日本をダメにした売国奴は
誰だ!
前野 徹・著  講談社+α文庫 2006年刊 
 
 序文 ―― なぜ歴史がゆがめられたのか

  果たして今、日本という国、わが祖国はこの地球上に存在しているのだろうか。ふと疑問に感じる時が増えた。確かに地図上には日本国がある。しかし、それは単に日本という土地があり、その上に1億の民が暮らしているだけで、国家の体を成していないのではないか。明確な日本国の像が私にはだんだん見えにくくなっている。私の胸中には聞違いなく日本の国がある。だが、現実の日本を眺めると、それは私の内なる国家とはほど遠い、半分融けかかった国のようなものがあるにすぎない。
  戦後60年有余を過ぎ、今の日本を振り返るにつれ痛感する。これほどまでに白色人種の日本改造の手際は見事で強かだったのかと――。
  戦後、日本はあらゆる面で改造され、日本の伝統や文化は木っ端微塵にされ、国家が解体された。戦勝国である白色人種たちの連合国は日本を焦土と化した後も完膚なきまでにこの国を解体する必要があった。日本が、近世以降、白色人種の国に服せず、刃向かった唯一の有色人種の国だったからである。未来永劫、そのようなことが二度とあってはならないと考えた白色人種たちは、占領統治の間、徹底的に日本のシステムを造り替えた。綿々と続いてきた日本の習慣やルールを強制的に変更し、拘束を与えた。その拘束具の象徴とも言えるのが、戦後間もなく占領軍主導でつくられた、国の見取り図である日本国憲法や教育基本法である。
  戦勝国が意図した日本の改造、解体の基本路線は、頭のなかに国家のない人間の群れをつくることだった。たとえば企業の利益は考えても、国の利益は頭からすっぽり抜け落ちている日本人の養成である。こうして戦後半世紀余りの間に、経済人も官僚も政治家も教育者も文化人も知識人もマスコミ人も裁判官も、自分の所属している集団の利害には敏感でも、国益にはまったく思いが至らないという異常な国が出来上がってしまった。官僚は既得権益、省利第一で国家を顧みようとしないし、経営者は自社の利益のためなら国益に反する事業にも何の躊躇もなく手を染める。
  今、日本という国家の概念を持っている日本人がいったいどのくらいいるだろうか。日本という国家のことを常に念頭に置き、行動の規範にしている人はほんの一握りしかいない。国の概念すら初めから持ち得ていない人が大半だ。
  国防を担当する幹部自衛官数人をゲストに招いた討論番組で、ある評論家に「あなた方は何を守ろうとしているのですか」と問われて、全員答えに窮したという笑えぬ話もある。国をあずかる政治家も国家観のない人物が圧倒的多数派だ。それどころか、この国の最高責任者である小泉純一郎総理でさえ、その頭のなかには国家がない。
  主権があって初めて独立国である。主権とは何か。領土、国民の生命、財産、そして営々と先人が築いてきた伝統、文化、歴史を守ってこそ主権国家と言える。ところが、今の日本はどうか。島根県の竹島は長らく韓国に実効支配されている。東シナ海の尖閣諸島は日本人の上陸さえままならない。尖閣諸島周辺では中国がガス油田開発に着手し、既成事実を着々と重ね、尖閣諸島を事実上、自国に組み込もうとしている。北朝鮮では日本人が拉致されたままで、今なお未解決のままだ。
  ところが、小泉内閣は近隣諸国の領土侵犯には及び腰で抗議らしい抗議もせず、小泉総理も一切その件には触れない。代わりに、中国の非難に応じて先の戦争は侵略戦争だったと詫びて、日本の歴史をねじ曲げている。そのうちに竹島も尖閣諸島も中韓の領土になるという最悪の事態がやってきかねない。私は心から憂えている。
  一般大衆から指導者まで、頭のなかに国家が存在しない。地図上には日本という国があったとしても、国民の心のなかになければ、それは国家とは言えないのだ。

  現代日本の無惨な状況を見るにつけ、改めて白色人種の狡猾さ、用意周到さを感じないわけにはいかない。戦後、彼らが行った日本の改造は今意図した通りに実っている。その手腕は見事というほかはない。これは皮肉でもなければ、白色人種への非難でもない。互いに生き残るために、知恵を働かせ、しのぎを削るのは国際社会では当たり前のことだからである。日本は武力による戦争に負けただけでなく、戦後の銃器なき戦いでも負けたとも言える。
  国際社会ではさまざまな戦いが日々繰り広げられている。戦争は武力衡突による目に見える形で起きるものだけではない。経済戦争、思想戦争、資源戦争、民族戦争、外交戦争……無形の戦いが常に行なわれている。国なき日本、国なき指導者を仰いでいる日本は今後も、あらゆる戦争で敗北をし続けるだろう。そして名実ともに亡国にまで進む。考えたくはないが、これが今、現実になりつつあるシナリオだ。
  孫子の兵法に「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」という教えがある。戦後このかた、日本人は敵を見ようともせず、白色人種のしつらえた枠組みを自分たちの普遍の価値観と思い込み、ただ安易に流れてきた。
  戦後日本の最大の過ちとは何か。自国の真実の歴史から目を背け続けたことである。「歴史を軽んずる者は歴史に罰せられる」――。
  真実の歴史と対面しようとしなかった国家や民族は必ず没落していく。今日本が直面しているのは、歴史を直視して来なかった国家、民族の悲劇である。歴史を軽んじた国がどのような哀れな末路を辿るのか、今、世界に向けて見本を見せている。
  しかし、残念なことに、日本人はまだ目覚めない。ヨン様だ、マツケンだと一瞬の享楽に目を奪われ、刹那に身を委ねている。その延長線上で政治を捕らえ、ヨン様ブーム、マツケンブームと同列で純一郎ブームが巻き起こる。その結果、歴史と対面して来なかった国民は小泉劇場に酔い、小泉自民党は2005年9月の衆議院選挙で歴史的大勝をおさめ、小泉さんに全権を委ねてしまった。
  だが、お祭り騒ぎはもう終わりだ。嫌でもそんなことは言っていられない状況がやってくる。歴史と対面して来なかったツケが大きなしっぺがえしとして日本人に襲いかかってくる。これがどれほど空恐ろしい選択だったか、間もなく気づく日が来る。

