人は死ぬ時なぜ体重が減るのか
矢追純一・著 河出書房新社 1999年刊 
 
 まえがき

 人は死ぬと、どこへ行くのでしょうか?
 それは、人類の歴史が始まって以来の最大の謎といえるでしょう。
 ある人は、死んだら火葬されて灰となり、大地に帰るだけなのだと考えています。また、別の人は、肉体は滅びても、魂だけは残って、あの世で生きつづけると考えています。
 どちらが正しいのでしょうか? それとも、そのどちらでもないのでしょうか?

 秘伝書が教える死後の世界

 ここに「死後の世界とそこに至る道筋」をハッキリと書き記している、興味深い書物があるのです。それは、古来からチベットに伝わる秘伝書、『死者の書』と呼ばれる古文書です。そこには人間が死んでから、次のこの世に生まれてくる間の様子が克明に描かれていて、死の扉を超えた意識が、次から次へと形のない意識上の体験を積み重ねていく様子が記されています。
 はるかな昔から、何世代にもわたって積み重ねられてきた体脱体験(通常の状態で魂が肉体から抜け出る体験)と、臨死体験の資料をもとに編纂された、といわれるこの本は、今でも臨終の人の枕元や死者の棺を前にして、読み上げられているといわれています。
 この書物の元々のタイトルは『バルド・ソドル』というもので、「バルド(中間世)」というのは、人が死んでから生まれ変わるまでの間の世界、つまり「あの世」を表しているといわれています。この書物には、3つの役割が与えられているようです。

1.これから死を迎えようとする人に、死後どのような体験を経てあの世へ到達するか、を示す手引き書の役割。

2.死というものを、あるがままに受け入れ、恐怖心や不安、孤独感などを抱かずに、本来あるべき精神状態のままであの世へ行けるように諭す役割。同時に、この世にたいする未練や執着心を絶つことが、あの世に移行するための重要な条件であることを教える。

3.死者を見送る側の親戚や友人、知人たちにも、愛情やその場の感情から、死に瀕している者を、無理矢理引き戻そうとすることをやめるよう諭す、指導書の役割。

 というものです。

 ではここで、非常に興味深いその内容の大略を見てみることにしましょう。

@まず最初に、死に瀕している人の魂が肉体から離れて浮遊する。

A魂は、喜ばしい気持ちに包まれ、空間にいることに気づく。が、意識ははっきりしている。そして、驚くほど大きな騒音や響きが聞こえる。これらは、唸るような音だったり、ゴーゴーと響くような音、あるいは、風が空を切るヒューというような音など、いろいろな場合がある。また、自分自身や周りの景色が、灰色の電気のような明かりに包まれているのに気づくだろう。

B死者は自分の肉体から離れ、自分自身の死体を見ているのに気づいて驚く。そして、親類や友人たちが嘆き悲しみ、葬式の準備をしたりしているのを見ることになる。死者はこうした人たちに、呼びかけたり話しかけようとするが、何の反応もない。どうやら向こうからは、こちらからの姿は見えず、声も聞こえないらしいと感じて、焦る。

C多くの場合、死者はまだ自分が死んだことに気づかず、なぜこのようなことになっているかの状況がつかめず、混乱している。自分は死んでしまったのか、それともまだ死んでいないのか、と自問自答しながら、困惑する。

Dそして最後に、ようやく、自分が死んだことに納得すると、今度は、これからどこへ行くのか、何をしたらよいのか、と戸惑ってしまう。同時に、生きている間に、もっとしておくべきことがたくさんあったことに気づき、ひじょうに強い後悔の念にとらわれる。魂はこうした状態のまま、しばらくは自分の死体の周りにとどまっている。

E次に魂は、目の前に横たわっている死体とは別に、まったく同じ姿をした光り輝く肉体をまとっていることに気づいてびっくりする。ただし、この肉体は、物質からできているものではないらしい。家具や壁はもちろん、山のなかでさえ、何の抵抗もなく通り抜けてしまう。どこかへ移動しようと考えると、一瞬のうちにそこへ行ってしまう。知覚がひじょうに明晰になり、感覚はより鋭く、完璧になっていて、より自由な行動ができるようになっている。

F生前、目や耳、あるいは足が不自由だった人でも、この光の肉体のなかでは、すべての感覚が正常に働くことを知って驚く。そして、自分と同じような光の肉体をまとった人々や、「純粋な光」と呼ばれている、真の光そのものに出会う。

