壊される日本
「心」の文明の危機
馬野周二・著 プレジデント社 1993年刊 
★ なわ・ふみひとの推薦文 ★ 
 本のタイトルが「壊される日本」となっていますが、著者が力説しているのは、単に日本経済が破壊されるというレベルのことではなく、日本の歴史や文化・伝統といった、いわゆる日本人の「心」が破壊されつつあることに対して警鐘を鳴らしているのです。しかしながら、この本が書かれた1993年から既に20年以上の月日が流れた今、わが国は著者が危惧していた通りの悲惨な状態に置かれつつあります。国民の大半は3S(スクリーン、スポーツ、セックス)に目を奪われ、世の中の大きな流れには無関心です。理解しがたいような残酷な犯罪が多発するようになり、テレビや新聞で報道されています。それらはすべて、今日の世界を支配下に置いている“ある強大な勢力”によって、意図的、計画的に実行されてきたことなのです。
 「そのことに気づく人が非常に少ない」と著者は嘆いています。確かに、日本人は家畜のように、ただ毎日を楽しく暮らせればよいという低級な民族へと退化しつつあると言わざるを得ません。ここでは、その“ある勢力”による日本侵略の足跡とも言える内容を抜粋しました。ぜひこの現実を直視していただきたいと思います。
 
 ペリー艦隊来航の工作者

 
ペリーは1852年に4隻の軍艦を率いて江戸湾頭に現れ、開国と通商を強要した。ペリー艦隊はきわめて大規模な艦隊であり、有力な海兵を搭載していた。
  当時の幕府はすでに幕末症状を呈しており、この武力威嚇に対して手の打ちようがなかった。ついに日米和親条約を締結したが、これは幕府の無知につけ込んだ不平等条約であった。そして日本は鎖国以来250年にして開国したわけである。
  当時の東アジアの状況を見ると、すでにインドは植民地化が着々と進められており、清国はアヘン戦争に敗れ、広東、上海等を貿易港として解放し、そこにはイギリス人を中心とする酷(むご)い貿易商人が入り込んで、中国搾取の体系を築き上げつつあった。 ところで、ここでわれわれが深く考えなければならないことは、イギリスさらにはオランダ、フランスの勢力が、それまでの2世紀の間に東洋の植民地化を進めてきた事実である。
  今日の歴史書には、単に英・蘭・仏の政府が国策として東洋の植民地化を進めたように書いてあるが、実は、彼らの植民地化の実態は、国家が動いたというよりは、むしろ各国の一部グループ(各東インド会社)による商業的冒険主義者の連合勢力による動きだった。
  日本人は、日清戦争以後の大陸進出が政府主導というよりは、むしろ軍部主導でなされた経緯があるから、イギリスやオランダ、フランスの東洋への植民地獲得活動を、日本と同じように政府や軍人たちによる計画的な動きだと考えやすい。しかし実際はそうではなくて、むしろ商工業者(その中核の冒険商人)による経済的侵略行為が、のちにそれぞれの政府によって認知されて、植民地として政治的体裁を整えるようになったのである。

 東インド会社の正体

  ここに国家的に海外進出を行なった日本と、それに3世紀先行するヨーロッパ各国との大きな違いがある。そして、こういう動きの中心には必ず何らかの思想的、宗教的な背景があるものだ。
  イギリス、オランダ、フランスの場合は、その中心を成したのはユダヤ系の商人であったと思われる。アメリカ大陸を発見したコロンブスも、その身元を探るとやはりユダヤ人であったと見られている。つまり、海外に出て行って商売をし、そこで軍事力・政治力を打ち立てて植民地化し、独占的商業圏を築き上げ、その住民を搾取するという観念は、ヨーロッパ土着の考えというよりは、むしろ古い中東の歴史から出た考えであると見るべきであろう。
  イギリスの東インド会社が設立されたのは1600年で、これは秀吉が亡くなって2年後のことである。そして、オランダの東インド会社ができたのは、それから2年遅れた1602年、フランスの東インド会社は1604年である。
  その後のイギリス、オランダ、フランスの植民地経営を見ると、現地の住民を教育するといった考えはなく、単に労働力として酷使したのである。また現地人の中で頭の良い者は、本国の大学に入れて植民地政府の従順な官吏として使った。
  さて、英・蘭・仏の東インド会社なるものは、主としてユダヤ系の勢力によって作られたものであり、その中には太古の中東から脈々と流れる精神が深く隠されていたのである。彼らの植民地支配の内容を見ると、流血と詐取と搾取の跡が歴々としている。こういうことは本来の敬虔なキリスト教徒である本国ヨーロッパ人は避けていたことであろう。
  たとえば中国に侵入したイギリスの行なったアヘン戦争と、アヘンの中国への無制限の持ち込みといったことは、尋常の精神で考えられるものではない。以後の中国は、上海を中心とするサッスーン財閥その他の、もともとアヘン貿易によって資産を成した者によって牛耳られていったのである。

