霊人の証明
続々 丹波哲郎の死者の書
丹波哲郎・著 中央アート出版社 1983年刊 
 
 
 第1章 「霊人」の証明

 
長南年恵が霊界から何らかの使命を与えられて現世に現われてきた、いわゆる「霊人」であったかどうかを調べるには、まず「霊人」とはどんな存在か、を検討してみる必要があるだろう。
 言うまでもなく「霊人」というのは、“この世”ならぬ“あの世”の住人である。
 というと、どうして“あの世”のことが判るのか、と疑問に思われる方もいるかもしれない。
 “あの世”のことが判らなければ、当然、その世界の住人である「霊人」のことも判るはずがないからだ。そこで、霊界の実相を語るものとして、「生きながらにして霊界を見て来た」というエマニュエル・スウェーデンボルグの報告を掲げよう。これが現在考え得る限りにおいて、最も克明で最も信頼できる「霊界報告」であるからだ。
 この「史上唯一の霊界探訪者」のことは、前にもいろいろなところで紹介してきたので、ご存知の方も多いと思うが、18世紀に生まれたこの傑物の「霊界報告」は、今日においてますますその信憑性の高さが評価されてきている。
 彼の著わした「霊界の実相」が、心霊科学や超心理学の分野の研究が進んでいくにつれて、それが“真実”の報告としか考えられないような状況になってきているのだ。たとえば、レイモンド・ムーディ博士が“近似死者(ニアデス)”たちの共通体験例から報告している“死者”たちの「死の直後」の様相などは、スウェーデンボルグが述べていることとみごとなくらい合致している好例だろう。

 スウェーデンボルグはスウェーデンの貴族であり、政治家、科学者、数学者、哲学者のうえ発明家でもあるという多才な人物で、あのゲーテの『ファウスト』のモデルとまで言われたほどの業績を残している。彼が霊的にめざめたのは、55〜56歳の頃と言われており、以降、生きながらにして霊界と現世とを往復するようになり、10数巻にも及ぶ『霊界日記』を著すに至る。
 当時、スウェーデンボルグは、この霊界報告の日記を出版しようと様々な出版社に持ち込むが、ことごとく門前払いを食ったばかりでなく、友人からも「君のような社会的地位のある人間がそのような荒唐無稽なことを言い出すと信用にもかかわるからよしなさい」と忠告を受ける始末だったという。やがて、うさんくさい人物として社会的にも退けられるようになり、いわば母国を追われるかたちで英国へ渡ることになる。そして、この国において、スウェーデンボルグは、例の『霊界日記』をようやく自費出版というかたちで世に問うことができたのである。しかし、まったく世間の注目を集めることもなく、黙殺されてしまうのだ。
 彼の業績が陽の目を見たのは、その死後しばらくたってからだった。その死後136年を経た1908年、母国スウェーデンの学士院は国王に依頼して、わざわざ軍艦を仕立ててスウェーデンボルグの遺骸を引き取りに行く。これはまったく前例を見ない待遇であるわけで、彼の業績がいかなる意味を持つものであるか、そして20世紀においてすらその価値が高いことが、ようやく理解されたことの明白な証しといえる。また、1910年、ロンドンにおいて「国際スウェーデンボルグ会議」というものまで開かれ、世界中の学者や宗教家など400人が出席して、彼の業績を20世紀の学問水準に立って討議、検討したと言われている。