Gこうした光に近づくときは、他人に対する愛と、慈悲深い心を抱くようにしたほうがよい。そうすれば魂は、光のなかで限りない安らぎと充足感、至福感に包まれるだろう。

Hまた、その人間が一生の間におこなったすべての行為が、一瞬のうちに「鏡」に映し出される。この鏡の前では、嘘をつくことはできない。

 この『死者の書』に書かれている内容は、「臨死体験」をした人々によって語られるそれと、驚くほど一致しています。

 そこは愛と光に満ちている

 これまでに見てきたように、「人は死ぬと、魂だけが身体から抜け出て、あの世という特殊な次元空間に移行する」と考えられるようです。
  その時、人はどのような感じを味わうのでしょうか?
 その様子を、詳細に、しかも活き活きと描写している例があります。
 米・アリゾナ州に住む女流画家マイラ・カ・ランジさんは、妊娠3カ月半で流産する、という悲運に見舞われました。流産の状態はかなりひどく、母体であるランジさん自身も危篤状態に陥ったのです。その間、ランジさんの魂は、体外離脱をしてあの世を訪れたのです。
 ランジさんは九死に一生を得て生き返ったあと、その時に味わったあの世の様子や自分の感覚などを、芸術家らしい感性で話しています。それはおおむね次のようなものです。

 全身の筋肉がこわばって、収縮を始めたのがわかりました。赤ちゃんはもうダメなんだ、と思うと、つらく悲しい思いでいっぱいでした。看護婦さんが血圧計の目盛りを大きな声で読んでいるのが聞こえました。「上45−下15」「上23−下0」‥‥。突然、頭のなかに、まばゆい閃光が走ったと思った瞬間、私は身体の外に放り出されていました。
 とたんに、私は苦痛から解放され、自分の身体を見下ろしていました。その周りには、医師や看護婦たちが必死に救命措置をおこなっているのが見えました。そのとき私は、あの身体は本当の私じゃなくて、私が入っている容れ物にすぎないんだ、と悟ったのです。
 医師の一人が、「まずいことになった」と心のなかでつぶやいたのが、まるで耳に聞こえたかのようにわかりました。「私はとても気分がいいし大丈夫ですよ」と、医師たちに言ってあげたい気持ちでした。
 そのとき、光が見えてきたのです。それは、ちょうど井戸の底から太陽を見上げているみたいで、暗いトンネルのようなものの向こうに、大きな光が見えました。私はそれに吸い込まれるようにどんどん上昇し始め、それと同時に、私の身体やその周りにいる医師や看護婦たちから遠ざかっていくのがわかりました。
 光が近づくにつれて、それはまぶしいばかりに強烈になり、目の前いっぱいに広がった‥‥。かと思うと炸裂して、私はそのなかにすっぽりと包み込まれてしまったのです。そこは、圧倒されんばかりの愛と、普遍の安らぎに満ち満ちた世界でした。
 光は巨大な心臓の鼓動のように躍動し、私を元気づけていてくれるのがわかりました。私は「光」という言葉の本当の意味を知りました。神とは光でした。そして光のなかに、ありとあらゆる知識が存在していたのです。愛という言葉の、本当の意味もわかりました。恐怖や後悔や、悲しみも、つらいことも、苦痛もなく、ただ静かな平和。私は愛と光に包まれ、それと一体になっていたのです。
 (『臨死体験』片桐すみ子編・訳/人文書院刊)


 ランジさんは、肉体は「自分の本体である魂」の容れ物にすぎないことを悟った、といっています。そして、魂が肉体から抜け出て自由になったあとに訪れるのは、愛と光の世界‥‥神と呼んでもいい世界だ、というのです。
 これは、「あの世」という超超高周波の異次元空間を体験したときの、私たち人間の感覚、といってよいかもしれません。

 幽霊の世界から人間界を見る

 ところで、幽霊もまた、このような超超高周波の「あの世」にいるのでしょうか?
 幽霊がおかれた状態について、実によく描写していると思われる映画があります。
 『ゴースト』という映画ですが、観たことがおありになるでしょうか。
  (中略)
 自分の愛する者が、みすみす危険な目にあったり、別の異性に取られたりしてしまうのを、ただ悶々としながら、指をくわえて見ている以外にない。自分が命より大事と思い込んでいた財産が、目の前で他人に取られていくのを、ただ悔しがりながら見すごす以外に手立てがない、となれば、やり場のない怒りと、苦悶に満ちた毎日にちがいありません。
 これこそ「地獄」というものかもしれません。つまり、「幽霊」というのは、死後の「魂」が「あの世」へ帰りそこなった存在といったら良いでしょうか。かといって肉体はなくなってしまっているので、もはや「この世」にも戻れない、宙ぶらりん状態にあるわけです。
 この状態であっても、魂はエネルギーですから(私たち生きているものには見えないとしても)、エネルギーの形として存在しているにちがいありません。ごくたまに、そうしたエネルギーが持つ振動を脳が感知すると、見えることがある‥‥。それを私たちは、「幽霊を見た」といっているのではないでしょうか。

