光への道
ホワイト・イーグルの霊示
桑原啓善・訳 でくのぼう出版 1994年刊 
 
 訳者あとがき
(抜粋)

  このホワイト・イーグルの霊示は、グレース・クック女史をチャネラー(霊媒)として通信されたものです。女史の口を通じて伝えられるイーグル霊の霊示は完璧に近いと考えられます。なぜかというと、2人は太古から二度にわたり、親子として次に師弟関係として再生するという深い霊縁を作ったのです。
  イーグル霊は太古に既にイニシエーション(魂が一段一段と目を覚まして進歩の階段を上ること)を通過している覚者です。クック女史は一つ前の前世で、イニシエーションを通過し、地上に再生する必要のない者になりました。しかし、死の時、イーグル霊は女史の魂をはるか上方に連れて行き、地球の様子を見せました。女史はそこに渦巻く地上の混迷と苦しみの様を見て、もう一度地上転生を決意しました。これがグレース・クック女史で、この霊格の高さがホワイト・イーグルの高い霊示を伝えやすいものとしています。
  女史を通じてイーグル霊は、1930年代の初め頃から通信を始め、1979年女史が他界するまで約50年間にわたり霊示を伝えました。その霊示の本質は、「人は神の子である」ということ。それをイーグルは「キリスト神霊の子」と表現します。キリスト神霊とは霊太陽(宇宙を維持して生かしている根源の光)のことで、その分霊を受けているのが人間だというのです。この「神の子」がスピリットで、それは心臓チャクラに鎮座すると明言しています。これが「内在の神」です。
  次に、「愛と奉仕が人間の生きる宇宙法則」だと強調します。なぜなら、内在の神性の本質は愛だからです。この点、シルバー・バーチとよく似ています。更にイーグル霊は「人は神の通路」であって、神の光を地上に伝えることによって地球そして宇宙の進化のために生きているのだと教えています。また、光を伝える一つの方法として、瞑想を大切にしています。
  本書『光への道』は、人間が内在の神性を発現して神のようになる道をイニシエーションという形で説いています。このイニシエーションは、どこか山奥にこもって特殊な修行をすることでなく、「
人生がそのままイニシエーションである」と指摘していることは、私たちが肝に銘じなければならないところです。
  初級イニシエーションは、「生活の中での一つひとつの気づき」です。つまり、「
人は神の子」「愛と奉仕が人間の道」という真理に一歩一歩目を開いていくことです。上級イニシエーションは、人生の大きな転機の中で、「自分を捨てて地球(宇宙)進化のために全面的に献身する」という決断から始まります。人はこの決断をするならば、一つの人生の中で幾段階ものイニシエーションの階段が上れると教えています。すなわち、一生涯で釈迦やイエス・キリストに近いところまで上れるのだと断言してくれているのです。
 
 地球に神の計画の実現の日が近い

 
皆さんは、地球に今近づいている一大発展のことを、これまでたびたび耳にしたと思います。その時、生命は調和に満ち美しく光り、男も女も本当の兄弟姉妹のように生きるでしょう。だが、皆さんはしばしば肉眼で見えるものによって心くじけます。あなた方は人類の災厄を見て、「これはキリストがもう一度磔(はりつけ)にされているのを見ている」と思ってしまいます。
  心くじけてはなりません。目を上げなさい、光り輝く巨大な霊の群を見ようとしなさい。天使らがいます。輝く人霊がいます。その光が今地球のモヤを打ち破り、徐々に浸透しつつあります。あなたがたをこのように抑圧している不幸な環境は過ぎ去ります。彼らは真剣無比に目的の遂行に当たっています。この事を心にとめなさい。その日が来ます。
あなたがたが歓喜と感謝で震える時が、かの神の大計画が実現されるその日が、来ます

 神を信じる者が、神の計画の実現を確信する  [TOP]