 さて、ではそのスウェーデンボルグが『霊界日記』において報告している「霊人」の特徴とは何なのか。長南年恵の生理、行動と共通する点はあるのか、無いのか。話をその点に絞って検討してみることにしよう。
 まず、冒頭の雄吉(長南年恵の弟)の「事実証明願」にも記述されている「大小便という生理現象がない」ことや「絶飲絶食の状態であった」という“事実”については、次のとおり説明付けられる。
 つまり、「霊人」という存在は、まったく「食物をとらない」のである。だから、生理現象がないというのも、しごく当り前の話になる。
 霊界における「食物」は、このように説明されている。
 すなわち、霊人たちは現世におけるような「食物」や「飲物」を必要としない。というのも、人間がなぜ「食物」や「飲物」を摂る必要があるかといえば、肉体を保持し、健康な状態を保つため、というのが最大の理由であるわけだ。ところが霊人というのは、そもそも。“肉体”を持っていないのだから、必要ないのは当然なのである。人間界における“肉体”に相当するのは、“霊体”と呼ばれるものだが、これは「霊界の太陽」から発せられる「霊流」というものによって生かされる仕組みになっている。“霊体”を保つために、「食物」や「飲物」にあたるものをことさら摂る必要などないのである。
 ただ、人間界から精霊界へ渡ったばかりの時期においては、禁煙をはじめて間もない人間がしばしばロさみしさを覚えるのと同様に、過去の習慣の名残りから、「食物」や「飲物」を求めるケースはあるという。(しかし、その場合にも実際に「食物」や「飲物」を摂るわけではなくて、その“幻像”を口に運んで食事をしたような気になってみるだけである。だが、やがてその愚かしさに気付くと、まったく欲しがらなくなってしまうのだ)
 また、スウェーデンボルグは「天使たちにとって、食物にあたるのは“愛”であり、飲物に相当するのは“知性”である」という意味のことを語っている。

 次のポイントは、長南年恵が実際の年齢は45歳にもなっていながら20歳そこそこにしか見えなかったという“事実”である。これは、弟の雄吉が10数年ぶりに郷里で姉と再会して驚いたと語っていることでもあり、現在残っているその当時の肖像写真を見てみても、誰もが同じ感想を抱くに違いない。
 この“事実”については、スウェーデンボルグが『霊界日記』のなかで語っているように、次のとおり説明できる。

 
霊たちの時間の観念に関連して私はひとつだけ面白いことをいおう。
 ここに2人の霊がいたとしよう。1人は人間界的にいえば20歳過ぎの青年の顔つき、1人は同じように60歳を越えた老人の顔つきをしている。あなたは、どっちの霊が若くどっちが年寄りだと思うだろうか。この世のいい方でいえば青年は若く、老人は年をとっているということになるが、青年のほうは老人より数千年も前に死んで霊界に入っているのである(霊はふつう年はとらない)。
 つまり、「霊人」においては、霊界に入ってから長い経歴を持つもの(長老)ほど、見たところ「20歳ぐらいにしか見えない」のだ。というのも、「霊界における年の取り方」は、たとえば70歳で死んだとすると、人間界とは逆にだんだん若返っていき、「20歳」までさかのぼると、そこで年齢がストップする。また、幼くして死んだとすると、これはだんだん成長していって、やはり「20歳」でストップすることになるのだ。だから、長南年恵が「霊人」だとすると、「20歳くらい」の若さに見えたとしても、決して不思議でも何でもないのである。


 3番目のポイントは、長南年恵が絶飲絶食状態にありながら、たいへんな重量の水桶を軽々と運んだり、大の男を相手にいろいろ力くらべをしても簡単に負かしてしまうほど、大力の持ち主であったこと。ところが、なぜかその背後に誰か人が立つと、奇妙にその力は失われてしまった、という“事実”である。これも、「霊人証明」の有力な材料のひとつなのだ。

 
私はその霊の後に回ってその霊の肩越しに村の様子を見回ろうとした。するとその時彼の視線が強く光って私を見すえたように思った。つぎの瞬間、私はなぜかわからぬうちに地面に投げとばされていた。彼は私の手を取って起こしながらいった。
 「人(霊)の背後に回るは霊界ではもっとも非礼の行為なり。汝、以後気をつくべし」
 霊の背後に立つことが非礼なのだという霊界の不思議な礼儀については、そのようなことをすると前の霊が霊界の太陽から受ける霊魂の流れを乱し、その霊に苦痛を与えるからだ。 なぜならば霊魂はそれぞれの霊の顔から流れて入り後へ流れていくものだからだ、といった。