 幽霊になるのはどんな魂か

 幽霊はなぜ、このような宙ぶらりん状態になってしまうのでしょうか?
 前述の古代チベット『死者の書』から類推すると、次のようなことではないか、と推測されるのです。
 肉体は物質ですから、魂とちがって、その振動数はかなり低いのです。ところが魂は、本来いるべき「あの世」では、超超高周波です。生きている時は、この両者が合体しているわけですから、魂の周波数も、かなり低くなっている、と考えられます。そして死後、魂が「あの世」へ移行する時には、自らの周波数を上げなくてはならない。
 この段階で、周波数がスムーズに上がればよいのですが、それを邪魔するものが、いくつかあると思われるのです。

@死者が、自分が死んだことを自覚していない場合。

 映画『ゴースト』のように、突然の交通事故や災難で、あっという間に命を落とした人は、いまだに死んだ気がしていない場合が多いようです。この場合は、当然、魂があの世へ戻ろうとする意志に欠けていますので、周波数は上がらない。が、肉体だけは、焼かれてなくなってしまう、ということになります。したがって、魂は宙ぶらりん状態のまま残されてしまいます。

Aこの世に未練や執着が強すぎる場合。

 「愛する者を残して死ぬわけにはいかない」とか「私の財産を人に渡したくない」とか「私を殺した人間に仕返しをするまでは、死んでも死にきれない」等々。もはや「この世」には戻れないにもかかわらず、執念や執着心が強いと、魂だけが残って迷ってしまうのです。

B「どうしても死にたくない、この世にとどまりたい」という強い意志が捨てきれない場合。

 やはり、そのこだわりが、魂の周波数を上げる邪魔をしてしまうので浮かばれないのです。
 よくテレビなどで「心霊写真」というのを見ることがあります。「目には見えなかったのに、なぜか写真には写っていた」という幽霊の写真です。
 あれも、なぜ写るのか? といえば、幽霊というエネルギーは魂の世界である「あの世」での振動数にまで上がりきれない中途半端なエネルギー状態であって、現実の世界、つまり「この世」に、かなり近い低周波の領域に存在する。そこでそのエネルギーの原型の部分が映像という形で写真に写り込む、と考えられるのです。
 ではなぜ、目には見えないのに写真に写るのか? というと、おそらく、人間の目の可視範囲よりもフィルムの感光領域のほうがわずかに広い。したがって、見えないが写る、ということになるのではないでしょうか。

 憑依霊とはどんな霊か

 幽霊にも、いろいろな呼び方があるようです。ある場所や、そこに住む人に特に執着している場合、魂は、常にその辺にウロウロしている。これを「地縛霊」と呼び、あちらこちらと移動しているものを「浮遊霊」と呼んでいるのではないでしょうか。
 幽霊に関連して、「憑依(ひょうい)」という現象があります。幽霊のような中途半端な存在が、「ふたたび肉体を手に入れたい」と思うのは当然でしょう。そこで、生きている人間の、気力や体力が極端に落ちた瞬間を狙って、とり憑いてしまう。そして、とり憑いた魂は、人間の身体をつかって、自分の思いを遂げようとする。が、とり憑かれた人のほうも、それに抵抗しようとする。というわけで、憑依された人間の言動は、異常なものになってくるようです。

 肉体と魂はどのように結合するか

 日本での波動性科学の先駆者、大橋正雄氏は、その著書『悟霊の法』(たま出版刊)の中で、魂と肉体がどのようにして結合するかについて、大変興味深い仮説を発表しています。
 人間が受精すると、染色体(DNA)は外界のあらゆるエネルギーの作用を受けてその組み合わせが決まり、新しい一個の細胞ができる。この細胞には固有に波動が生じ、それと最も近似した波動の霊魂が共鳴する。以後、この霊魂の波動に合うように肉体がつくられていく。これが「肉体に魂が宿る」ということである。霊魂の波動が鋳型のような役目をし、その鋳型に合うように細胞が分裂して、肉体を形成し、月満ちて生まれる、というのです。
 氏は、物ごとの振動を「波動」と呼んでいます。また、魂のことを「霊魂」と名づけていますが、魂と肉体がどのように結合するか、についてこの仮説は、これまでに見てきたすべての物は振動している、という点から考えて、かなりわかりやすいもの、といえるのではないでしょうか。