 
皆さんとしては、人類を導いておられる偉大な英知であられる神の全知全能を認めなければ、これを否定し拒絶することになりますぞ。皆さんの人生にはこれまでいろいろな事がありすぎました。それで正直いって、皆さんの運命を導く愛にして英知にして至上の存在に否定的になっています。それだからこそ、全幅の信をその英知と愛に置きなさい。一点の疑いも持ちなさるな。
 
すると皆さんはこう言う、「私たちは神の愛と英知に一点の疑念ももちません。しかし人間が信じられません、一片の知恵も無いように見えます」と。そうでしょうけれども、神の全知全能を認めるなら、あなたは神の創造の計画が完ぺきであることを認めねばなりません。また神の創造されたものの内部に、やがて完ぺきに開花する種子が存在することを認めねばなりませんぞ。

 日常の行為と想念を正せば、自己が解放できる  [TOP]

 
私たちは協同して働かねばなりません。皆さんは肉体において、私共は霊において、人類がいま渇望しているものをもたらすために。われらは人類の維持とその成長に必要なものを届けねばなりません。
  世間ではお互いが批判するのは常識になっています。他人の過ちを見るのは易しいことです。しかし、イエスは「自分の目を己が行為と想念に向けよ」と言いました。そしてやさしく忠告しました。「
他人を非難する前に自分の中を見なさい。自分に厳しくありなさい。だが他者には思いやりを持ちなさい」と――。
  これは容易なことではありません。だが、
皆さんの一つひとつの想念と行為が、すべての生きものを助けるか、進歩を阻害するか、そのどちらかをしているのです。皆さんは大声で言うでしょうな、「そんな! 私のちっぽけな想念や行為など全体に吸収されてしまいますよ。いくらなんでも、生命にそんな影響を及ぽすなんて」と。
  太古の聖者たちはいつも弟子たちに教えていました。「
すべてのことが個人の想念と行為にかかっている。一人ひとりの人間の努力にかかっていますぞ」と。またこうも教えました。「おのおのの個人の魂が進歩に、物の生命の進化に責任を負っている」と。
  過ぎし時代において、人類は深みに落ち、鉄の箱に入れられるように、物質の中に入れられました。いま徐々に解放されつつあります。皆さん、心に記されよ。多くの人々にとり、世俗の心はどうしても打破できない鉄の箱のようなものです。人間は今ゆっくりと次第次第に、だが確実に、自分を束縛から解放し始めています。人間は自らを解放せねばなりません。この解放の鍵は、神が人間の心臓に植え込まれた光であります。


 キリスト再臨とは何か  [TOP]

 
皆さんはキリスト再臨を待望しておいでだ。キリストが再び来ることが、はっきりと言われておりますからな。皆さんは、しばしば私共がこう言うのをお聞きになったでしよう。「このたびの再臨は男や女の一人ひとりの心の中に来るのである」と。
  再臨とは光の目覚めなのです。この光が人間の魂の中で明るく燃える時に、物質の浄化が起こり、肉体の浄化が起こり、地球の浄化が起こります。それは「感情と欲求の媒体(=幽体)のコントロール」であります。また恐らくはより大きな仕事である「知性体(メンタル・ボディ)の統御」であります。
  このことが起こって後、神性の誕生すなわちキリスト人(神人)の誕生をみます。月は魂を代表し、太陽は霊を代表します。人が世俗を克服する前に、知性体と霊体(スピリチュアル・ボディ)の完全な結合、結婚が起こらなければなりません。ここに地球人と天界人との相違があります。

(訳者注)
  この「天界人」が何を指すのか、これだけでは分からない。もし白色同胞団で言う「イニシエーションを通過した覚者」を指すなら、彼らはすでに知性体を離脱しているから分かる。またスピリチュアリズムで言う「雲界の高級人霊」を指すなら、彼らは幽体を離脱しているし、高級な理性の媒体である霊体になっているから、天界人といえる。あるいは進化した異星人なら、知性体の領域をすでに超えていようから、天界人ともいえる。
 