 以上のようなスウェーデンボルグの報告と、年恵の背後に誰か人が立つと怪力ぶりが失なわれてしまった、という“事実”とはピタリと合致していることが判る。また、大の男をころころ負かしてしまうほどの怪力ぶりについては、人間界と霊界とでは「時空間」の概念が違っているからであり、スウェーデンボルグの報告でも「霊たちは巨岩を転げ落とさせたり、粉々に砕いたりするほどの恐るべき力を備えている」と述べられているのだ。大の男の一人や二人を軽く打ち負かすことなど、実にわけもないことなのである。

 さて、4番目のポイントは、長南年恵の周辺、特に髪の毛のあたりから、いつも「いい香りがしていた」という“事実”。
 雄吉の「事実証明願」の1項目にもあるように、彼女は2カ月以上も獄中に拘禁されて、入浴や洗髪の機会など、ほとんど与えられなかったものと思われる。ところがその髪は「いつも結いたてのように黒々と艶やか」であり、形容しがたいほどの「いい香り」がほのかに匂いたっていたという報告があるのだ。
 実は、霊界と「におい」とは深い関連性があるのである。
 スウェーデンボルグの説明でも「悪霊たちのはびこる“地獄界”では、堪えられないような悪臭が充満している」というし、反対に、「天使たちの遊ぶ。天界層や神界層では、えも言われぬふくいくたる香りが満ち満ちている」のである。こうした両者の「におい」の相違は、その霊の霊格の反映であるという。つまり、霊格の高い霊人ほど、いい香りを好むものであるし、自らその周囲はつねにいい香りに包まれている。ところが、霊格の低い悪霊となると、逆に悪臭が彼らのごちそうというわけで、好んでそういう場所を求めたがるということなのだ。
 わが国の古い経典でも「仏(死者)の食べ物はにおいである」と述べたものがあって、仏前に“香”を献じるのはそのためだ、とされているほど、霊界と「におい」とは密接な関連があるのだ。
 だから、長南年恵の周辺に、いつも芳香が漂っていたという“事実”は、彼女が高い霊格の持ち主であったことの証明材料とも言えると思う。

 続いて5つめのポイントは、鶴岡監獄の中でも、年恵の家や参詣中の神社でも、多くの人びとが耳にしたという「妙なる音色」についてである。これは信者たちばかりでなく、獄吏とか群衆整理の警官たちまで聞いている。いずれも、年恵に「神様がお下りになった」状態のときに聞こえてきたという。“証人”の形容によれば、その音色は雅楽のしょう、ひちりきや、笛、鈴の音などのようであったとも言うし、「どの神様がお下りになったかによって音色が違っていた」とも言われている。
 では、霊界と「妙なる音色」との関連性はどうか。
 これも、「におい」のところで述べたのとほぼ同様の説明がつくのである。
 つまり、「におい」と同様、「音」もまた、その霊の霊格や「霊界で置かれている状態」を如実に示す役割を果している。要するに、霊格の高い霊人たちの住む天界層、神界層では、いつもどこからともなく、心を浮きたたせるような「天上の音楽」が流れているものだという。反対に、地獄界では、悪霊たちの霊格の状態を反映して、不快このうえもない騒音のようなものが、耳障りに響いているというのだ。
 霊界と「音」との関連を語るもっとも身近な例をあげよう。ひとつは「死の知らせ」とか「虫の知らせ」というものである。遠方にいる縁者などが、その死を近親者に伝えるこの現象は、「扉を叩く音がした」とか「風もないのに窓ガラスが鳴った」など、その多くが「音」で通信されている事実はよく知られているところである。
 また、たとえばお通夜などで死者の霊が近親者に寄こす、ある種の「音」通信も、知られている例のひとつだろう。鈴を振る音にも似た「妙なる音色」を伝えてくる死者は、自分が幸福な状態で満足のうちに死んだことを示しているといわれる。ところが、「無念の死」といわれるような死に様の死者は、何か破壊的な衝動に駆られ、近親者にも「耳障りな音」を伝えてくるものだといわれている。
 このように、霊界と「音」とは緊密なつながりのあることが、おわかりと思う。

