ホログラフィック・ユニヴァース
マイケル・タルボット・著  川瀬勝・訳
春秋社  1994年刊
 
 
 あらゆるものは分割不可能な全体である

●世界を断片に分け、すべてのものの間にあるダイナミックな相互結合性を無視するという、人類にほぼ共通する傾向こそ、科学にかぎらず私たちの生活や社会が抱える問題の原因があるというのがボームの考えだ。たとえば私たちは、地球全体に影響をおよぼすことなくその貴重な一部分を取り出せると思っている。あるいは、身体全体のことを考えずに、ある一部分だけを治療することができると思っている。犯罪、貧困、麻薬中毒といったさまざまな社会問題も、社会全体の問題を考えることなしに対処できると思っている。その著作の中でボームは、世界を断片に分けるという現在のやり方は、うまくいかないどころか、私たちを絶滅に導いてしまう可能性さえあると強く主張しているのである。

●現在の物理学の理解では、空間のあらゆる領域は、さまざまな波動でできた「場」であふれ返っているという。それぞれの波動は、必ずある量のエネルギーをもつ。

●空間はからっぽなのではない。満ちあふれた状態、真空ではなく充満状態であり、これが私たちも含めた一切万物の存在の基盤なのである。

●私たちの脳は、つきつめてしまえば他の次元――時間と空間を超えた深いレベルに存在する秩序――から投影される波動を解釈し、客観的現実なるものを数学的に構築しているのである。

 健康と病気に境目なし 

●もし時間と空間、そして宇宙にあるその他のすべてのものが真に分割不可能であるなら、健康と病気を区別することもできないはずだ。
 この認識を私たちの日常生活で実際にどう活用したらよいのだろうか。ドッシーが言うには、病気を何か自分とは別のものとして見るのをやめ、かわりにもっと大きな全体の一部として、また自分の行動や食事、睡眠、運動のパターン、それに世界全般と自分のさまざまな関わりなどから成るひとつの状況としてとらえるようになると、私たちはしばしば快方に向かう。

●私たちはつながっているのだ。病気、健康両方の状態をつくり出す力に、社会通念に、友人、家族あるいはかかりつけの医師の価値観に、そして宇宙を理解するために用いるイメージ、考え方、あるいはその際に使う言葉にさえ私たちは結びつけられているのである。

●ある独創的な医師たちがひとつの実験を行なってみることにした。胸部動脈を結束するという通常の手術を施すかわりに、この医師たちは患者の胸部を切開し、何もせずにそのまま元どおり縫合してしまったのである。ところがこのインチキ手術を受けた患者も、通常の完全な手術を受けた患者と全く変わらないくらいの症状の改善を報告したのだ。つまるところ、通常の手術はただのプラシーボ効果を産み出していたにすぎないことがわかったのである。

 文化的信念

●同じ文化の人々が共有する恐怖というものも私たちに大きな影響を及ぼす。19世紀、結核は何万人という人を死に追いやったが、1880年代には死亡率が激減しはじめた。なぜだろうか?
 それ以前は、結核は原因不明の病であり、この謎が恐怖感をいっそう高める役割を果たしていた。しかし、1882年、ロベルト・コッホ博士が、結核はある細菌が引き起こすものだとの画期的な発見をした。これが一般大衆の知るところとなると、効果的な治療薬が発見されるまでにはあと半世紀を待たねばならなかったにもかかわらず、死亡率は人口1万人あたり600人から200人へと減少したのである。

●脳はイメージを使って身体を思い通りにすることができるようだ。もっとイメージを創っていくよう身体に指示することもできる。イメージがイメージをつくる。無限に互いを映し出していく2枚の鏡。それがホログラフィック・ユニヴァースでの心と体の関係なのである。

 物理的法則は「習性」か現実か

●私たちの信念が深ければ深いほど、そしてそれが強烈な感情を伴うものであればあるほど、自分の身体、ひいては現実そのものに対して私たち自身が起こすことができる変化も大きなものになるのである。

●物質化現象は、私たちが思っている以上によくあることかもれしない。奇跡に関する文献は、歴史的、宗教的ないわれがある彫像、絵画、聖像や、岩までもが血を流す、といった信憑性ある話であふれかえっている。涙を流す聖母やその他の聖像の話も何十とある。1953年には、「泣く聖母」現象ともよべるものがイタリア全土を席巻した。

