幕末名医の食養学
沼田 勇 ・ 著    光文社 

 
一物全体食論

 石塚左玄は口癖のように、「健康を保つには生命あるものの全体を食べることだ。野菜は皮をむいたり、湯がいたりせず、魚なら骨やはらわたを抜かず、頭から尻尾まで食べよ。食物に陰陽の別はあっても、生きているものは、すべてそれなりに陰陽の調和が保たれているのだから、その部分だけを食べたのでは健康長寿は望めない。自然界の動物たちの食べ方をよく見るべきだ。彼らは人間のように包丁を用いたり、味付けをしたりはしない」
 と、言っていました。

 片瀬学説で知られる片瀬淡(あわし)元阪大教授も、「あらゆる生物がすみやかに発育するには、生体内における酸とアルカリとの間の平衡が保たれていなければならない。小魚でも平衡を保った生体であり、それを丸ごと食べれば人体も平衡が乱れる恐れはない。野菜、果実、その他あらゆる食物についても同じことが言える。牛でも豚でも全体を食べれば何の害もないのだが、こんな大きな動物になると、肉だけ食べて骨も内臓も捨ててかえりみないから、その害たちどころに至るのである」
 と述べています。

 たくましき自然食者たち


 戦前、私は山梨県の河口湖畔で、休憩中の連隊と出会ったことがあります。連隊長と知り合いだったので声をかけたところ、連隊長は、周りでぐったりしている将兵を指して、「この連隊を率いて三ツ峠を越えてきたが、あのとおりのざまで動こうとしない。それにつけても思い出されるのは武田軍団の強さだよ。武田一万の軍勢は鎧兜の完全武装で早朝甲府を出て、この三ツ峠を越え、鐘カ淵で戦い、その日の夕方には甲府に引き上げた。どうして一万もの兵を動かせるのか分からない。道も今より狭くて通りにくかっただろうし、食糧は梅干し入りの麦飯のにぎり飯だった。彼らの頑強さには驚くほかないね」 と、苦笑まじりに言うのでした。
 武田軍団の活力のもとは、自然食と梅干しだったのです。これは、肉食でなければエネルギーを出せないと、誤った食事観に毒されている一部の現代人には、どうにも理解できないことでしょう。

 細嚼(さいしゃく)は飢え難し

 噛まずに丸飲みする者は満腹に馴れ、食物が乏しくなると一番先にまいってしまうけれど、よく噛む者はたやすく飢えない、という意味です。俳人の外川飼虎(とがわしこ)は戦時中、粗悪で乏しい食物で生き抜くことを余儀なくされたとき、この言葉を思い出して、ひたすら噛み続けました。
 よく噛まない戦友たちは栄養不良になり、病気を併発して全員死亡したそうです。
 それは、寒い夜、干し藁(わら)を噛み続ける馬だけが凍死を免れたことと相通じるのです。

 日本人に少ないラクターゼ


 私たち日本人の小腸には、乳糖を分解する酵素であるラクターゼが欠如しています。乳糖とは哺乳動物の乳の中にある当分のことです。このラクターゼは乳児には認められるけれど、離乳期になると消えてしまいます。これは離乳を促すメカニズムの一つだといわれますが、欧米人には大人になっても、このラクターゼが小腸内に残っているので、老人になってからでも牛乳を飲めるのです。
 日本人の食物アレルギーの半数近くは、牛乳および乳製品のせいだという研究報告もあります。
 牛乳が日本に渡来したのは七世紀のころといわれ、その後の江戸時代にもオランダ人が持ち込んだという記録はありますが、日本人の食生活の中に定着しませんでした。いずれにせよ、日本人を含め東洋人は牛乳を飲まない民族であったことは、その遺伝子が証明しています。
 第二次大戦後、牛乳の栄養価は高く評価されて、学校給食に欠かせなくなりました。粉ミルクの功徳は計り知れないほどですが、そのかわり、昔はなかったアトピーや花粉症は、このあたりからきているとも考えられます。

 肉食後、体内はどうなるか

 仏教伝来後、肉食の習慣を断ってきた日本人が、何万年も肉食をつづけてきた欧米人なみの食生活に軽々しく切り替えてよいはずがありません。前にも記したように、モンゴリアンが肉食のイヌイットになるには1〜2万年の年月と厳しい淘汰が必要だったのです。
 私たちが動物性食品を摂取すると、腸内菌はあの鼻持ちならぬ悪臭を発する化学変化を起こし、肝臓はそれを解毒するための働きを求められます。その肝臓に障害があれば、もちろん解毒できなくなり、その結果、アンモニア血症や肝性脳症、肝性昏睡などを引き起こします。寿命や老化に腸内菌が深くかかわっていることは明らかです。(略)
 肉食後の糞便のインドール(不快臭)は、菜食の場合の十倍になるといわれます。たとえ必須アミノ酸から成る優れた蛋白質でも、過剰に摂りこまれた分は排泄されるか、さもなければ肝臓に負担をかけるアンモニアの原料になります。しかもそのアンモニアは肝臓で尿素になり、これを排泄するにはたくさんの水を使わなければならず、排泄が不十分だと尿素から尿酸がつくられ、これが結晶状のまま関節周辺の軟組織に蓄積されて、あの激痛を伴う痛風を引き起こすのです。(略)
 肉を食べると当然、肉に含まれている燐酸や硫酸が血液を酸性にするので、これを中和させるために歯や骨のカルシウムを溶かすことになります。肉食の欧米人に骨粗しょう症や骨の多孔症、骨のわん曲が多いのはそのせいなのです。

 ヨーロッパ人と肉食

 ヨーロッパ人は昔から、ずっと肉食をつづけてきましたが、それにはそれなりの背景があります。
 日本では台風も含めて多量の雨が降り、夏には太陽が照りつけるため、牧畜に向かない繊維の硬い植物が繁茂しています。この気候風土が日本人を、米や雑穀、野菜などをつくられる農耕民族にしたのです。牛1頭を飼うには1ヘクタールの牧草を必要としますが、その1ヘクタールから穫れる米は30俵から160俵で、12人から64人の人間を養うことができます。つまり日本は、その労力さえ惜しまなければ、牧畜よりはるかに効率のよい食糧(米)をつくる条件を備えているのです。 
 
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