 フリーメーソンの暗躍

  フリーメーソンの起原あるいは性格については、今日でもごく最内部にいる少数者を除いて十分に知っている者はいないと考えられるが、この東インド会社なるものの行動規範にフリーメーソンがまとわりついていることは疑う余地がない。
  ところで、すでにアヘン戦争を起こして中国に入り込んでいたイギリスが、なぜ日本に真っ先に来ないで、代わって米国の東洋艦隊司令官マシュー・ペリー代将が江戸湾頭に現れたのか。これは各国フリーメーソンの共同謀議の結果と見るべきであろう。
  彼らがアジア諸国を植民地化するに際して用いたのは、現地の王侯、大商人等をフリーメーソン組織に入れ、あるいは彼らを操って内部抗争を起こさせ、その混乱に乗じて全体を手に入れるという手口であった。インドなどはその典型である。
  たとえば戦前の中国は、まさしくフリーメーソンによって四分五裂の状態に陥っていた。孫文も、蒋介石を取り巻く人物の多くもフリーメーソンであった。蒋介石の婦人は宗美齢だが、この宗一家はことごとくフリーメーソンであった。そして周恩来もまたフリーメーソンであったと言われている。周恩来は若いころフランスに留学している。

 日本開国の遠謀

  それでは彼らは日本に対して、いったいどういう手を用いたか。
  幕末をフリーメーソンの光に照らしてみると、当時の事情が鮮明に浮かび上がってくる。ペリーの来航前、フリーメーソンは彼らの占領していた上海で日本征服の会議を開いたと伝えられている。その時期や場所、内容は現在のところわかっていない。おそらくその当時長崎の出島に橋頭堡を持っていたオランダのフリーメーソンが主導権をとって、日本征服の計画を練ったものと思われる。
  当時の清国に対してとった武力侵攻政策を日本に適用することは否決されたと言われている。それは、日本を武力で侵攻することに成功の保証がなかったからである。
 日本は侍(さむらい)の国であって、ペリーの来航66年も前の1786年に、林小平が『海国兵談』などで外国の攻撃の危険を説いていた。その後、多くの人が外国からの攻撃の危険を論じ、幕府はじめ各藩は海防を厳にしていた事情がある。
  アヘン戦争が1840年であるから、いかに林小平が先覚の士であったかがわかる。 日本侵入に関するフリーメーソン上海会議は、アヘン戦争以後数年以内に行なわれたものであろう。日本侵入の第一着手として、アメリカの東洋艦隊による日本強制開国が決定されたものと思われる。
  では、なぜイギリスではなくてアメリカだったのかという問題であるが、イギリスに対しては、アヘン戦争における清国での行状から、日本人は極端な悪感情を抱いており、またオランダは長年にわたって長崎・出島に住みつき、幕府に対しては極めて恭順の体裁をとっていたので、いずれも日本に開国を迫る当事者としては不適当であった。
  そこで、フリーメーソン国家アメリカが呼び出され、その任を授けられたのがペリーであったのだろう。
  極めて興味深いのは、ペリーに対するアメリカ大統領の訓令の中に、「決して武力を行使してはならない」ことが記されていたことである。つまり、日本の武士たちの対面を大砲によって破ることは、その後に計り知れない悪影響を及ぼすことを、彼らは悟っていたのである。
  アメリカ海軍のペリー提督は、日本開国について十分知識を集めて研究をして来たものであり、衰弱した幕府官僚は一方的に条件を呑まされるしかなかったのである。

