日本はこのままでは
「下流国家」に転落する
欧米列強の植民地支配を防いだのは
江戸時代の日本人の「品格」だった
 
  SAPIO 2006年1月25日号
   藤原正彦(お茶の水女子大学教授)
 
 
 国家の品格は、それ自体が防衛力である。日本が開国した幕末から維新の頃を考えると、そのことがよくわかる。当時、欧米列強が日本を植民地支配しようと思えば、軍事的には十分可能だったはずだ。植民地支配の論理は「劣等な民族を優秀な民族が代わりに統治する」というものである。
  ところが、当時、もっとも近代的な都市と言われたロンドンですら識字率が20%程度だったのに、江戸末期の識字率はおよそ50%に上り、世界最高だった。万葉集の時代からノーベル文学賞が存在したならば、江戸時代までに100人の受賞者が出ていただろうと思うほど、日本は世界に冠たる文学を誇っていた。
  江戸時代にも松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門といった大天才が輩出し、町人までがその作品を愛好していた。だから、明治初期に来日したロシアの亡命革命家メーチコフは、のちにこう書いた。
 「書かれた言葉を愛好する習性が、ヨーロッパでは見たことがないほど広まっている」
  また、武士道精神が浸透していたおかげで、実利的なものや金銭を低く見る風土があり、1549年に来日したフランシスコ・ザビエルも「日本人は不思議だ。貧しいことを恥とせず、商人よりも貧しい武士が尊敬されている」と目を見張った。同様に、明治初年に来日したアメリカの生物学者モースも「どんな外国人でも、自分の国では道徳教訓として重荷になっている善徳や品性を、日本人が生まれながらにして持っていることに気づく。最も貧しい人々でさえ持っている」と感心した。
  このように当時の日本が文化的にも道徳的にも高いレベルにあり、品格ある国家だったからこそ、欧米列強は日本に植民地支配の論理を当てはめられなかったばかりか、日本を畏怖したのである。品格ある国家に対して世界は敬意を払わざるを得ないのである。

 
世界に軽蔑されている日本

  ところが、今はどうだろうか。
  品格ある国家には4つの指標がある。1番目は独立不羈(ふき)、つまり、自らの意志に従って行動できる独立国であること。2番目は高い道徳。3番目は美しい田園。それが保たれているということは、美しい情緒が存在する証拠である。4番目は学問、文化、芸術などで天才が輩出していることだ。天才が輩出するためには、役に立たないものや精神性を尊ぶ土壌、美の存在、神や仏、偉大な自然などに跪(ひざまず)く心が必要だからだ。
  今の日本にはこの4つの指標にいずれも反している。特に最近は属国と言ってもいいほど、アメリカの言いなりである。様々な犯罪が頻発し、金銭至上主義がはびこり、道徳心も傷つけられている。かつて欧米人にその美しさを褒めそやされた田園は、すっかり荒廃してしまった。社会ばかりか教育現場にも実利優先主義が蔓延し、跪くのは金銭に対してである。
  つまり、今の日本は品格ある国家ではなく、他国から畏怖される存在ではない。これでは中国、韓国、北朝鮮からなめられ、理不尽な難癖をつけられるのは当たり前だ。日本を軽侮しているのは東アジアだけでなく、世界の国々も同じである。

 
本来日本人が持っているはずの美意識・品格が失われていく

  日本の国益が何かと問えば、多くの人が安全と繁栄と答え、そこに最終的な価値があるかのように考えている。だが、その2つは国家の品格を保つための手段にすぎない。もしも安全と繁栄を絶対視するなら、アメリカの51番目の州に編入してもらうのが最善の方法だ。テロの脅威はあるものの、他国に侵略されることはまず絶対にあり得ない。経済も半永久的に世界トップでいられる。「国益=安全と繁栄」と考えるからこそ、今のように対米従属にならざるを得ないのだ。

