魂の伴侶(ソウルメイト)
ブライアン・L・ワイス=著
山川紘矢・亜希子=訳 PHP
 
 ★なわ・ふみひとの推薦文★ 
 この本は、ワイス博士の患者となったエリザベスとペドロの治療過程を通じて、二人の前世における体験の中から、霊界の様相や生まれ変わりの意味、魂の伴侶の存在などについての理解が得られるようになっています。エリザベスとペドロの前世を述べた部分についてもたいへん興味深いものがありますが、ここでは割愛しました。

 精神科医ワイス博士は、前世の記憶をもつ患者に接するうちに、前世の実在を信じるようになった。そして誰にでも、生まれ変わるたびにめぐり会うかけがえのない魂の伴侶(ソウルメイト)がいることを知る。
 ある時、彼は、患者のアメリカ人女性エリザベスとメキシコ青年ペドロが、お互いに魂の伴侶であることに気づく。二人を引き合わせたいという思いと、医師としての守秘義務の狭間で揺れ動くワイス博士。治療を終えたペドロの帰国の日が迫っていた‥‥。 (表紙見返しから)



  人の魂は水にたとえることができる。
  それは天から降り、天に戻ってゆく。
  そしてまた、地上に戻る。
  こうして、永遠に行き来しているのだ。
     ――― ゲーテ


 ソウルメイトとは、愛によって永遠に結ばれている人たちのことで、彼らはいくつもの人生で何回もの出会いをくり返しているのです。どのようにして自分のソウルメイトを見つけ、それを認識するのか、いつ、自分の人生を根本から変えてしまう決定をするのか、ということは、私たちの人生において、最も感動的で、重要な瞬間です。
 運命がソウルメイト同士の出会いを導いてゆきます。私たちは必ずソウルメイトに出会うようになっています。しかし、ソウルメイトと出会ってから、どのようにするかを決めるのは、私たちの自由意志の範疇に属することなのです。そこで選択を誤ったり、チャンスを逃してしまえば、信じられないほどの孤独とさみしさを味わわなければならないかもしれません。正しい選択をし、チャンスを生かし実現すれば、私たちは最高の喜びと幸福を手に入れることができます。

 魂同士の認識が、瞬間的に起こることもある。突然、親しみの感情が湧きあがってくる。意識のレベルの計り知れない深い場所で、今、出会ったばかりの人を知っているという気がする。最も親密な家族に対するものと同じ深さか、さもなければ、それよりも、ずっと深いところで感じる感覚だ。そして直観的に、何を言えばよいか、相手がどう反応するかも知っている。一日、いや一週間、または一カ月で獲得できるより、ずっと深い信頼と安心が一瞬のうちに生まれる。

 キャサリン(精神科医である著者の患者のひとりです――なわ・ふみひと)はそのあとで、マスターとは、現在は肉体を持っていない非常に進化した魂であり、彼らは彼女を通して私に語りかけているのだ、と説明してくれた。私はいくつものすばらしい知恵に満ちた情報を受け取ったのだった。
 キャサリンは、物理や超常的な現象についての知識は一切持っていなかった。マスターたちが伝える知識は、キャサリンの能力を大きく超えていた。彼女は次元のことも波動のことも、何も知らなかった。しかも、彼女は深いトランス状態で、こうした複雑な現象を説明するのだった。

 マスターたちはまた、過去生についても語った。

 人間はこの三次元の世界にいつやって来て、いつそこを離れるか自分で選ぶのだ。こちらの世界へ送られてきた目的を達成した時、我々は自分でそれを知る。自分の時間が終わったのを知り、死を受け入れるのだ。

 キャサリンとの体験以来、私は千人以上の患者を過去生へと退行させたが、マスターたちとコンタクトできるレベルに達した人はほとんどいなかった。しかし、ほとんどの人は驚くほどの病状の改善を見せている。最近の過去生での自分の名前を思い出し、その後、まさにその人物がその時代に存在したという記録を発見して、自分の記憶を証明した人たちさえいる。ある人々は、自分自身の以前の肉体が葬られている墓を発見しさえした。
 また、退行している間に、今生では習ったこともなければ、聞いたこともない言葉をしゃべり出す人も2、3人いた。