 内乱を起こして植民地にせよ

  このとき、フリーメーソンはどういうプロセスを経て日本を手に入れようとしたのか。それは当時の事情から分析することができる。つまり、彼らの常套手段――対抗勢力を操って内乱を起こさせる――を使ったのである。
  幕府に入ったのがフランス・フリーメーソンで、フランスから相当規模の使節団を入れて借款を申し入れている。つまり薩長土肥の倒幕派に対して幕府が十分戦闘できるだけの軍資金と兵器・弾薬の提供を申し出たのである。
  一方、薩長側にはイギリス・フリーメーソンがついており、長崎に駐在していた武器商人のトーマス・グラバーを通じて相当の便宜供与を行なった。
  こうして日本を内乱状態に陥れ、そのどさくさに紛れて日本の植民地化を図ったのである。
  この時、日本に2人の英雄が現れた。一人は官軍の参謀総長である西郷吉之助(隆盛)、もう一人は幕府軍の参謀総長・勝海舟であった。西郷と勝が小人物で、英仏フリーメーソンの影響を受け、金で買われていたならば、とんでもない大戦争になり、江戸は焼け野原になって、今日までも大きな禍根を残しただろう。
  このような事情から、フリーメーソンはその後も日本への侵入と日本国家のコントロールをきわめて長期の計画で辛抱強く進めてきた。その後の日本の政財界の西洋一辺倒の風潮に乗って、彼らがその本心を隠して日本の著名な人士、勢力を持つ人物にそれとなく浸透していったことは間違いない。
  当時の元老・西園寺公望などは、10年間もパリに滞在したのち帰国しているが、彼は公家出身者で公爵でありながら、完全に、しかし隠微にメーソン的思想のもとに行動した人物である。フリーメーソンは現在の日本の政財界にも深く浸透していると考えて間違いはないだろう。

 
獅子身中の虫

  日本を日米戦争に導く構想が始動したのは1921年のワシントン軍縮会議である。
  それ以来、日英同盟の廃棄、中国における排日思想の誘発、満州における張学良を使っての日本との紛争の惹起、満州事変への誘導などの手が打たれ、さらに中国共産党と連携して支那事変を起こさせ、蒋介石を指導援助して対日抗戦を継続させた。そして最終的には、石油禁輸によって日本を絶体絶命の窮地に陥れ、ハル・ノートで戦争に追い込んだのである。この間の情勢を冷静に検討してみると、日本の政治家、軍人の非常な愚かさがあるし、また彼らの計画の水も漏らさぬ周密さが際だっている。
  1921年から41年までの20年間の日米関係、日英関係を振り返ってみると、深い謀略が周到に張り巡らされていたことが明らかである。
  しかも極めて残念なことに、日本国民の中にこれらの謀略の手先を務め、決定的に日本を対米戦争に追い込んだ者たちが見受けられる。もっとも忠実な日本人であるべき陸軍軍人の中枢にさえも、きわめて少数ではあるがその筋の影響を受けて日本を戦争に追い込むのに加担したものがいたのだ。

 
占領政策の内実

  こうして日本はイギリス、アメリカ、そしてそれらの意のままに動かされた中国によって自在に操られ、ついに支那事変から日米戦争へと追い込まれる。これは米英を動かしてきた中心勢力の隠微なる働きによることは明白であるが、一方、長年にわたり国内に培われていたマルキシズム、共産思想、社会主義分子によっても大きく動かされてきたのである。
  戦後の日本は6年間の占領によって根本的に変えられてしまった。米国外交政策を指導するフリーメーソンにしてみれば、天皇制を廃し、自由民主主義の美名のもとに少数の資本家を中核とし、大多数の国民を従順なる羊の群れとして搾取するという構想を考えていたことであろう。
  皇室はその力を削がれ、大部分の皇族は一般人となり、華族制度は解消され、財産税の無差別な適用によって上は皇室から財閥、市井の金持ちにいたるまで、すべて一様に巨大な収奪を被ったのである。
  これは、要するに伝統的支配階級を滅ぼす政策であり、日本の歴史的伝統、精神的中核を骨抜きにする作業であった。これによって今日、まったく骨のない、歴史を忘れたわけのわからぬ日本人が無数に出てきたのである。
  日本の敗戦後の状況は、フリーメーソン、イルミナティが表面に現れないようにして日本を改変し、彼らの思う方向に誘導してきた結果である。これは半ば成功し、半ば失敗したと言うことができるであろう。
  彼らは結局天皇制を廃止することができなかったし、天皇に対する崇敬を根絶することもできなかった。しかも、彼らが手を加えて大いにその衰滅を図った日本神道は、今日でも各地の神社が盛大である。少なくとも彼らが完全な成功を収めたとは言いがたいようだ。彼らからしてみれば、日本は頑強に彼らの誘導する方向に抵抗したということができよう。