  私は歴史の真実を訴え続けている。数冊の著書を出版し、幸い人口に膾炙され、何冊かはベストセラーとなった。反面、私のなかに絶望にも似た素朴な疑問が常に湧き起こってくる。なぜ、一介の経済人にすぎない私が、歴史を伝えているのだろうかと。
  私は歴史学者でも何でもない。私が伝えている歴史は若き日に幸いにも接することができた諸先輩から受け継いだものである。永野重雄さん、五島昇さん、鹿内信隆さん、今里広記さんなど戦後の経済人、小説家の山岡荘八さん、作曲家の吉田正さん、棋士の升田幸三さん……。戦後の良識あるこうした方々から折に触れ、軸足のしっかりした歴史観に基づく真実の日本の歩みを、聞かされるともなくうかがった。石原慎太郎さんとともに末席で。
  当時、まさか私がうかがった歴史の真実を世の中に訴える日が来るなどとは夢にも思わなかった。諸先輩方はむろん、一般の人々の多くも、日本人として確かな歴史観を持っていたからだ。戦勝国の歴史の改竄(かいざん)と洗脳を受けても、実体験を通して歴史を見るしっかりした軸足が多くの人々にあった。
  ところが、10年経ち、20年経ちと歳月を経るにつれ、白色人種の戦略と左翼の策謀が実り、歪(ゆが)められた歴史を信じる人たちが次第に増えていった。そして気が付けば、大方の日本人が本当の歴史がわからなくなっていた。
  一般大衆だけでなく、驚くべきことに歴史を専門にする学者たちもあべこべの歴史を疑おうともせず、西欧の歴史観で日本の歴史を断罪している。
  正しい歴史を語っても、マスコミは一笑に付し、真剣に検証しようともしない。やむにやまれず、筆を執ったのが6年近く前である。
  今、私はある種の宿命を感じている。私は、真実の歴史の語り部としての役割を負ってこの世に生を受けたのではないかと。執筆するなかにいつも聞こえるのは先人たちの魂の声である。そして、諸先輩方の悲痛な叫びだ。 「早くしないと手遅れになる。石原君と手を携え、日本人に真実の歴史を伝えてくれ」――。
  平成16年12月、私は肺ガンで生死の境をさまよった。2カ月間にわたり、昏睡状態に陥り、幾度か三途の川を渡る寸前までいった。そのたびに、聞こえてきたのも先人たちの魂の叫びだった。まだ死ぬわけにはいかない。私には先輩たちから託された真の歴史を伝えるという使命がある。日本人が真の歴史に目覚めるまでは死んでも死にきれない。老骨にムチ打ちながらも私は筆を執る。
  私が書いているのではない。諸先輩の日本への思い、日本人としての魂が筆を進めていると感じる瞬間が幾度となくある。
  本書では日本の正史、伝統と精神に照らして、日本をダメにしてしまった人々を明らかにした。痛烈な批判もあるが、個人に対して誹謗中傷したいわけではない。ひとえに戦後の日本人に宿る病根をひとりでも多くの方に知っていただきたいためである。ご容赦願いたい。
 
★ なわ・ふみひとのコメント ★
 今では数少なくなった真の“憂国の士”とも言える前野徹氏は、2007年2月8日、享年81歳で亡くなりました。氏は東急エージェンシーの社長を退任後、自ら勉強会などを主宰しながら、著書や講演を通じて、没落し続けるこの国の政治や社会の現状を憂い、警鐘を鳴らし続けた方です。
  ここにご紹介したのは序文のみですが、著者が訴えたい内容はご理解いただけたと思います。私も前野氏の分析には共感するところが多く、その著書の数々を読むたびに、この国の悲惨な現状を憂い、行く末を悲観しがちになるのですが、「現実を直視する」という姿勢は大切ですので、元気を出して読むようにしています。
  当サイトに、氏の代表作の『ついに、来た! 第四の国難』(扶桑社/2004年刊)をアップしていますので、こちらもぜひお目通しください。
 
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