このたびの地球の次元アップは、肉体や幽体をつけたまま、それが浄化されて人々が神人のようになると言われる。とすると、新人類は肉体・幽体、中には知性体まで統御して、霊体を生かしながら生きるようになるから、これらの結婚が起こるといえる。この下位媒体をつけたままのいわば「神人」つまり「新地球人」と、これらを既に離脱している天界人とは明らかに相違がある。
  また「太陽が霊を代表し、月が魂を代表する」とは? 霊とは神の火花、つまり神の分身である。魂とはこの霊が色々な媒体に包まれた状態を言う。つまり、太陽(日)が霊(ヒ)であるのに対し、月は魂(物的媒体をもつもの)即ち地(ツチ)である。故に日と月は天と地をそれぞれ示す。日月神示は興味あることを言っている。「このたびの大浄化は日の神と月の神の合体、それによりミロクの世が来る。日と月の神の一体化が日月大神、みろくの神である」と。これはまさに新地球人、新地球人は日と月の神の一体化した姿である。
 
[日月神示](四八六)
  日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり。月の神ばかりでもならず。そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり。日月の神と現れなさるなり。「みろく」様が日月の大神様なり。


 人生の目的は、すべてのいのちと兄弟になること  [TOP]

 
目に見えない世界に近づくにあたり、人はその心に純粋な愛をもたねばなりません。まず第一に兄弟である人間への愛、次にすべての創造物への愛です。人間は四大の精霊を愛さないといけません。なぜなら、精霊たちは人類を救うために働いておいでの大師がたを助ける大きな役割を果たしているからです。現在の状態では、人間と四大の精霊との間には戦争状態が存在します。人間が進歩していくにつれ、平和が生まれ、友愛が生じ、そしてほとんどまさに両者間の結婚が実現しましょう。結婚といっても人間的な意味でなしに、天界的な意味です。人間と精霊との間には、このような友愛と調和が実現されねばなりません。
  上記の生命の真理は、イエスの行なった奇跡の中で実演されております。イエスが水の上を歩きましたね、それから嵐を鎮めましたね、あれです。これには一つ以上の意味があるのです。しかしさしあたり、次のように申しておきましょう。イエスの水上歩行は、イエスが水の精霊を、つまり感情を完全に統御していたことを示したものです。水の精霊は感情に深く影響しますからね。
  イエスは沈みませんでした。彼の兄弟たち、つまり水の精霊がイエスを支えてくれたのです。それで、イエスは弟子を支えることが出来ました。その間、イエスは弟子が信念を持ち、主を信じるように仕向けました。この同じ事がイエスが嵐を鎮めた時にも起こりました。風の精霊たちシルフが、イエスの命令に従ってイエスを助けに来てくれました。
 
四大(土・風・火・水)の精霊たちを本当に統御するためには、人は神のようにならねばなりません。すべてこれ愛、すべてこれ優しさ、そして前に述べた太陽力に満たされることです。このような人が精霊たちの尊敬をうけ、その愛をかちとるのであります。
  次のことを心にとめておきなさい。
皆さんの人生の目的は、先ず第一に「自我意識の成長」です。次に「グループ意識の成長」です。つまり全生命が兄弟姉妹であるとの意識に達することです。皆さんは瞑想中に、しばしばこの同胞愛が実現したように感じて、深い喜びを味わうことがありますね。これはもちろん、本当の霊的交流があったのです。つまり、魂の方がまわりのものの願いを感じとるところまでいったのですね。
  これと同じ程度に、個々人が進歩していくにつれ、全人類がこぞってこの兄弟同胞愛の地点に、それを感知するところまでいきます。その時、戦争と紛争が消え、天使らと人間との同胞性が現実の生活として実現をみるでしょう。


 人間の意識の進化の階段  [TOP]