 
日本経済のフリーメーソン化

  明治から大正、大正から昭和、昭和から平成と、それぞれ大きな時代の変わり目であった。現在は平成5年であるが、この5年間に日本のフリーメーソン化は急激に進んでいる。
  日本の企業は大挙アメリカに出て行った。そして日本の金融機関はたいへん巨額の金を海外とくにアメリカに持ち出した。そしていわゆるバブル経済がピークに達し、その破裂が起こったのもこの時期である。
  1929年のニューヨーク株式大暴落は決して自然的経済現象ではなく、周到に根回しされ、引き起こされた人為的経済現象であるというのが、私の考えである。これと同じく、一昨年初めからの株式大暴落は、1つの劇つまり人為的なものであって、まさしく半世紀前にニューヨークの市場を操ったのと同一の手によるものであると思っている。
  当時ニューヨーク市場を動かしたのは、もとより米国人であったが、それよりはさらに大きいヨーロッパの勢力、おそらくはロスチャイルドやワーバーグの関係者がいたのである。つまり、当時のアメリカ金融界はなおヨーロッパのコントロール下にあった。それと同じように、敗戦以来の日本の経済、政治、あるいは社会は、ほとんど完全にアメリカの手によって操られているといって差し支えない。

 
恐るべき時代の開幕

  さて、現在の日本の企業・金融関係者に世界支配中枢の手が伸びていることは確実である。しかもその魔の手はすでに官僚や学者や宗教関係者にまで伸びて、深く入り込んでいる。もとよりマスコミ関係、評論家には戦前から深く食い込んでいると言ってよい。
  私がもっとも危惧しているのは、次代の日本を背負うべき児童や青少年を規制する教育関係者に、すでにこの影が入り込んでいるのではないかということだ。一般に考えられているよりもはるかに広範に、彼らの力が入っていることを恐れざるを得ない。
  もちろん、彼らの力はすでに政界に深く入っている。共産党、社会党(現社民党)はまさしくイルミナティの代弁者である。そして自民党もまた、中曽根首相以来、その中枢部はこの一派によって独占されてきたように思われる。つまり、彼らと同調する以外に主要な政治家としてのキャリアを持つことができなくなっているのではないか。
  今や日本が陥りつつある状況は、決して誇張ではなく恐るべきものである。本当に恐怖すべき状況にわれわれは突入しつつあるのだ。

 
「見えざる植民地」日本

  われわれは第二次大戦によって植民地はすべて解放されたと思い込んでいる。アメリカ大統領ルーズベルトは、世界植民地の解放を第二次大戦を戦う有力なスローガンとしていた。しかしながら、これは他のルーズベルトの言明と同じくまったくのまやかしであった。西洋はその国家社会の本質として植民地主義を血肉としてきているのであって、それを一時の戦争によって捨て去ることなどとうていあり得ないのである。
  ところが、このことを日本人はまったく理解していない。外面の行動・宣伝に惑わされて、事の本質を理解していないものが多いのである。
  なるほど法制的に見れば、世界の植民地はすべて解放されてしまった。本国が直接に統治する植民地は消滅した。しかしながら、植民地主義の妖怪は決して消えていない。植民そのものの様態が変わってしまっているのである。
  第二次大戦に際して、なぜ西洋の首魁ルーズベルトが植民地解放を呼号したかをよく考えてみなければならない。ルーズベルトの政治は、人から吹き込まれた科白(せりふ)を、巧みな演技でもっともらしく並べ立てていただけなのだが、その科白の作者たちは、はるかに遠く世の中の動きを見、将来を慮っていたのである。
  どういうことかというと、直接統治という方式はすでに時代遅れとなって、非常に高コストなものになるという事態が進行していたからである。この世界史の方向をいち早く見抜き、それに対する方策をルーズベルトに授け、そして当時の世界最大の力を持つアメリカ国家を使って世界をその方向に誘導した彼らの先見と力量は、敵ながら天晴れなものであると言わなければならない。つまり直接統治によって覚醒した民衆の反乱が起こり、それを鎮圧しなければならないといった事態の発生によって、とうてい従来の直接植民地統治は不可能になると早々と察したわけであろう。
  さてそうすると、世界植民地主義の本源とも言うべきこの世界支配中枢が、いったい何を考えて従来の軍事的、政治的植民地経営を放棄したのだろうか。それは、世界はもう軍事力だけでは動かない歴史相に入ったことを理解し、特に核兵器ができた以上、実際にこれを使用する戦争が起こることはないという認識のもとに、その植民地体制の中心を軍事・政治から商業・金融に移したものと考えられるのである。すなわち、彼らが収奪をもくろむ国家・国民を商業・金融の世界的ネットワークの中に包含し、そこからまったく目に見えない間接的な方法をもって産業的・金融的に寄生し、自ら労せずして金銭・物質等を調達しようという考えである。
  日本は世界植民地体制の覆滅を目指して第二次大戦を戦った。これはそれなりに立派なものであったが、残念ながらアメリカの武力に敗れ、よくよく見ると、今日では完全なアメリカの植民地に堕してしまった。しかもそのことに気づく日本人が誰一人としていないのである。

