってしまうことがあります。が、そういうものなのです。霊的真理に心を打たれる人は、すでに魂がそれを受け入れるまでに成熟していたということです。まるで神の立場から物を言うような態度で物事を批判することは慎しむことです。
 
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