 
今日こんなことを言っても、誰も信じてくれないでしょう。しかしながら私共はここで繰り返します。自我意識の次の段階は、人類はみな兄弟であるこの真実の関係を知る段階に入ることです。その次に意識の拡大が起こり、神意識すなわち宇宙意識に入ります。そして更に次の段階は太陽意識、つまり太陽ロゴス意識の段階です。このことは皆さんのはるか前途で起こります。
  しかしながら、われわれの言葉を読みとり、この真理に心を深く向けなさい。なぜなら、未来生活のこのヴィジョンがあればこそ、現在の皆さんの努力がどんな苦労どんな骨折りにも値すると、そう思えるからです。心にとめておきなされ。皆さんがもしこの霊の言葉に耳を傾けて下さるなら、皆さんこそは、やがて宇宙意識と太陽意識が全人類に実現される日のために働いているパイオニアなのですぞ。
世界が現在のこの混沌の状態にいつまでもとどまってはいないことを知りなさい。


 自己放棄の準備をしなさい  [TOP]

 
さて、ある種の天体的な力というものが存在し、これが人間に「どうすることもできない」という気を持たせます。この力は、一方では与え、他方では奪います。このような力があなたから奪い取ります。それを、あなたはどうすることもできないのです。
  たしかに、この力は
あなたが「これは良い」とか「これは好きだ」と思っている所有物や環境を、目に見える世界で奪います。しかし、神は与えることなしに取ることをなさいません。片方で取られたら、それを別の形で、他方で与えてくださいます。これが神の慈悲、神の愛です。
  それゆえに、イニシエーション(魂が目を覚まして一段一段と進歩の階段を上ること)の玄関へ歩を進める候補者のみなさんは、
準備をしておかねばなりません。自己放棄の十字架(クルス)、磔刑(たっけい=はりつけの刑)を歓迎する準備を
 
強く成長する魂、内に炎が明々と燃え始めている魂は、心を乱すことなく喜びをもって全放棄に直面いたします。なぜなら、この賢い魂は次のように知るからです。「失われるものは目的を果たしたのだ。お役に立ったのだ」と。
  それに、何か良いものが待ち受けています。それが霊的なものか物質的なものか、本人にはわかりません。私たちは静かに十字架に直面しなければなりません。「
過去の灰の中から新しい生命が誕生するのだ」ということを知って。

 放棄とは何か――その本当の意味  [TOP]

 
苦痛、そして災厄――それはしばしば訪れます。それは明らかに魂がしてはいけないことに執着するからです。しかし、この教訓を学び終えると、つまりすっぱり棄てる気になると、そこに新しいチャンスが来ます。大きな祝福が現れます。
  みなさんはこう尋ねられる。「世間や人間関係を棄てよとおっしゃっても、どちらも人生には必要なものです。どうすればいいのですか」と。
  兄弟・姉妹、息子・娘、父と母、 この人間関係が不要なら、神は創造なさらなかったでしょう。だから人間関係は必要なのです。これがあるがゆえに、人は人間感情を通しての経験から学び、身につけます。しかし、大事なことは、
人はパーソナリティ(地上生活の個我――小我)にとらわれてはいけないのです。個人的な人間関係、俗世間的な所有、立場、欲求などの奴隷になってはいけないのです
 
「世を捨てる」とは、世間から引っ込んでしまうことではなく、人はすべてを放棄しても、ちゃんと人間関係を続けていきます。しかし、その内部は自由となります。なぜなら、もはや心の奥底では何も望まないからです。ただ聖なる光に近づきたい、その聖なる光と一体になりたいという願望以外に何もなくなります。俗世間的な低級我、願望、野望、それらの放棄です。

 神の国を開く鍵は心臓にある  [TOP]

