シルバー・バーチ霊言集
A・W・オースティン・編 桑原啓善・訳
潮文社 1984年刊
 
★ なわ・ふみひとのコメント ★ 
 今日ではシルバー・バーチに関する書籍はたくさん出版されていますが、本書は今から30年以上前に出されたもので、わが国では最も古いシルバー・バーチ本の一冊といえるでしょう。1938年に英国で出版された「シルバー・バーチの通信」全11巻の中の第1巻を翻訳したものとなっています。
  本書の原文は「である体」で書かれていますが、それではシルバー・バーチの霊言の謙虚で温かい内容とそぐわない感じがしますので、ここでは「ですます体」に改めさせていただきました。
 
 人生の目的は「たましいの成長」

●霊的な大きな力が、いま地上世界に向かって降りていきつつあります。地上のあらゆる国々で、次第にこの力が感得されていくでしょう。いま地上では大事業が進展しています。それは地上の利己と無知を打破しようとする運動です。やがて時が来たれば、この事業は必ず達成されます。しかし、その前に、必ず大きな産みの苦しみがあります。

どんな暗闇の中にあっても、決して希望を捨ててはいけません。そして次のことをしっかり心に銘記していただきたいと思います。地上を住みよい世界に変えようとする人たちは、最後には必ず勝ちます。なぜなら、その人たちと共にある力は、宇宙の至高の力でだからです。

●産みの苦しみがなければ、悲しみの涙がなければ、価値あるものは何一つ実現できません。地上世界はやがてこのことを、苦しみと悲しみの涙をもって学びとることになるでしょう。いま私たちは、物質界の暗黒を打ち破ろうと活躍しています。また私たちの教えは、いま世界の至る所で人々の心を啓発しつつあります。こうして、霊の光が次第に地上に浸透していくにしたがって、
唯物主義の闇は消散するのです。

●私たちは罰をちらつかせて人を嚇(おど)すことはしません。怯懦(きょうだ=臆病なこと)で卑劣な人間になってもらいたくないからです。私たちが願うところはただ一つ、「人間の内部には神性がある」ということです。もしこのことが理解できれば、人はいよいよ神性を発揮し、ますます進歩し、その心は知恵と真理で限りなく満ちあふれることになるでしょう。

人は「もうこれでよい」と満足してしまってはいけません。不満との飢渇によってのみ、知は自分のものになります。満足する人はそこで止まり、渇く人はいよいよ大きな自由の天地に入るのです。

●神のものであるものは、犠牲なしでは成就しません。人は涙を持って建設を贖(あがな)いとらねばならないのです。大きな物質的不幸が来て、初めて人は霊的なものへ心を向け始めます。
あらゆる物質的なものが倒れて後、初めて人は一本の藁を求めます。

●人類はいま危機に瀕しています。いつも、
新しいものが生まれる前には陣痛があります。いま新秩序が生まれようとしていますが、それは即ち苦痛が増大しつつあるということです。

●これから大きな変化が数多く起こるでしょう。破壊が起こり、動乱もたくさん起こります。いわゆる暗黒と困苦の時代が来つつあります。
何もかも悪くなったと人は言うでしょう。しかしその背後には、世界の進歩をめざす大きな力が隠れています。

●高い世界から、来たるべき地上の姿を見ることが許されている多くの仲間の霊たちがいます。私たちは、その見たところの意味を一部の(霊的に)敏感な人たちに伝えます。その人たちが自信をもってご自分の仕事を進めていけるように――。私の見るところによりますと、地上は現在よりも更に醜悪なものとなります。その到来は時間の問題です。

やがて新しい民族が台頭します。その民族は一切の政治も宗教も科学も知識も、ただひとつのものの各部分であることを認めます。その日には、苦しみも涙も嘆きも災いも消え失せ、地上はただほほえみと幸福の国へと変わるでしょう。