 また、退行療法は、薬物やアルコール中毒、人間関係の問題など、くり返し生じる破滅的な行動パターンを認識し、止めるために、非常に効果的な手段である。
 私の患者の多くは、過去生でだけでなく、現在でも生じているくせやトラウマ、困難な人間関係等を思い出している。例えば、ある患者は、過去生での非常に暴力的な夫を思い出したが、この夫は、今では暴力的な父親となって、彼女の人生に再登場していることを発見したのだった。また、けんかばかりしているカップルは、前世で4回、一緒の時代に生まれ、お互いに殺し合っていたことを発見した。同じ物語とパターンは延々とくり返されてゆくのである。
 くり返し起こっているパターンがはっきりと認識された時、そして、その原因がわかった時、このパターンは消滅する。もう苦痛を味わい続ける必要はなくなったのである。

 彼女は、またすぐに話し始めたが、その言葉は彼女のものではなかった。彼女の声は、ずっと深みがある力強い声に変わった。エリザベスは、キャサリンやその他ごく少数の患者にしかできないことができたのだ。彼女は肉体を持たない高次の存在であるマスターからのメッセージや情報を伝える、特別の能力を持っていた。私の最初の本『前世療法』には、マスターからの知恵がたくさん書かれている。
  「よく憶えておきなさい」と、エリザベスの口を通してその声は言った。

 あなたが常に愛されているということを、憶えておきなさい。あなたは常に守られており、決して一人きりではありません‥‥あなたは光と知恵と愛の存在なのです。あなたが忘れられてしまうことも決してありません。見過ごされたり、無視されることもありません。あなたはあなたの体でもなく、頭脳でもなく、さら意識でもありません。あなたは霊魂なのです。あなたのなすべきことは、再び記憶に目覚め、思い出すことだけです。霊魂には限界がありません。肉体という物質的な限界だけでなく、知性の限界も、心の持つ限界もありません。

 あなた方がいる三次元の世界のような、より密度の濃い環境を体験できるようになるために、霊魂の波動エネルギーが低くなってゆくと、霊魂は次第に密度の濃い肉体のレベルへと変化してゆきます。最も密度の濃い重い状態が物質の状態なのです。その時、波動のレベルは最も遅くなっています。この状態では、時間はとても速く見えますが、これは波動の速さと反比例しているからです。波動が速くなるにつれて、時間は遅くなってゆくのです。そのために物質世界へ再び入る時に、正しい肉体、正しい時を選ぶのはとても難しくなっています。時間の違いのために、チャンスを逃すことがあるからです。たくさんの意識のレベル、たくさんの波動のレベルがあります。しかし、こうしたレベルのすべてを知ることは、あなた方にとって重要なことではありません。

 人間は常に、自分たちだけが、唯一意識をもって生きている存在であると思っています。しかし、それは違います。たくさんの世界とたくさんの次元が存在しています‥‥肉体の数よりずっと多くの霊魂が存在しているのです。また、同時に1つ以上の体験をしたいと思う時には、魂はいくつかに分裂することもあります。しかし、それが可能になるには、まだほとんどの人が到達していない発達的段階にあることが必要です。最終的には1つのピラミッドのように、唯一の魂しかないことがわかるのです。そして、すべての体験は、同時にすべての魂が体験しています。でもこのことは、今はわからなくてもいいでしょう。


 他の人の目を見つめて、自分自身の魂が自分を見つめているのに気がつく時、あなたは自分がもう一つのレベルの意識に達したことがわかるでしょう。この意味では、輪廻転生は存在しません。なぜならば、すべての人生、すべての体験は同時に起こっているからです。しかし、三次元の世界では、輪廻転生は山や海があるのと同じくらいの現実です。