 
再び狙われるアジアの国々

  周知のように、東洋は久しくイギリス、オランダ、フランスの植民地であった。第二次世界大戦の日本の奮戦によって、それぞれ独立国家となり今日に至っている。かつて日本の支配下にあった台湾および韓国、北朝鮮も独立している。そして、半植民地と言われた中国は今日堂々たる中華人民共和国として大国の位置についている。しかし、これらの国々の将来が新しい植民地主義から安泰であるかと言えば、これには大いに疑問符をつけるべき理由がある。
  日本自体がすでにその実態はアメリカの植民地である。このような状況がいずれこれらの戦後独立した諸国に及ぶであろうことは明らかである。
  一国ないし多国を植民地化しようとする場合、彼らの使う常套手段は、その内部に2つないし3つの勢力を分立させ、それぞれにエージェント(諜報員)を送り込み、これらを互いに抗争させて、その国家ないし社会を弱体化させ、その間隙に乗じて侵入するというものであった。この方法は、植民地方式が大変化した今日でも、まったく同じ構図のもとに応用されているものと考えてよい。複数の勢力を抗争させて相手を倒させ、自らの目的を達するという方法は、常に彼らがとってきた方法である。
  東アジアを彼らの自由にするために行なったのが日中間の離隔、そして最終的には日中戦争を起こすことであった。蒋介石政権と日本政府は幾度も和平を交渉したにもかかわらず、どこからか邪魔が入って成功しなかった。当時のすべての事態を洗ってみると、ここに隠微な陰の手が回っていたことがわかる。この日中間の抗争の中でもっとも陰謀の働いたのは西安事件と、近衛首相の「蒋介石相手にせず」の声明の2つであった。それには、かたや周恩来、かたや尾崎秀実の両共産主義者による力が大きかった。共産主義なるものが世界支配構造の1つの駒であることからすれば、すべてが割れてこようというものである。
  これは1930年代の事件であったが、1990年代には何が行なわれるであろうか。一般に報道はされていないが、デイビッド・ロックフェラーが幾度も中国を訪問しているし、すでに上海には戦前のアヘン戦争以来奥深く食い込んだサッスーン財閥も復活したと伝えられている。かたや日本にもデイビッド・ロックフェラーはしばしば来日しているが、最近の報道によるとフランス・ロスチャイルド家からも人が来ていると言われている。
  日本人は、戦後の洗脳(もちろん世界支配勢力による)によって、戦前のことをすべて忘却させられ、それを一方的に日本の悪逆によるものと教え込まれて、逆に世界中枢に通ずる筋、その最大の傀儡アメリカ政府に対するまったく無邪気な信頼が抜きがたく育ってしまっている。戦後の愚昧狡猾なる政治家たちはアメリカに追随し、彼らの言うとおりに事をなし、さらには言われない前から彼らの意向を察して事をなすといった、哀れむべき状態に陥ってしまっている。