●地上世界は、神の法に帰らねばなりません。帰郷――まさにそれです。徐々にではありますが、神の法が実現に向かって近づいています。その様子を、私はこの目で見ることができます。

損得勘定を捨ててください。あなたがたは人の僕(しもべ)となり、奉仕だけを心がけてください。その時、神はあなたがたに働き給うのです。どんな人にとっても、これが狂いのない神の法です。道はこれ以外にありません。神の法は完全無欠ですから、誰も法を欺くことはできないのです。あなたがたはこの神の法を学び取り、実践に移していただきたいと思います。

●私の背後には、真理を伝えようとする多数の霊魂がひかえています。私はその中の一人で、その伝達係にすぎません。では、その伝えようとする真理とは何でしょうか。それは単純素朴な霊的真理、すなわち「
人間はみな、一人ひとりが生命の本源である神の分身である」ということです。あなたがたの内部には神性が宿っています。ですから、あなたがたはあらゆる恵みを手に入れることのできる資格者です。あなたがたの前途に横たわるどんな障害も邪魔物も、必ず払拭されます。私たちは、単に霊的・精神的な解放だけを目ざしているのではありません。物質的な解放も目指して仕事を続けているのです。

ここに大きな霊力があります。その力は、人類への奉仕を志す人々を助けようと待っています。このことを地上世界の人たちは早く理解してほしいと思います。人々はこの知識をもってすべての迷信や過去の霧と闘い、霊的真理の光明を明々と輝かすことができるのです。私たちの仕事とはこの理解を進めること、また、他方では霊力を地上へ運ぶことです。この霊力によって、人は奮起し、導かれ、支えられ、また渇いた心は満たされ、苦痛にゆがむ肉体は癒され、知恵と真理と啓示と霊感が人々に与えられるのです。

 神法について

●あなたがたの内部には偉大な霊性が宿っています。また、人は幾多の進化過程を経て今日に至ったのですから、誰でもその内部に動物性の痕跡が残っています。しかしながら、人間の内にある霊性はどんな遺伝や痕跡にもまして偉大なものです。もしあなたがそれをちょっとでも発揮するならば、あなたは地上をまるで神のように歩くこともできるのです。

●人間は本来その内部に、病気を治し、悩みを克服する力を持っています。弱った時にはいつでも引き出せる力の貯蔵庫すなわち“大我”を持っています。つまり、天国は人の内部にあるのです。しかし、人はこのことをほとんど知らないのです。この“大我”に接する道は、神法に従って生きるしかありません。

人生はその「行為」だけでなく、その「言葉」、その「思念」からも成り立っています。「行為」だけと思ってはいけません。もちろん「行為」は重要です。しかし、「言葉」と「思念」もものを言います。悲しいことに、あなたがたの多くは「思念」の主人ではなく、その奴隷となっています。

●人はすべて、一人ひとりが神の分身であり、一人ひとりが神の御業(みわざ)と力と愛と知とを担うことのできるものです。
あなたがたが弱い人に手を差しのべれば、神の力はたちまちあなたがたを通じて働くようになるのです。

●どのようにそれをするか、誰を助けるか、どこで闇に光を点ずるか、そんなことは問題ではありません。ただ、あなたがたが失意の人を立ち上がらせ、力の萎(な)えた人に力を与え、暗い所に光を灯し、飢えた人には食を、枕する所のない人にはねぐらを与えさえすれば、それでよいのです。

●あなたがたは、一つには神のため、一つには疲れて悩む人々のために働く決意をもってください。彼らの重荷を下ろし、彼らに希望を与え、新しい知識と光と力とを与えてください。それによって彼らが、身体には力を、心には勇気と生気とを満たし、神の恵みを享受できるようにと。そのことを通じて、あなたがたはは奉仕の喜び、すなわち、人を助けるということ以外に自分のためには何も求めない奉仕の喜びを知ることになるでしょう。