 超ミクロの世界で魂を解く

 なぜ「生まれ変わり」や「あの世」が存在するのでしょうか?
 そして、いったいどのような仕組みで、私たちが生まれ変わってくるのでしょうか?
 これらの答えを探そうとするときに、頼りになりそうな科学があります。
 それは、超ミクロ(極微)の世界を探求する最新の科学「量子論」というものです。ニュートン力学以来の古典科学は、主として「目に見える」範囲の、「物質」を中心とした科学でした。
 ところが、その「物質」を細かく分析していって、もうこれ以上分析できない、という超ミクロの世界に迫ってみると、これまでに想像もしなかったような、不思議な世界が存在することを発見したのです。そして、そこにこそ、魂や、死後の世界などの秘密を解くカギが隠されているように思えるのです。
 では、その「量子論」の解き明かした不思議な世界へ、足を踏み入れてみることにしましょう。まず最初に、目に見えない「魂」のことはひとまず置いておくとして、とりあえず、目に見える「身体」から見てみることにしまょう。

 私たちの身体は6カ月で新しくなる

 私たちの肉体は、60兆個の細胞から成り立っているといわれます。その一つひとつの細胞のなかに、DNA(遺伝子)がおさめられている。そのDNAが、両親から受け継いだ遺伝的な性質や、自分と同じ細胞を「再生する」ための、情報を記憶しています。その情報をもとに細胞が身体をつくっていくわけです。
 私たちの身体は、時々刻々生まれ変わっています。古くなった細胞は、垢やふけ、汗や排泄物として身体の外に捨てられ、その代わりに、DNAに基づいて再生された新しい細胞が入れ替わっていくのです。ほぼすべての細胞が入れ替わるのには、約6カ月を要するといわれています。
 「老化」というのは、こうした細胞の入れ替わりが完全にいかないこと。つまり、古くなって捨てられる細胞よりも、新しく再生される細胞の数が少ないために、皮膚がたるんだり、全身の機能が低下したりしていく。これを「老化」と呼んでいるようです。
 細胞をさらに細かく分析すると、「分子」というものになります。これは、それぞれの物質の性質を失わない範囲で、最も小さな物質の単位といったらよいでしょうか。たとえば「水の分子」とか「空気の分子」などは、これまでにも耳にしたり、どこかで読んだことがおありになるでしょう。
 この分子を、さらに小さく分析していくと、「原子」というものに突き当たります。これは、水の分子でいえば、水素の原子2個と酸素の原子1個でできている。かなり最近までは、この「原子」こそが、すべての物質の究極の姿、と考えられてきました。
 ところが、1920年代の頃から、この原子が、さらに「原子核」と「電子」というものから成り立っていることが発見されたのです。
 原子の大きさは、1センチの1億分の1だということです。これはもう、想像を絶する小さなものですが、その中心となる原子核は、なんと1兆分の1センチしかありません。電子はさらに、その10分の1の10兆分の1センチ、という超ミクロの世界です。

 あなたの身体は穴だらけでスカスカ

 ところで、この原子核と電子の間の空間には、何があるでしょうか?
 今、仮に原子核をバレーボールの球くらいの大きさとして、それを東京駅の辺りに置いたとします。すると、電子はどの辺に存在するのでしょうか?
 なんと、電子はビー玉ぐらいの大きさで、小田原あたりにいることになるのです。つまり、電子は、東京・小田原間を半径とした円の周囲を回っていることになります。そして、その円のなかの膨大な面積にはなにがあるか? といえば、何もない真空、つまり「無」なのです。
 私たちの身体が、こうした原子の集まりでできている、と考えると、身体のほとんどは「何もない空間」ということになってしまいます。私たちの身体は目で見たり、手で触ったりすると、どこにも隙間のない、しっかりとした実体であるかのように思えますが、実はスカスカの穴だらけのシロモノなのです。
 文字どおり、身体は「カラだ」というわけです。