  日本は幕末の開国という第1の狼狽により、江戸以前の日本を封建主義であるとして否定した。それでも和魂洋才で魂はなんとか保ったが、大東亜戦争の敗戦という第2の狼狽によって戦前のすべてを否定した。そして90年代初頭以降、バブル経済の崩壊という第3の狼狽を経験した。
  第3の狼狽はたかが経済の問題である。にもかかわらず、自分たちの美風と国柄に自信と誇りを失い、改革につぐ改革(実態は改悪なのだが)を行ない、市場原理の導入に走っている。
  市場原理は「すべての人は消費者である」という考えを出発点としている。だから、規制を撤廃し、米をはじめとする安い農産物を輸入できるようにすることが人の利益になるとする。だが、それを徹底すれば、日本のようにコストの高い国の田園は荒廃してしまう。特色のある地方文化はずたずたに切り裂かれ、効率優先の郊外型店舗がはびこるばかりである。田園は日本人の「情緒」の源泉であり、それがあるからこそ歴史的に素晴らしい文学や芸術が生まれてきた。
  また、能力に差がある以上、市場原理を徹底すれば、勝者は常に勝ち続け、敗者は常に負け続ける。その結果、貧富の差は拡大する一方だ。しかも、勝者はひと握りであり、敗者が多数となる。これは弱肉強食、すなわち獣の世界である。

 
市場原理導入、経済改革で国家の品格が破壊される

  市場原理を徹底させれば、金銭至上主義、拝金主義が横行し、まるで闇討ちのように時間外取引によって企業を買収するといったことがまかり通る。そのような卑怯を恥じ、憎む心、惻隠(そくいん)の情がないがしろにされる。
  このように今の経済改革は単に経済の範疇にとどまらず、日本人の美風と日本の国柄、すなわち品格を破壊する。武士道精神は昭和に入ってから少しずつ損なわれてきたが、敗戦とバブル経済の崩壊という第2、第3の狼狽によって徹底的に傷つけられようとしているのだ。
  こうした事態を止め、日本が失われた品格を取り戻すためには、人々を目覚めさせるしかない。とりわけ子供に対する地道な教育が重要である。ところが、市場原理は教育現場をも蝕んでいる。
  どんな国、どんな民族でも、教育の基本は1に国語、2に国語であるはずなのに、「グローバル時代を生き抜くために」という美辞麗句のもと、小学校から英語やパソコンの授業を導入し、実利優先で金融や株についてまで教えようとしている。これでは品格なき日本人が増える一方だ。
  ここまで述べてきたことは、言葉を変えれば、すべて戦後の日本人が「祖国愛」を失ったことがもたらした弊害である。いわゆる「愛国心」には2つの要素がある。ひとつは「ナショナリズム」で、自国の利益のみを追求し、他国のそれは踏みにじってもよしとする浅ましい思想である。もうひとつは「祖国愛」だ。これは自国の文化、伝統、情緒、自然などをこよなく愛することで、家族愛、郷土愛、人類愛につながるものである。世界に出ればわかるが、「祖国愛」のない人間は信用されない。
  ところが敗戦後、日本が再び敵となることを怖れたアメリカ(GHQ)によって「ナショナリズム」とともに「祖国愛」までが否定され、ソ連の影響を受けた日教組主導の教育によって子供たちは「祖国愛」を教えられずにきた。
  今の子供たちに「祖国愛」をたたき込めば、彼らが大人になった時、孫の世代にも「祖国愛」を伝えてくれる。だが、そうした教育をないがしろにし続ける限り、今後数十年間、日本は品格なき国家に成り下がり続けるだろう。今の事態はそれほど嘆かわしく、情けないのである。(談)
(一部割愛しています――なわ・ふみひと)
 
★ なわ・ふみひとのひとくち解説 ★ 
 藤原氏は、かつて世界中から尊敬されていた日本が、今では国家の品格を失い、軽侮されるようになっていると嘆いています。しかしながら、なぜこの国が品格を失ってしまったのかということについては、「アメリカの占領政策やソ連に影響を受けた日教組主導の教育にその原因がある」というだけで、そのようにお膳立てをした犯人捜しを避けています。もう日本の品格の喪失は手のつけようがないので、今更犯人捜しをしてもどうしようもないのは確かですが。日本も日本国民も、もう退化が止まらないのです。深刻な国家の危機、民族の危機を迎えていると言うべきでしょう。
 それにしても、藤原氏が嘆いている内容が、『大本神諭』や『日月神示』に述べられている神示と全く同じであることに驚きます。「お金至上主義」に陥っている今日の日本人の姿を見ますと、日本が、そして人類が、間違いなく「終末」を迎えていることを実感させられます。
 
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