安心録 「ほどほど」の効用 
曾野 綾子・著  祥伝社 
 
 自己表現とは「いばる」ことではない

 頭のいいことだけが力ではない。愛嬌のいいことも、陽気なことも、歌がうまいことも、ダンスのセンスが並はずれてあることも、力持ちなことも、いざという時に落ち着いていることも、すべて力である。
 中でも素晴らしいと思うのは、苦しみに耐える力と、人を許す心である。
 

 人間はもともと何も持たず、病気になれば弱いもので、物質と同様古びていくものなのである。それで私たちは少し手入れをする。醜い姿を衣服で隠し、古びたものは経済の許す範囲で時々新しいものに取り替えて気分を入れ替え、命令系統を示すために、部長の机は課長の机より少し高級なものにしたりする。
 すべてのことは、笑っていればいい程度のつまらないことだ。
 地位のある人に対する恭(うやうや)しさは、その人がそのポストに留まる限りのことである。部下がお辞儀をするのは、上役その人の人格に対してではなく、自分に月給を払ってくれる会社の機構に対してなのである。

 自分に「ないもの」ではなく、「あるもの」で幸せになる

 人間の性格に二つあって、ないものを数えあげる人と、あるものを結構喜んでいる人があるんですね。私は心根がいいからではなくて、得をしようという精神から、あるものを数えあげようとするんですね。

 何かを捨てなければ、何かを得られない

 何かを捨てなければ、何かを得られない。失礼をしなければ、自分の時間がない。連載の締切にも遅れる。
 年を取るということは、切り捨てる技術を学ぶことでもあろう。そしてそのことを深く悲しみ、辛く思うことであろう。ただ切り捨てることの辛さを学ぶと、切り捨てられても怒らなくなる。

 人は不得手な部署にも移らねばならない。そうしないと、組織が硬直する。そして人は不得手だと思う場所で、意外な才能を発揮することもあるのである。

 予測、希望が裏切られたらどうするか

 若い時は自分の思い通りになることに快感がある。しかし中年以後は、自分程度の見方、予測、希望、などが、裏切られることもある、と納得し、その成り行きに一種の快感を持つこともできるようになるのである。つまり地球は、自分の小賢しい知恵では処理できないほど大きな存在だった、と思えるようになる。そう思えれば、まずく行っても自殺するほどに自分を追いつめることもないだろう。反対にうまく行っても多分、自分の功績ではなくて運がよかったからだ、と気楽に考えられるのである。

 日本の航空会社の部長以上は、むしろ決して自国の飛行機に乗ってはならない。手分けした他社の飛行機に乗り、他社のサービスのいいところを、「スパイ」して来ることが任務だろう。自社の飛行機に乗れば、金がかからず、社員は平身低頭してくれて威張って旅行ができる。そんなことをしているから、現実がわからない。孫子が、相手を知り、自分を知ってこそ、いかなる戦いにも勝てる、と言ったのもそのことなのである。

 人生は平等でも公平でもない

 個人の権利と言うこともそろそろ見直されるべきであろう。戦後、個人の権利が守られることこそ最高のものだ、と言われたが、必ずしもそうでもない価値判断もあるのである。なぜなら、強力な肉食獣が多いアフリカの自然で、か弱い羚羊(かもしか)が生きるためには、群の力を借りなければならない。それと同じで、人間もまた集団で自衛しないと個人の安全や生命さえ全うできない。つまり個人の権利をいささか犠牲にしてでも集団の利益を考えなければ、生命の安全はもちろん、日常生活の便利ささえも確保できないことが多い、ということを認識した方がいいのである。
 むしろ人生は不平等である、という現実の認識を出発点として子供たちに教えるべきであろう。
 そこから、私たちはおもしろい脱却の知恵を学ぶのである。不公平、不平等は現世になくならないものだ、と認めた時、人間は次のように考える。つまり人間は、運命にも能力にも差があるのだが、制度によってできるだけ同じような程度の生活ができるようにしよう、と考えるのである。
 そして使命としては「多く受けた人は、多く返す」というルールを受け入れることになる。運動に秀でている人はその運動神経で、人より美貌に恵まれている人はその美しさで、人より数学ができる人はその才能で、社会に尽くし、それを使命と思い、奉仕することを当然と思うことである。
 平等でない運命を、しっかりと使う方法を考え出したのが、人間の知恵というもであった。

 「ありがとう」を別れの言葉にする

 ただ一人の途方にくれた人間として、死をどのように受け入れるかを考える時、私が普段から実行している二つのやり方を話した。それとても、最期になって私に有効かどうかは全くわからないものだが‥‥。
 その一つは、私が今までに受けた楽しかった体験は大切に記憶し、私が直面した辛いことは、これまたしっかり覚えておく、ということだった。楽しかったことは、自分が人間としてもう充分に「いい目に会わせていただきました」と納得し感謝するためであり、辛いことの方は、「死ねばこんなことにもう耐えなくて済む」と喜ぶためであった。どちらもまあ、小心な者だけが思いつくことであろう。
 自分が人と比べてどれほど幸福だったか、などということは、本来は計りようがないものなのである。しかし時々ふと、新聞などを読んでいると、こういう人もいるのかなあ、とその人と自分を浅ましく比べているのに気づくことがある。比べること自体、不運に見舞われたのが自分でなくて他人だったことを喜んでいるようで嫌な気分にもなるし、お金持ちの話など読むと、ちょっとでもそういうことに関心を持つ自分の心理の卑小さにうんざりさせられることもある。しかしミーハー的心理も、私は嫌いではない。
 いずれにせよ、心を揺り動かされる瞬間というのは楽しい。この心の揺れ動きが多ければ多かったほど、人生は味わいが濃くなる。すると死ぬ時、「ありがとうございました」と言えそうな気がするのである。

 世の中の厳しさを「できない」理由にしないこと

 相手がお茶汲みしかさせないからお茶汲み以上の知識が身につかない、というのは言い訳にならない。昔からプロになるための修業はすべて独学であった。余暇に勉強し、人の技術を盗み、自分で本を買って研究する。それだけの力を持った人なら、会社は必ずお茶汲み以上のことをさせるだろうし、役に立つ社員に男の半分の給料しか与えない、ということもないような気がするのである。

 自分が喜べることを喜べばいい

 よく飢餓のアフリカなどで、カメラマンが今にも死にそうな飢えた子供に向けて「平然と」カメラを構えることを非難する人道主義者がいる。「平然」かどうか、他人にはわからないと思うのだが、とにかくそういって詰(なじ)るのである。
 今ここで、一つのケースを想定しよう。
 アフリカの飢餓をレポートしに、一人のカメラマンと一人の作家が組になって派遣されたとする。
 カメラマンは人の苦しみにはほとんど心を動かされない冷酷な性格である。そして文章を書く作家の方は、心優しく、しかし表現力はあまりない人だとする。どちらが、アフリカの飢餓をより強烈に、世間に訴えられるか。言うまでもなく、あまり同情のない、しかし腕のいいカメラマンの方なのである。もし彼がかわいそうな子供に同情して、カメラを捨てて泣けば、その時、彼は自分の任務をむしろ放棄したことになる。彼は決してカメラを放棄してはいけない。それがプロというものなのである。
 その人の心根がいいか悪いかなどということは、歴史の大勢の中では大した問題ではない。
 作品は人の性格や、意図の善悪に係わらず力を発揮する。無神論者は笑うだろうが、私はこういうケースを「神は、その当人も意図しない形で、人間を思いがけない方法でお使いになる」と思っているのである。
 
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