 人間の実体は小麦粉ひと粒より小さい

 身体ばかりではありません。私たちの身の回りのにあるすべての物質は、原子から成り立っています。学校で習ったことがあると思いますが、原子番号「1」の水素から始まって「112」のウンウンビウムまで、「元素の周期表」というのに載っています。この原子番号というのは、実は原子核の周りを回っている電子の数なのです。「水素」原子は1個の電子、「鉄」は26の電子、「金」は79‥‥といった具合です。
 つまり、宇宙に存在するすべての物質は、原子核と電子という、基本的な構成要素でできていて、それぞれの性質のちがいは、電子の数によってちがうだけなのです。
 言い換えると、人間の身体ばかりではなく、動物も植物も鉱物も、微細なバクテリアや空気のようなものに至るまで、いやそればかりか、宇宙の数多くの星たちをも含めて、みんな「同じものでできている」ということなのです。
 では、私たちの身体のなかの空間をまったく無くしてしまって、原子核と電子だけにしてしまうと、どのくらいの大きさになるか? というと、驚くなかれ、人間の身体は、小麦粉の、最も小さい粒の、一粒にも満たないことになってしまいます。
 では、地球でいうとどうなるか、というと、地球上のあらゆる物質の空間を取り除いて、原子核と電子だけにしてしまうと、なんと、リンゴ1個分に収まってしまいます。

 私たちは幻影の物質世界にいる

 では宇宙はどうでしょうか?
 太陽と地球の間は、1億5000万キロもの距離があります。この1億5000万キロを半径とした膨大な面積には、何があるか? 太陽と水星と金星と月と地球だけ。それ以外は、この広さに比べると、ほとんどないに等しい、小さな岩石の破片や人工衛星ぐらいしかありません。あとは、巨大な「無の空間」なのです。
 では、宇宙全体ではどうでしょうか?
 宇宙はあまりにも広大なので、今、仮に、全宇宙を地球ぐらいの大きさに縮小してみましょう。すると、どうなるでしょうか?
 とても信じられないことですが、宇宙にあるすべての物質を集めても、わずかに地表を這っているアリ3匹分くらいにしかならない、というのです。
 宇宙には、2000億の1000億倍もの星がある、といわれています。なかには、太陽の何百倍、何万倍もの星もたくさんある‥‥。にもかかわらず、それらを全部含めても、地球の大きさにたとえるとアリ3匹分にしかならない、というのです。
 では、宇宙の残りの部分は何か? というと、いうまでもなく、それは果てしない「無の空間」です。これは、まさに想像もしなかった驚くべき事実です。
 人間の身体をはじめ、あらゆる物質の正体は「からっぽ」だった。
 そして、超マクロの宇宙もまた、「壮大なからっぽ」というわけです。
 となると、この私たちが住んでいる宇宙なるものの正体は何か、というと、「何もない無の空間」ということになってしまいます。
 これまで私たちは、物質こそが実体のあるもので、計測が可能なもの、だからこそ信頼のおけるもの、として扱ってきました。そのために「物をたくさん持つことが豊かな生活である」と考え、「人よりたくさんの物やお金を持っているひとがエライ」という考えに立ってきました。そしてその結果が、今の非人間的な要素の強い西欧式科学文明、なるものなのです。
 ところが、それが主客転倒して、実は物質は、空間に比べると、取るに足らないわずかなもので、「空間こそが、この宇宙の主役である」、ということになってくると、これまでの考え方や生き方も、180度転換せざるをえなくなってきます。

 空間は創造のエネルギーで充満している

 ところで、ここに、さらに不思議な事実が発見されたのです。それは、「真空のなかにさまざまな放射線をぶつけてみる」、という実験の最中に起こりました。物質らしいものは一切ない、という厳密な真空をつくり出し、そのなかに、強力なエネルギーを持つ放射線の一種、ガンマ線を照射してみたのです。
 すると驚いたことに、その真空のなかから「電子と反電子」という一対の素粒子が発生したのです。
 これはいったい何を意味しているのでしょうか?
 何もないはずの真空から、すべての物質の基本構成要素である電子が飛び出してきた。ということは、文字どおり「無」から「有」を生じたわけです。しかも、この一対の電子と反電子は、衝突すると、その瞬間、一筋の青い光を残して消えてしまう。つまり、「有」から「無」に戻ってしまった、ということになります。
 ということは、空間は「からっぽ」なのでなく、むしろ、すべての物質を生み出す巨大なエネルギーに満ち満ちた存在、と考えたほうがいいのかもしれません。