 カルマ、つまり、返さなければならない負債にはいろいろな種類がある。個人のカルマとは、その人物の個別の義務であり、その個人に固有のものである。しかし、グループのカルマ、つまりそのグループ全体の集合的な負債というものも存在する。そして、そのような多くのグループが存在している。宗教、民族、国家などである。もっと大きなレベルには惑星のカルマというものもあり、これは、いつしか、その惑星の運命と結末に影響を与えてゆく。グループのカルマにおいては、個人の負債が蓄積され、清算もなされるが、その結果は、そのグループ、国、惑星にもかかってくる。こうしたグループのカルマは、そのグループ全体、あるいは国の未来を決定してゆく。しかし、それはまたカルマを作った時そのグループに属していなかったが、後にそのグループに生まれてくる個人にもかかってくる。

 私の患者の多くが、深い催眠状態にある間、死は偶然ではないことを私に教えてくれた。赤ちゃんや幼い子供が死ぬ時、私たちは大切なレッスンを学ぶ機会を与えられているのだ。彼らは私たちの先生であり、私たちに何が大切なのか、そして何よりも愛について教えている。
 一番重要な学びは、最も困難な時期に与えられる場合が多いのである。

 「自分の播いた種子は、自分で刈り取らなければならない」カルマの概念はすべての宗教において、ほとんどそのままはっきりと述べられている。この知恵は、ずっと昔から存在する。私たちは自分自身に対して、他人に対して、社会に対して、そして、この惑星に対して責任があるのだ。

  私の主張は以下の通りである。
  再び生きたいと思うが如くに生きよ。
  それが諸君の義務である。
  いずれにせよ、諸君は戻ってくるからだ。

      ――― ニーチェ

 私は魂のつながりを、何千何万という葉をつけた大きな木として考えるのが好きだ。あなたという葉のついている小枝についた葉は、あなたととても親しい関係にある。同じ体験や、魂の経験をお互いに共有することもあるかもしれない。その小枝には、三つ、四つあるいは五つの葉がついているかもしれない。
 あなたはまた、隣の小枝についている葉っぱとも、とても近い関係にある。お互いに同じ枝から出ている小枝だからだ。
 あなた方はみな1本の木、1本の幹の一部である。そして、経験を共有することができる。お互いに知っている。そしてあなたの小枝にある葉っぱこそは最も親しい魂なのだ。
 この美しい森には他にもたくさんの木がある。どの木も地中の根を通して、他の木とつながっている。したがって、あなたから見ると、遠くにあって、まったくちがっているように思えるずっと向こうの木に繁っている葉っぱにしても、やはりあなたとつながっているのだ。あなたはすべての葉っぱとつながっている。しかし、あなたと同じ木の葉っぱと、最も強くつながっている。そして、あなたと同じ枝の葉っぱとはもつと強くつながりを持っている。あなたと同じ小枝の葉っぱとは、もうほとんど一体なのだ。
 あなたは多分、過去生で同じ木のずっと向こうの枝に繁っている魂とも出会っている。彼らはあなたと様々な関係になっていたことがあるのだ。お互いの交流は、あっという間でしかなかったかもしれない。わずか30分の出会いでさえ、ほとんどの場合、あなたか、または相手か、または両方に何か学ぶチャンスを与えているのだ。
 その魂は、あなたがいくらかのお恵みを与えた路上のこじきだったかもしれない。彼はこじきになって、あなたが他の人々に暖かい思いやりの手を差しのべるチャンスを与え、また、あなたはこじきに対して、愛と助けを受け取ることを学ぶチャンスを与えているのだ。あなたとそのこじきは、その人生では二度と再びめぐりあうことはないかもしれない。それでもあなた方はお互いの人生のドラマの一部なのだ。出会いの時間は様々である。魂のかかわりあいの深さは、時間の長さではなく、学んだレッスンの量によってはかられるのである。

 前世で自殺した男の今生での体験を書いたとしたら、さぞかしおもしろかろう。前世で直面した様々な問題に、彼は今世でも再び遭遇する。そして、それらを解決しない限り、そこから先へは進めないことに気づくまでの物語になろう‥‥過去の人生で行なったことが、現在の人生に方向性を与えているのだ。
  ――― トルストイ