 次に掲げる“事実”は、「いったいどこへ行ってしまうのか、しばしば年恵女の姿が見えなくなった」と弟の雄吉をはじめ、側近者たちが語っている証言。これが6番目のポイントである。今まで自室にこもっていたかと思うと、忽然と姿を消していたり、神社ヘー緒に参詣に赴いた際にも、ふっといなくなったり、ということがよくあったという。
 そこで思い出されるのは、エマニュエル・スウェーデンボルグの、やはり「よく姿を消した」といわれる行動である。伝えられるところによれば、彼はしばしば自室にこもって一切の入室を禁じ、2、3日間から長いときには1週間以上も姿を現わさなかったという。もちろん、その間、食事をした形跡はない。本人の語るところによると、彼はその期間、「霊界へ行っていた」というのだ。また、スウェーデンボルグは、ゴッテンバーグというスウェーデン西部の都市の集まりで、奇妙な「姿の消し方」をしている。ちょっとの間姿が見えなくなったと思っていると、戻ってくるなり彼は突然、今ストックホルムで大火事が起こっていると語って一同をびっくりさせる。しかも、まさに目の前で見てきたとしか思われないほど、克明にその様子を語って聞かせたのだ。ある者が首をかしげながら、どうしてそんなことが判るのかと問うと、「今、実際に見てきたからだ」という答えである。当然のように一同の者たちは、彼の話を信じないまま当夜は散会となったが、2日後、ストックホルムからまさに彼が語ったとおりのニュースが飛び込んでくるに及んで、ようやく事実であることが知れたのだ。この事件は「ストックホルムの火事の話」として、当時ヨーロッパ中に広まり、スウェーデンボルグの名を一躍高めたといわれる。しかも、あの大哲学者カントが、わざわざこのことを本にまで著わしているのである。
 長南年恵の場合も、姿を消したとき「霊界」へ行っていたか、あるいは今のスウェーデンボルグの話のように、どこかの場所へ行っていたと考えても、決して不思議ではないだろう。
 「霊人」にとっては、瞬時にある場所から別の場所へ移動することなど、極めて容易な話であるからだ。いかに遠く離れている場所の往復でも、霊の世界の住人にとっては、少しも障壁とはならないばかりか、すべて一瞬のうちにやってのけることが可能なのだ。というのも、「霊人」は肉体ではなく霊体を移動させるからである。言い換えれば、“念”を飛ばすことによって、即座に目的の場所への到達が可能というわけなのだ。
 年恵女が「霊界へ行っていた」ことの裏付けは、姿が見えなくなったばかりでなく、証人たちが語っている「誰か死人が出ると、年恵女に頼んで、その様子を教えてもらった」という報告や、「日清戦争の予言を多くし、ことごとく当った」という事実、それに「失せ物などもピタリと言い当てた」ことによっても明らかだろう。

 7番目のポイントは、長南年恵が「自分の死を予告していた」という“事実”である。彼女は明治40年10月29日にこの世を去っているのだが、その2カ月ほど前から周りの人たちにお迎えの近いことを語っていたという。
 「自分の死を予告する」ことは、古今の大霊能者と呼ばれる人に、例外なく見受けられると言っていい。あのノストラダムスにしろ、エマニュエル・スウェーデンボルグにしても、「何年の何月何日に、どういう死因で」ということまで予言し、実際、そのとおり寸分の違いもなくこの世を去っている。彼らのように、霊界からある使命を帯びてこの世に生まれ出て来た“特別な存在”は、その使命が全うされたとき、守護神によって“お迎えの日”が知らされ、予告どおり霊界へ召されていくものらしいのである。
 年恵の場合、「2カ月ほど前に自分の死を予告した」という以上に詳しいことは、残念ながら判っていない。年月日や死因まで語ったかどうかは明らかではないが、自分の死の予告は誰にでも可能なことではない。やはり、ある種の“選ばれた存在”にのみできることは確かなのである。