●ある意味で、物質化現象は、現実に関して私たちがもっている常識的な見方を最も激しくゆさぶるものだと言える。というのも、念力のような現象までなら現在の私たちの世界観の中になんとか取り込めないことはないものの、何もない空間から物体を創造するとなると、世界観の基盤そのものをゆるがすことになるからだ。ところが、精神ができることはそれだけにとどまらないのである。たとえば、念力を使って物をあちこち移動させる(物理的法則)、火に対する耐性をもつ、物質化させる(血液、塩、石、宝石、灰、栄養素、涙)などである。

 奇跡と超常現象が意味するもの

●物理法則から星雲を構成する物質まで、一見安定して永続的と見えるものは、それぞれがひとつのリアリティ・フィールドであると見なければならなくなり、いわば、相互に共有された巨大な夢の舞台に登場する小道具とあまり変わらない狐火のようなものにすぎないということになる。すべて永続性なるものは錯覚としてとらえなければならず、意識だけが、この息づく宇宙の意識だけが永続的な存在となるのだ。

●自分の体験からドン・ファンのつぎの言葉が正しいと思う。「われわれはみな知覚者だ。われわれは意識なのだ。物体ではない。固体でもない。境界もないのだ。物と固体の世界は、この地球で一時を過ごしやすくする手段にすぎない(中略)」。
 言い方を変えれば、すべての意識が統合されることによって創造される現実のほかには、あるいはそれを超えたところには、いかなる現実も存在しないということだ。そしてホログラフィック・ユニヴァースは、人間の心によって、ほとんど無限と言っていいほどありとあらゆる形に変容しうるのである。

●やはりホログラフィック理論を支持しているキース・フロイドの言葉を借りるならこういうことになる。「誰もが当たり前の事実として知っていることとは裏腹に、脳が意識を生み出しているのではなく、意識のほうが表面上は脳と見えるものを創造しているのかもしれない。脳、物質、空間、時間、そのほか私たちが物理的宇宙と解釈したがるものすべてについても同じことが言える」。

●現実というものが実際には波動領域であり、人間の脳が、この波動の数々を表面上は客観的世界と見えるものに変換する一種のレンズであることを思い起こしてほしい。

●プリプラムは、私たちを取り巻く波動領域には、目に見えないさまざまなもの、脳が通常の視覚的現実から常にカットするようになったものがたくさん存在していると考えている。彼の考えでは、神秘家が超常体験をするとき、実際には彼らは波動領域の一端をかいま見ているのだという。

 ホログラフィックな未来

●未来に起きる出来事の少なくとも一部は、過去のものと同じくらい簡単に見られることを立証している厖大な証拠があるのだ。

●はたして未来は固定され、すべては事前に決められてしまっているものなのか、それとも変えることができるものなのだろうか?(中略)
 もし未来が、その詳細まですべて決まってしまっているホログラムだとしたら、それは私たちに自由意志など残されていないことを意味する。私たちは、すでに書き上げられた台本にもとづいて、何も考えずに動き回っている、運命の操り人形にすぎなくなってしまう。
 幸運なことに、さまざまな証拠材料を見ると、圧倒的にこれが正しくないことを示している。

●人生の気まぐれは、本当にただの偶然の産物なのか、それとも私たちは文字どおり自分の運命を形づくるのにある役割を演じているのであろうか。驚くべきことに、後者が正しいという可能性を示している大変興味深い証拠がいくつかあるのだ。

 魂の影の部分に存在するもの

●37歳のときに強姦された経験をもつある女性は、超意識状態まで退行したあと、今回の生に生まれてくる以前に、この事件を人生に組み込んでいたと告白した。彼女が言うには、その年齢で悲劇を体験することがどうしても必要だった。というのも、それによって「魂全体の色合い」が否応なく変化し、生の意味についてより深く、良い方向に理解する転機となったからである。

●私たちの無意識の心は、自分の運命の大まかな概略をつかんでいるだけでなく、実はそれが実現に向かっていくよう方向づけまで行なっているなどということがはたして可能なのであろうか? どうもこれが正しいようであることを示す証拠はホイットマンの研究だけではない。アメリカで起きた28件の大きな列車事故の統計を分析した結果、超心理学者のウィリアム・コックスは、事故当日の乗客の数が、それ以前の数週間の同じ曜日に比べてかなり少ないことを発見したのである。
 コックスの発見は、誰もが常に無意識に未来を予見しており、その情報にもとづいていろいろなことを決めているとの可能性を示唆している。ある人は災難を避けるようにするし、またある人は、個人的な悲劇を体験することを選んだ前述の女性のように、無意識レベルでの計画や目的を達成すべく、困難な状況を選択しているのかもしれない。「慎重に、あるいは適当にであっても、私たちはこの地球上で自分が置かれる状況を自分で選択している」とホイットマンは語っている。

 
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