 どの人生も、どの重要な場面も、よく似ていたり、同じであったりするのは、人間の同じ問題、同じ思いが、あらゆる時代にあらゆる文化で起こってきたからなのだ。

 「先にあったことは、また後にもある。
 先になされたことは、また後にもなされる。
 日の下には、新しいものは何もない」
    (伝導の書 第1章9節)

 私は生まれ変わりを信じている者として、この人生ではできなくても、いつか、他の人生で、すべての人類を友情をこめて抱きしめることができる日が来るという希望を持って、生きている。
  ――― モハンダス・K・ガンジー

 人は常に一番強く結ばれているソウルメイトと結婚するわけではない。魂の家族が一緒に旅を続けているので、ソウルメイトは一人だけというわけではなく、もっとたくさんいるのかもしれない。そして、結びつきは少し弱いけれど、あなたに教え、あなたから学ぶべき何かを持っている魂との結婚を選ぶことがあるのかもしれない。両方ともが、今生ですでに家族を持ってしまったあとになって、ソウルメイトと出会うこともあるだろう。または、最も深い関係のあるソウルメイトは、今生であなたの親、子供、兄弟になっているのかもしれない。または最も深い関係の魂は、今は生まれておらず、守護天使になって、あちら側からあなたを守っているのかもしれない。
 時には、あなたのソウルメイトが積極的に近づいてくることもある。彼、または彼女は、あなたに、情熱と魅力、いくつもの転生にわたるつながりを示す親しみのある不思議な縁を、感じさせるかもしれない。しかし、その人はあなたにとって有害であるのかもしれない。それは魂の成長の問題なのだ。
 もし、一方の魂が、もう一方の魂より未成熟で無知であると、暴力、貪欲、しっと、憎しみ、恐れなどの傾向が二人の関係に持ち込まれやすい。こうした傾向は、より進化した魂にとっては、それがたとえソウルメイトからのものであっても有害である。
 「私は彼を変えることができる」「私は彼女の成長を手伝うことができる」という幻想がわきあがってくる場合がある。もし相手が、あなたの援助を拒んだり、自由意志によって、学びも成長もしないと決めていると、二人の関係はつまづいてしまう。もし、この人生で、目覚めない場合には、また、別の転生で、別のチャンスが与えられるのだろう。年をってから目覚めるということもあるだろう。
 時には、ソウルメイト同士が、肉体を持っている間は結婚はしないと決めている場合もある。彼らは出会い、合意している学びが終わるまで一緒に過ごし、それから別れて先へ進むように計画してくるのだ。彼らの今生全体を通してのテーマや学びの計画はそれぞれに違っており、この人生の間ずっと一緒に過ごすことは望まず、あるいはその必要もないのだ。これは悲劇ではなく、単に学びの問題に過ぎない。ソウルメイトは永遠に一緒であるが、時には別々の教室で学ぶことも必要なのだ。
 近くにいるが、まだ目覚めていないソウルメイトは、悲しむべき存在であり、あなたに時に多大な苦しみを与える。目覚めていないということは、その人が人生をはっきりと見ようとせず、存在の多くのレベルに気づかないということである。目覚めていないとは、簡単にいえば、魂のことを知らないということである。目覚めをさまたげているのは、普通は日常的な理性である。
 私たちは常に理性の言いわけを聞いている。私は若すぎる。もっと経験が必要だ。まだ落ち着く準備ができていない。あなたとは宗教(人種、出身、社会的地位、知的レベル、文化的背景等々)がちがう。これらはすべて言いわけに過ぎない。魂はこうしたものは一切持っていないからである。
 人は魅かれ合う何かを感じることがある。何かその人に魅かれるのだが、その原因が何なのかはわからない。こうした情熱、つまり、魂同士の認知や、魅き合う気持ちは、他の人との間にもまた簡単に見つかるだろうと思うのは思い違いである。そのようなソウルメイトに毎日出会えるということはない。おそらく、一生にあと1回か2回しかないだろう。神の恩寵は、良き心、愛にあふれた魂に報いてくれるだろう。
 ソウルメイトに出会えるかどうか、心をわずらわしてはならない。こうした出会いは運命なのだ。ただ起こるべくして起こるのだ。出会ったあとは、二人の自由意志の問題となる。どんな決心をするかは、自由意志の問題であり、選択の問題なのだ。まだあまり目覚めてない人は、理性とそれが持つ恐れと偏見に基づいて決心をするだろう。残念ながら、これはしばしば、心を痛める結果をもたらすのだ。二人が目覚めていればいるほど、愛に基づいた決心がなされるだろう。二人とも完全に目覚めている時には、至福は彼らの手の内にある。