●神は無限であり、人はその神の分身です。人がもし完全な信と正しい生を守るなら、神の恵みを受ける者となります。もし飢えていたとしても、完全な信さえあれば、その報いは必ず得られるのです。

●これが法の働きです。もし法に同調する道を体得するなら、その成果が必ず手に入ります。もし成果が得られなければ、それは法に同調しなかったからです。貧しい人、賤しい人でも、法を試みた人は必ずその報いを得ることができます。

●時には、魂がくじけて環境に負けてしまうこともあるでしょう。しかし、あなたがたに完全な信念があれば、必ずどんな地上の困苦にも屈せず立ち上ることができます。顔を太陽に向けてください。太陽は神の素朴な象徴です。そうしてこう言うのです。「私は神の分身です。滅びることはありません。私は永違であり無限です。地上の物質や有限なものは、決して私に指一本ふれることはできません」。こう言い終えれば、あなたがたはもはや、何ものにも犯されることはありません。

●人は何か事を始めるに当たり、まず心に「うまくいかないのではないか」という恐れの気持ちを抱きます。この恐怖が心の波長を乱すのです。しかし
全き神への信と愛があれば、恐怖はなくなるはずです。まず神の国と神が正義であることを、心に描いてください。そうすれば、すべて必要なものがあなたに与えられます。これは昔イエスが語った教えですが、イエスは法の働きをよく知っていて、人の目の前で法を働かせては、その証拠を人に示しました。みなさんも、このように法を働かせさえすれば、その成果はあなたのものとなるのです。

●ここにもう一つ、神の法則を語りましょう。それは、「この世では代価を払わないで何一つ手に入れることはできない」ということです。霊交の代価は霊能を磨くこと。あなたがたは代価を払わないで富を積んではいけません。もし富を積みながら霊的義務を怠れば、地上では富者であっても、霊界に入れば貧しい者となるのです。

●至高の霊魂と感応道交する道を、どうか学んでください。大切なことは、あなたがたはひとりぼっちではないということです。
あなたがたの周りには、あなたがたを守り導こうとするたくさんの霊魂が、ぎっしりとり囲んでいるということを知ってください。

●人に奉仕することは、神に奉仕することです。その時、あなたがたは無限の神の愛に包まれながら、完全な平和の中に立っているのです。

●神に対する完全な信と愛があれば、恐怖はありません。また知識があれば恐怖は起こりません。恐怖は無知から生まれるものだからです。信と愛と知がある限り、恐怖のさし入る隙はありません。進歩した霊魂は、どんな場合にも恐れを知りません。彼は、
自分の人生に自分で克服できない環境や経験はないことを知っているからです。

●恐怖心は魂の牢獄をつくります。恐怖を克服し、その念波に乱されないようにしなければなりません。人は何物にも犯されはしないのです。このことを知り、信念を持ってこう言ってください。「私は神の霊だ。世の嵐も私に触れはしない。どんな困苦も、私の前では色あせてしまう。私には無限の力が宿っているのである」と。
 
人にはあらゆる環境に打ち克つ力があるのです。その無限の魂の力を、みずから制限してはいけません。

●地上には、私達霊魂の力で動かせない障害はありません。時には、人の背負う十字架があまりに重く、私は自分の進歩を諦めても、その重荷をとり除いてあげたいと思うことがあります。しかし、よく覚えていていただきたいことは、人がその十字架を背負い、その重荷から教訓を学びとることは、もっと大切なことだということです。単に現世だけでなく、もっと永遠の目をもって、ものごとを考えてみなければいけません。

●人は人格を形成するために地上に生をうけました。そして、
人格の形成とは、自分が直面する困難に立ち向かっていくことにあります。しかし、地上には人に内在する力をもってすれば克服できない苦難というものはないのです。