 あなたの身体も物質も微かに振動している

 空間もまた、何らかの動きがあれば、それは計測器によって存在が確認されるはずです。ところが、まったく動きがないとなると、何も存在しないかのように見えるのでしょう。このような状態を、仮に「無」と呼ぶことにします。
 残念ながら、私たちの科学は、この「無」を計測できる装置を持っていません。したがって、それがどのようなものなのか? どのくらいのエネルギーを抱えているのか? 等々はわからないのです。
 が、ガンマ線をぶつけることによって、無の空間から有を生じさせることができる。
 ガンマ線というのは、強力なエネルギーを持った波の一種です。私たちの話す声やテレビの電波、目に見える可視光線から、レントゲンのX線に至るまで、すべては、このガンマ線と同じく「波」として振動しているのです。
 では、私たちの身体はどうか? といえば、精密な測定器で測ると、やはり振動していることがわかっています。
 肉体を形づくっている究極の電子が振動ですから、当然といえばとうぜんでしょう。その他のあらゆる物質も、調べてみると、微妙に振動しているのです。
 そして、脳波もまた振動している波である。となると、「宇宙に存在するすべてのものは振動している」ということになるのでしょうか。

 あの世では心の中が丸見え

 「あの世」では、言葉の代わりに、音のような振動で意志が伝わるのでしょうか。
 ここで注目したいのは、何かを考えると、それがすぐに他の魂にそのまま伝わる、という点です。つまり、「あの世」では隠し事はできない、ということでしょうか。
 さらに、ランジさんは、地球上の全人類が奏でる「人々の考えの総和ともいえる音を聴いた」というのです。

 突然、何の前触れもなく、美しく調和した交響曲をさえぎって、ラジオの雑音のような音が聞こえてきました。陰気でさみしげな音が聞こえはじめ、すぐに不愉快で悲しげな音に変わりました。私はひどく心を乱され、泣きはじめました。
 「あのひどい雑音は何ですか」私はたずねました。
 「地上にいる何百万人の人々の想念の発する音が寄り集まったものです」と彼らは答えました。
 「いつになったら調和のとれた音が聞こえるのでしょう」
 「地上の人々が、自分たちが互いにひとつであると悟り、憎しみのかわりに愛を考えるようになったときです」
 私はまた泣きました。
 「それは、ずっと先のことでしょうね」
 「そうです。でもあなたは手助けをすることができるのです。あなたがここで学んでいることを知らせること、それが助けになるのです」
 指図されたわけではなく、これは単に私が力を貸してあげられるということを言っているのでした。私には信じられませんでした。私はごく普通の人間で、いま聞いているひどい音を変えるために何ができるのか、考えもつかなかったからです。


 ランジさんの話のなかで、もう一つわかったことは、魂の世界にも思考や意思、それに愛や、平和や、光を、喜びとして感じる感情はあるらしい、ということです。
 考えてみれば、私たちは、肉体という、心を覆い隠すことのできる容れ物があるおかげで、自分が考えていることを、人に知られずに過ごすことができるのです。
 そのカバーがなくなり、魂がむきだしの状態で存在する、となると、お互いの考えは丸見え状態。
 隠し事は一切できない状態だけに、「心根の卑しい人は卑しいなりに、高貴な人は高貴な魂として誰にも認知されてしまう」という世界ではないでしょうか。考えようによっては非情な世界といえるかもしれません。
 そして、どうやらそこに、「生まれ変わり」がなぜ存在するのか? への答えも隠されているようなのです。

 周波数の高い魂は、魂の階級も上

 振動する波の世界で、もう一つはっきりしていることがあります。振動しているエネルギー(この場合は魂)は「断続的」に低いものから高いものへと層を成しているということです。そして、周波数が高いほど、エネルギーも高いのです。高いエネルギー(魂)と低いエネルギー(魂)との間は断絶していて、直接のつながりはありません。
 つまり、高貴な魂(高エネルギー)と低レベルの魂(低エネルギー)とは、世界がちがってしまうのです。となると、死んだ時点での、その人の魂のエネルギー状態(周波数の高さ)によって、行く世界がちがってしまう。死に臨むにあたって、魂のエネルギーが高ければレベルの高い魂たちがいる世界へ、エネルギーが低ければレベルの低い魂たちしかいない世界へ行くということです。
 でも、これはとてもたいへんなことです。なにしろ、お互いの思っていることが丸見え、という魂の世界でのことです。低級な魂ばかりがいる世界に入ってしまったら、たまったものではありません。
 量子論的にいえば、電子が高いエネルギー状態へ変化するためには、ものすごいエネルギー量が必要だということがわかっています。