 最後の8番目のポイントは、他ならぬ長南年恵の「極楽娘」と呼ばれるような屈託のなさ、性格の良さである。弟の雄吉も「姉はバカに近いほど無欲で、人が欲しいと言えば、羽織でもかんざしでもさっさと与えてしまった」と語っていることや、「母や目上の人間に極めて従順」であったこと、さらには「14、5歳の子供のように無邪気に、大の男たちと腕相撲やら綱引きやらに興じる」といった性格のことである。
 これがどうして「霊人」と結びつくかというと、次の理由による。つまり、霊界において好まれる性格、言い換えると“良いポジション”につける性格というのがあるからだ。それは、何よりも“素直”であり、物事にこだわらない“屈託のなさ”であり、自分のことを顧ることなく他人のために尽す“無私の心”である。
 「極楽娘」という愛称で周囲の誰からも愛されたに違いないこうした年恵の天衣無縫さは、まさに“霊界向き”といえるだろう。霊界でもかなり良いポジションヘ行ける者に共通の性格を備えているように思えるのだ。

 これまで掲げたいくつかのポイントをもう一度整理して書き出してみよう。まず、長南年恵に見られる顕著な特徴は――

@ 大小便という生理現象がなく、絶飲絶食の状態であったこと。

A 40歳を過ぎても、20歳そこそこくらいの若さにしか見えなかったこと。

B 大の男を負かしてしまうほどの大力の持ち主であったこと。

C つねに彼女の周辺から芳香が匂いたっていたこと。

D 「神様がお下りになった」状態のとき、どこからともなく妙なる音色が流れてきたこと。

E しばしば年恵女の姿が見えなくなったばかりか、死者の様子を語ったり、未来予知も行なったこと。

F その2カ月ほど前に、自分の死を予告したこと。

G 「極楽娘」という愛称で呼ばれるように、明るく素直で屈託のないよ“童女”のような人柄であったこと。

 
そして、それに対応する「霊人」の特徴は次のとおりである――

@ 霊人は、一切「食物」や「飲物」を必要としない。従って、「排泄作用」もないものである。

A 霊人は、人間界の常識とは逆に、だんだん若返っていって「20歳」が最高年齢(最長老)であること。幼くして死んだ者は、だんだん成長していくが、やはり「20歳」で年齢は止まる。

B 霊人は、「山を崩し、岩を砕いてしまう」ほどの恐るべき力を備えているものであること。

C 霊人にとって「におい」は、その霊格の反映であること。霊格の高い霊人ほど芳香を好むものであり、いつも快い香りに包まれている。

D 霊人にとって「音」もまた、その霊格や霊界における状態を反映していること。霊格の高いものや幸福な状態にあるものは、妙なる音色に包まれる。

E 霊人は、念じさえすれば、瞬時に思うままの場所へ移動できるばかりでなく、時空間を越えて、「過去」や「未来」のことまで、つぶさに知ることができる。

F 特別の使命を帯びて人間界に現れた霊人は、その使命を全うした時期に、霊界からお迎えの日を知らされるものであること。

G 霊界において“良いポジション”を得られる性格は、「素直さ」「屈託のなさ」「無私の心」であること。
 
なわ・ふみひとひとくち解説  
 ここで使われている「霊人」という言葉の意味は、「肉体のままこの世と霊界を行き来できる人」ということです。つまり、三次元世界の肉体を持ちながら、四次元の世界へ行ったり来たりすることができる“超能力者”ということになります。いま流行の「幽体離脱」というレベルではないのです。
 マヤの予言による「2012年終末説」をきっかけに「人類は終末の土壇場で次元上昇する」ということを話題にする人が増えました。「次元上昇」は「アセンション」と同じ意味で使われているわけですが、これは新約聖書の中で、処刑されて死んだはずのイエスが肉体のまま消えたあと再び肉体を持って現れたことに由来する言葉で、「昇天」とも訳されています。
 この本に出て来る長南年恵という女性は、肉体のまま霊界に行き来できたということですから、イエスと同じように大変霊格の高い人(霊)であったことがわかります。単なる霊能者という意味ではないのです。そのように霊格を高めるにはどうすればよいのかということを理解する上で、ここにご紹介したエピソードは大変参考になると思います。
 
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