白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第10章 白人はいつも肚(はら)黒い 

 支那人みたいな日本人像

 だいたい東南アジアは欧米列強が長い間、残忍な統治をしてきた現場だから、日本軍を非難するにはそれらしい事件を捏造しなければならない。知恵がない彼らに代わってそれをやってきたのが朝日新聞御用達の大学教授、林博史みたいな連中だ。
 彼はマレーの華僑から「日本軍は赤ん坊を投げ上げ、銃剣で刺した」という話を拾ってきて日本軍の大罪に付け加えた。「赤ん坊を云々」は第一次大戦のおり、ドイツ軍がブリュッセルの産院を襲って妊婦を強姦し乳児室の赤ん坊を放りあげ銃剣で刺したという話と酷似する。
 ドイツ軍はまた「将来の敵になるベルギー人の男の子を見つけると片端から手首を切り落とし、銃が持てないようにした」といわれ、それが米国参戦の口実になった。
 米国の参戦でドイツは敗れたが、戦後、この残虐行為を検証したら「赤ん坊を銃剣で」も「子供の手首切り落とし」も「英国の作り話」(アーサー・ポンソンビー『戦時の嘘』)だった。インディアンを虐殺し、黒人奴隷を昨日まで使っていた米国が人道などちゃんちゃらおかしいが、おかしいだけあって、参戦の口実もインチキだったわけだ。
 実は湾岸戦争の折にもこの「赤ん坊を銃剣で」話を目撃したという少女が米議会公聴会で証言した。やっぱりイラク軍は獣だと。戦後の検証で少女は在米のクウェート外交官の娘で、証言も作り話と判明する。
 しかし嘘と分かっても、それがどうしたみたいに誰も何の反応も示さず、イラク軍の不名誉はそのまま放置された。
 いわば定番の嘘といっていい。それを日本兵がマレーでやったという。そういう話を聞け林博史はまず日本人の名誉のために華僑が嘘を言っていないか、該当する日本の部隊名はどこか、生存者を捜して話を聞くとか、華僑よりバイアスのかかっていないマレー人の目撃者はいなかったかとか、きっちり検証作業をするものだ。個人的な体験で言えば嘘を言わない華僑になど会ったこともない。しかし彼がそういう検証をしたという話は聞かない。
 東ティモールは中立国ポルトガルの植民地で住民と日本軍とのトラブルは皆無だったが、ここで日本軍が島民を掠奪し5万人を殺したと早大教授後藤乾一が朝日新聞に書いた。朝日は日本の悪口ならどんな嘘でも歓迎した。この話は米タイム誌の年鑑『Time Almanac 2006に「日本軍の占領期間に5万人の島民が死んだ」と転載された。日本はやっぱり残虐だったと。
 しかし島民はポルトガルの圧政下でふんどし一丁の暮らしをしていた。鋸も鎌も反抗の武器になると所持も禁止されていた。日本軍が彼らから掠奪するとしていったい何を奪ったというのか。この話は後藤乾一がオーストラリア人外交官ジェームス・ダンに「戦後、島民の人口が減っている」といわれ、それで創作したことがやがて判明する。
 しかし宗主国のポルトガルですら人口調査をやっていない。いい加減な豪外交官の言葉に何の根拠もない。むしろ日本人と島民は友好的で、侵入してくる豪軍間諜を日本軍と島民が「協力して捕え、彼らの暗号を使って偽情報を出し続けた」(兵卒として進駐していた山下信一元昭和女子大教授)という証言すらある。
 日本の悪口なら何でも大歓迎の『タイム』誌もさすがに後藤論文が全くの虚構と知って2007年版ではボツにしている。
『ニューヨーク・タイムズ』は「東南アジアで日本軍は残虐な行為をした」と半世紀、日本の枕詞にしてきたと前に述べた。ただ枕詞に使うだけで具体的な実例はない。結局、朝日新聞記者や朝日のお雇い学者がそれらしい話を捏造するのを待って、それを米国側か利用してきたという構図が浮き出てくる。
 なぜそこまでして「残忍で掠奪と強姦をほしいままにする」支那人みたいな日本人像を描きたがるのか。
 
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