 魂は何のために生まれてくるのか

 その莫大なエネルギーを、どこかから獲得しなくてはならない。が、魂の世界にいて、そのままの状態では、エネルギーを得たくてもその手段がないのです。唯一あるのは、魂が「この世」という別の次元の世界にいったん移行することによって、新たなエネルギーを獲得すること以外には考えられない。
 魂が「生まれ変わり」を通じて、何度もこの世に戻ってこようとするのは、そのためではないでしょうか。
 「より高いレベルに移行しよう」という意志を持ってこの世に生まれ変わってきたからには、さまざまな体験を通して、より高い意識や叡知を学び、自分自身のエネルギーをレベルアップしなければならないはずです。

 高貴な魂が教える、この世の真理

 ランジさんは、この「あの世」での体験のなかで、高貴なレベルの魂に出会い、そのことをも学んだと述べています。
 そして突然、たくさんの魂とは別の存在、より高い叡知と意識を持った何かが、側に来たことを感じ、彼女はその存在につれられて、上の方へと昇っていったというのです。
 そこは宇宙の一角のようであり、目の前に、青緑色に輝く地球が、ぽっかりと浮かんでいるのが見えたといいます。

 地球は振動する巨大な発電機のように脈打ち、うなりをあげていました。私は地球と地球上の人々に対する愛に圧倒され、地球には人間の作り出した不幸が存在するという、いま知ったばかりのことを考えてまた悲しくなって泣きました。
 地球の発する音は、ゆっくりと心臓の鼓動のリズムにあわせて大きなコントラバスが鳴っているようでした。地軸を中心にまわりながら、低くプーン、プーンと音をたてるのでした。そしてその音は他の惑星の発するさまざまな高さの音とまじりあい、畏敬の念にうたれた私は、この素晴らしい交響曲にうっとり聞き入りました。
 一瞬のうちに、私は宇宙を一望のもとに見渡せるところに連れていかれました。私はそこで、惑星のひとつひとつが他の惑星全体にとって、いかに重要であるかを教えられました。ある惑星に影響を及ぼすものは、他の惑星全体ばかりか、その星に住む全存在にまで影響を与える、ということを見せられました。
 つまり一人の人間――実は小さな惑星という一個の細胞――が個人の諸細胞ばかりでなくほかの惑星という諸細胞にいかに影響するか、ということです。宇宙と一体であることを知って非常なショックを受けた私は、自分はとるに足らないものだ、などともう二度と考えることができなくなりました。自分が他の人や惑星に対して何を行なっても、行為の内容や善し悪しにかかわらず、その行為は自分ばかりか周囲の人とも作用しあうのです。どの行為もそれ自体が生み出す反作用なのだということがわかりました。他人のためを思って行動しようと、他人に敵対して行動しようと、それは自分自身に対して行なったことになるのです。


 生まれ変わりは、どのような過程をたどるか

 米・ロサンゼルスの哲学探究協会を創設した哲学者、マンリー・P・ホール氏は、生まれ変わりについてその体験を、潜水員が心地よいさわやかな空気の世界から、重たい潜水服を着て、海底へと降りていくのに似ていると、その著書『死から再生へ』のなかで述べています。

 重たい潜水服は肉体で、海とはいのちの海である。生まれるとき人は潜水服を身につけるが、その霊は命綱で上方の光へとつながっている。人間は、隠された叡知という財宝を見つけるために悲しみと滅びの海の深みへと降りていく。なぜならば、経験と理解はひじょうに高価な真珠であり、それを手に入れるため、人はすべてのことに耐えねばならないからである。宝が発見されるか仕事を終える時がくれば、彼はふたたび船に引き上げられ、重い装備をはずし、新鮮な空気を吸ってまた自由を満喫する。賢人は、我々が「生」と呼ぶこのできごとが海底へのほんの一度の往復にすぎず、我々がすでに何度も下降したことがあり、また財宝を発見するまでこれから何度も潜らねばならないことを知っている。

 生まれ変わりがどのような過程で行なわれるのか? については、多くの研究者が、前世退行催眠や、あの世の魂との会話から、ほぼ共通した項目をあげています。

@魂は生まれてくる前に、ある種の選択をする。

Aそれは、生まれ変わるべき母体の卵細胞が持っている固有の振動数と波形が、自分の魂のそれとうまく合致させられるかどうか、によって決まる。

B魂のレベルアップによって必要と思われる環境を、ある程度選ぶことができる。

 たとえば、両親の境遇、国別、自己の性別等々‥‥。そしてときには、大きくレベルアップするために、生まれつき障害のある胎児に入ることを希望する魂もある、というのです。