 おお、読者のみなさんよ、もし私の書いたものの中に歓びを見出すなら、私の本を読んでください。なぜなら、私はこの世の中に、めったに戻ってくることはないのだから。
 ――― レオナルド・ダ・ヴィンチ

 輪廻転生とは、より大いなる知識と知恵と理解への架け橋なのだ。それは私たちが何を持ち、何を持っていないのか、私たちがなぜここにいるのか、前に進むために何を成し遂げなければならないかを、私たちに思い出されてくれる。そしてまた、私たちを助け導いてくれる存在のあること、愛する人々が私たちと共に歩み、重荷を軽くするために戻ってくることを、思い出させてくれるのである。

 私は有名な超能力者やチャネラー、神父、グル等に会って、彼らから数多くのことを学んだ。非常に才能のある人もあれば、そうでない人もいた。
 超能力と、霊的にどれだけ成長しているかは、直接的な相関関係にはないということが、私には次第にはっきりとわかってきた。有名な天文学者であり、超常現象の研究者としても名高いエドガー・ミッチェルと交わした会話を、私はよく覚えている。エドガーは彼の実験室で、エネルギーに影響を与えることによって、磁石の針を動かしたり、念力によって物体を動かすことができるという有名な超能力者について、研究したことがあった。こうしたすごい超能力にもかかわらず、この超能力者の性格や人格は、高い霊性のレベルのものではないことに、エドガーは気がついた。超能力と霊的な発達は、必ずしも関連を持ってはいないことを初めて私に教えてくれたのは、エドガーであった。
 霊的に成長し、気づきが深くなるにつれて、超常的な能力が増してゆく人もいると、私は信じている。これは、基本的なステップではなく、むしろ付随的に得る性格のものなのだ。超能力が高まったというだけで、偉くなったつもりになってはいけない。ゴールは、愛と思いやりと徳と寛容を学ぶことであって、有名な超能力者になることではないのだ。

 私たちはみんな超能力者であり、みんなグルである。私たちはただそれを忘れているにすぎない。
 ある患者が、私にサイババというインドの聖者について質問した。彼はアバターと呼ばれる、肉体を持って地上に降りてきた神なのだろうか?
 「私はしりません」と私は答えた。「でも、ある意味で、私たちはみんなそうではありませんか?」
 私たちはみんな神なのだ。神は私たちの内に存在する。私たちは超能力にまどわされてはならない。なぜならば、超能力は霊的な成長の道の道標にすぎないからだ。私たちは、自分たちの神性と愛を、良き行ないによって、また人々への奉仕によって、表す必要があるのだ。おそらく、誰も、1カ月か2カ月以上にわたって、誰かのためのグルになるべきではないのだろう。インドへ何回も行く必要はない。真の旅は、私たちの内にあるのだから。
 自分で超常的な体験をすることは、神の存在に心を開き始めるために、あるいは、人生は目に見えるものよりも、ずっと大きく広いということを理解するために、まぎれもなく有効である。人は自分で体験しないと、それを信じないことが多いからだ。
 私たちの道は、内へ向かう旅である。これはより困難で、よりつらい旅である。私たちは自分自身の学びに責任を負っている。この責任を回避し、誰か他人に、またはグルに責任を押しつけることはできない。
 神の王国はあなたの内にあるのだ。
 
 
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