●神法は調和と正義に満ちていて、その働きには少しも狂いはありません。一人としてその罰を逃れ、誰ひとりとしてその報いを受けずに終わるということはありません。

●私たちにとって一番辛いことは、あなたがたの側にあって、その苦しむさまを眺める時です。私たちは、これはあなたがたの霊魂の闘いだから、けっして助けてはいけないとうことを知っています。もしあなたがたが勝てば、私たちも勝つのです。もし負ければ、私たちも負けます。これはまさに私たちの闘いなのです。しかし、あなたがたに指一本差し伸べてはいけないのです。

●私はあなたがたの問題を、代わりに解いてあげるわけにはいきません。「このようにしなさい」と、いちいち指示すれば、それはあなたがたの自由意思を妨げることになるでしょう。あなたがたが
自らの手で問題を解決することの中に、内在する力を発現させる道があるのです。何事も坦々として容易であれば、霊性の進歩はありません。苦しみのあるところに霊性の進歩があるのです。

●神はなぜ戦争を止めないのか、なぜ戦争を未然に防がないのか――多くの人はそう言います。しかし、神法を曲げてでもそうせよと言うのなら、それは間違っています。地上世界は、自分でやったことの結果を免れることはできません。私どもにもその法を曲げることは許されないのです。
一度蒔いたものは必ず刈り取ることになります。利己主義の種を蒔けば、いつかは必ずその報いを受けます。高慢、嫉妬、貪欲、悪意、不信、疑い――これらはどれをとっても、そのれが実を結ぶとき、戦争となり困窮となり不和となります。

●法に逆らって生きる者は、個人であれ、団体であれ、民族であれ、国民であれ、その果を受けます。法はその働きに狂いがないからです。時には、あなたがたの目には結果が見えないこともあるでしょう。しかし、原因があれば必ず結果はそれに従って起こります。それが法というものです。

●地上で偉大な者は、霊界では偉大な者ではありません。私たちの言う偉大さとは、魂の偉大さ、霊の偉大さ、奉仕の心の偉大さです。

●この世には「傾向」とか「波動」というものがあります。人はそのような波動の影響に取り囲まれて生きていますので、それらが人の運命に影響を及ぼします。しかし、神は人間に神性の一部を与えておられます。もし人がその自由意思を正しく使うならば、内在の神性が開花して、どんな障害でも克服できるのです。

●神は人の内部に種子を置いてくださいました。人は園丁(えんてい=庭師)です。その種子が花を咲かせることができるか、またその時期はいつになるかは、ひとえに本人の努力にかかっています。あなたがたがその種子を闇の中に置き、魂の光である愛と奉仕を注がなければ、内在の神性は少しも大きくならないのです。

●広い目で宇宙を見渡せば、調和がその法則となっていて、あなたがた一人ひとりはすべて神の計画の中で何らかの役割を果たしています。時には風波があり絶望があるかも知れません。しかし、人の一生における出来事は、すべてその道程に相応しく、あなたがたを創るための役に立っています。

●光と闇、陽光と影、これは単に一なる全体の反映に過ぎません。影がなければ光はなく、光がなければ影もないのです。そのように、
人生の苦しみは魂が上へ上がっていくための階段です。困苦、障害、不利益、これらはすべて魂の試練であって、魂はこれらをすべて克服できて初めて強くなり、浄化され、深みを増して、高く飛躍できるのです。

●人生の辛酸をなめつくしたあと、初めてほほえみと喜びの味がわかってきます。
人生はどん底に落ちた分だけ高く飛躍できるものです。

●人が味わう人生の経験は、すべてその人の進歩を形作る一場面です。いつの日か人が肉体の軛(くびき)から解き放され、物質で曇らない目で、過ごしてきた人生を振り返るとき、
人生の場面における一つひとつの経験は、まさに置かれるべきところに置かれていたことを達観するでしょう。また、どの経験も、魂の進歩のための教訓となり、内在の可能性を自覚させる薬となっていたことが理解できるでしょう。
 
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