 
「金融」による新たな植民地化

  西洋文明は根元的に他民族、他地域に寄生する習癖を持つものであり、大戦による日本の努力によって全世界的に解放された旧植民地体制に代わって、新植民地体制が現れてくるのは理の当然なのである。では、いったいこの新植民地体制とはどんな様態のものなのか。
  それは金銭的、情報的支配である。
  第三世界の資源は、今日完全に西洋新植民勢力によって押さえられている。そして世界的な西洋化、アメリカ化を見ると、文化的植民地化の歴々たるものがある。すでに日本の伝統的文化は「国際化」によって危機に瀕している。スクリーン、スポーツ、セックスのいわゆる3S政策は、今日全世界を覆ったが、これは西洋植民地化の一面に過ぎない。
  今ここで私が明らかにしておきたいのは、誰も気づいていない「金融寄生」植民地化である。実は日本がその最大の被害者なのである。日本の貿易黒字は、国民の精良な日本精神から由来したものである。その貴重な日本人の生来の美質と勤勉によって得た金銭は、完全に西洋勢力によってだまし取られている。
  つまり日本は、誰も気づかないうちに西洋植民地化に成り下がっていたのだ。

 
終わりに

  ころは日本の幕末だった。今はむしろ世界終末の気配が濃い。いつの時代にも覚者は稀少である。だが幕末には数多くの志士が自らの想いに命をかけた。平成のとろけた若者はいったい何を思っているだろうか。
 
今われわれに必要なのは、真実を曇りなく見抜くことである。いつの時代にもそれは時の権力によって隠されるのが常であるが、現在は衆愚政治の広範化、金銭経済の肥大、情報技術の革命によって、事実の隠蔽、虚構の造作は驚くほど盛大に進行している。
 
今の世界権力とはいったい何なのか。いかなる目的を抱いているのか。――それを考える自由は誰にでも与えられている。だがそれに気づく者はほとんどいないのが実情である。世にこれ以上危険なことがあるものではない。
  人間にはそれぞれ持って生まれた性能と背負った宿命がある。世の危険を予感し察知する能力は、少数の人たちにしか与えられてはいない。それを弁知し分析する知能を併せ持つ人に至っては、ますます少ない。さらにその危険の根因に思いをめぐらし、その正体を突きとめる人に至っては稀というべきだろう。
  読者の身辺目先の話にたとえれば、先ごろのバブル(経済)の顛末を見通した人は稀だ。ところが問題はそこに留まらない。覚者の警告は大衆によって無視される。逆に世相の短気のベクトルを増幅して益もない言説を流し虚名を求める者たちは数多い。これらの者の吹く笛の音に迷わされ、どれだけの人が大金を失ったか。いつの世にも変わらない大衆の悲哀である。さらなる厄介は、稀少なる世の覚者を大衆は嫌がる。目先の欲得に水を注すからだ。

  金を失うくらいならば大したことではない。個人であれ国家であれ、元通り心を入れ替えて働けば済むことだ。しかし、もしバブルがこれらから金を抜き取る計略であっただけではなく、日本の人と社会を壊滅させる計画の一環であったならば、実に恐るべきことだろう。読者の深考を促したいところである。
  これからのわが国の政治、社会は腐敗の度を深めてゆき、長期暗夜の時代に入るおそれが大きい。かくて、どこにその根因があるかわからないままに、表面的な対症療法で時を過ごし、病巣はますます体内深く入り、ついに斃死するに至る。
  殷鑑(いんかん=失敗の先例)はアメリカにある。これは200年前につくられた人工国家である。「人工」であるからには設計図があるし、工事を指揮した者がいるはずだ。それは誰だろうか。この国と社会はこの30年間にツルベ落としに落下した。この現象も「人工」であるはずだ。200年にして壊れるように設計してあっただろうからだ。
  今にして思うのだが、日本もまた130年前、幕末維新の時、不完全ではあっても同じ手によって「設計」されていたのではなかったか。それを完成するのが「平成維新」ではないのだろうか。その手に悪魔の刻印が捺されていたとしても、それに気づく人は寥々(りょうりょう=非常に少ないこと)たるものだろう。
  もとより建国や維新はその時代の要求に応じたものであり、それなりの必然性があった。それを否定することはできない。革命、戦争、恐慌もまた同じ。人心と体制は変化を拒む性質がある。しかし世は進む。変化は必然である。だが悪魔がその「間」に入ることにわれわれは注意しすぎることはない。
 
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