 「カルマ」はどのように伝わるか

 では、いったいどのような仕組みで、いわゆる「カルマ」が伝わっていくのでしょうか。 これまでに見てきたように、魂というのは、空間が超高速で振動しているエネルギーの一種です。したがって、この振動している実体は波ですが、波には振動数(周波数)と波形があります。
 周波数が高いほどエネルギーが高い。つまり、エネルギーである魂が高レペルなわけですが、ある人生のなかで人を傷つけたり殺したり、あるいは動物や植物、そのほかの生物に、ひどい仕打ちをしたりすると、波形に傷がつく。
 言い換えると、波形がへんな形に変形してしまったり、周波数に乱れが生じたりしてしまう、と考えられます。生まれ変わって肉体がちがっても、そのなかに収まる魂自体は変わらないわけですから、前の生涯でついた傷は、そのまま波形や振動の傷として受け継がれていく、と考えられるのです。
 もう一つ、カルマを運ぶものに、DNAが考えられます。DNAはご存じのように、先祖代々の肉体的な性質を、遺伝という形で伝えていく記憶装置です。DNAは4つの塩基(A、T、G、C)と糖やリン酸が結合して二重の、らせん状になった鎖でできています。
 不思議なのは、このたった4つの化学記号の組み合わせだけで、30億もの膨大な情報を書き込んであること、そしてその情報によって、私たちの体の60兆もの細胞がつくられていることです。
 それだけではありません。地球上に生息しているあらゆる生物、カビやバクテリアのような微生物から植物や動物、人間までを含めて2000万種類もの生物が、すべて同じ遺伝子記号でできている、という事実です。
 さらに驚くべきことは、このDNAが、想像を絶するほど小さい、ということです。一個のDNAの鎖を引き伸ばすと、なんと1.8メートルにもなるのですが、この地球上に住む60億人もの人間のDNAを、全部かき集めても、わずかに、米一粒分の重さにしかならないのです。
 これまでの科学は、このDNAに、物質的な情報以外のものが刻印されることはない、という立場をとってきました。しかし最近、ガンの治療法の研究のなかから、どうやらDNAにも、精神的な影響が及ぶらしい、ということがわかってきたのです。
 ガンというのは、ご承知のように、DNAに起こる異常です。それには食生活とかタバコ、水、食品などに含まれる化学物質など、環境因子が引き金を引く物質であると考えられてきました。が、最近は、精神的ストレスや心のあり方なども、環境因子として認められてきたのです。
 ということは、心の大もとである魂もまた、DNAに影響して、キズをつける、ということが考えられます。そしてそのキズは、子孫代々伝えられていく。
 先祖のなかの誰かに、魂が大きなキズを残すようなおこないをした人がいると、そのキズがカルマとなって私たちに受け継がれる、ということでもあります。

 魂についてしまった傷を消すには

 では、こうした魂の傷を癒して、カルマを解消するにはどうしたらよいのでしょうか?
 これまでにおこなわれてきた数多くの調査例から見ると、次のような3つの方法があるようです。

@「因果応報」の原則どおり、自分が過去に犯した過ちを、次の人生で「仕返しを受ける」ことによって、解消するという方法。

 これはずいぶん消極的な考え方ですが、古来、宗教などでは、悲惨な人生にたいする説明として、よくつかわれてきました。「なぜ、私はこのようなひどい運命を背負っているのでしょうか」という問いにたいして、「それは、あなたが前世で犯した罪への償いなのです」といった具合。

A@よりも、やや積極的な考え方で、前世での過ちを償うために、今生で自己を犠牲にしても、一生懸命人のために尽くす、という方法。

 
 これは、かなり一般的に受け入れられている考え方、といえるかもしれません。
 が、究極の方法は、次のようなものです。

B宇宙の真理を悟ることによって、カルマを解消する方法。

 
 これには、宇宙の構造や仕組みを、すべてはっきりと理解することが大切です。そして「あの世」、つまり魂の世界と「この世」、つまり、私たちが肉体をもって生活する世界との関係やその仕組みを、完全に理解する。そのうえで、自分がこの世に生まれてきた意味と目的を、心の奥底から悟ることによって、傷ついた波形や、乱れた振動を正すことができる、というものです。
 
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