 
それでは次の段階に目を向けることにしましょう。それはキリスト(神霊)の愛で燃える心臓で象徴されます。皆さんが瞑想を続けていると、次第に光線を出している光として、心臓を意識するようになるでしょう。心臓チャクラは太陽のようなものです。それはまさに「あなた」という太陽系の太陽です。
  未来の人類は心臓でものを考えるようになるでしょう。現在では、人々は脳の心で考えております。この頭脳の心が非常に発達したので、心臓の中の光をほとんど消しています。しかし、新時代の人々は心臓の中に住む神の心からものを考えるようになるでしょう。
  すでに直覚で対応している人たちにはそれが始まっています。彼らは頭脳の心を制御できるので、それが静止状態になっているのです。もしあなたが静止状態で心臓にしゃべらせるようにすれば、自分の欲する結果が得られることがおわかりになります。ただし、それは〈感じ〉という形で、直観でやってきます。
  古代の聖同胞団で問題とされた秘密の一つは、神の王国を開く鍵の所在でした。その鍵はどこにあるのか? その回答はこうです。「その鍵は心臓にあり」。

 本当の愛とは?  [TOP]

 
愛のこの道には、なお幾多の落とし穴や惑わしがあります。感情というものは、しばしば愛で迷うものです。感情には感情の居場所があります。感情は愛ではありません。居場所を間違えた愛――それが人への奉仕の目をふさいでしまいます。すなわち、他者に愚かな与え方をして、その欲望を満たさせ、それが間接的に自己の欲を満足させるのです。
  その実例を盲愛の母親に見ます。
  彼女は子供が要求するものを何でも与えます。それが愛だと思って――。その結果はどうでしょう。子供は幸福になり、成長する機会から全く縁遠い者となります。母親が子供からすべての自己表現と発展のチャンスを奪い取るのです。
  賢い母親は何でも気前よく買い与えません。それは冷たいとか、つれない母親というのではありません。むしろ、母親の愛が大きくて、母親は子供が経験を積むのに必要なものをハッキリ見ているのです。子供が自分で物事を決めるようにしつけがなされるのです。
  子供を喜ばせよ、慰めよ。それはその通りです。しかし、強くしてあげなさい。自分で物事を決めるようにさせなさい。経験を身につけるようにしてあげなさい。甘い物の与えすぎが子供を病気にします。むやみに人の欲望を満足させ、それが愛だと思って望む物を何でも与えれば、意地悪の攻撃をしているのと同じことです。人を傷つけています。


 動物と植物への愛  [TOP]

 
愛に生きようとする人は、不用意な言葉で他者を害しないように、注意深くあらねばなりません。優しく語りなさい、思慮深く。剣の一振り、それが人を傷つけます。愛である主の弟子は、いかなる場合も人を傷つけません。されば親切さ、無害さ、これが全生活を覆っています。いかなる生命をも傷つけないようベストを尽しなさい。これが愛です。
  人生には数多くの残忍が存在します。利己主義、どん欲、カッとなる激情から生まれる無慈悲な残虐性、そして無知や無思慮から生じる残忍もあります。
  簡単なたとえを使って申しましょう。あなたに動物の友、たとえば犬がいるとします。あなたがその犬を愛するなら、猫可愛がりに可愛がったり、空騒ぎをしたり(または勝手放題をさせたり)はしません。犬が本当は何を望んでいるかを理解します。そうしてそのための世話をします。あなたの小さな友を愛するとは、その求めるところに心を配ることです。
  そのようにまた花にも、自然の王国は人間の世話を必要としています。即ち人間は花の成長に、花を切ることに、花で部屋を飾ることに、責任を負っているのです。これらの花は敏感なのです。自分の内に生命力がありまして、あなたの愛を求めています。愛の心が向けられることを望んでいます。すなわち、あなたから知って貰いたいと願っているのです。
  (神への)道にある者は、動物を、植物を愛しようとします。これらが神の部分、あなた自身でもある、生命の表現体であることを理解しているからです。彼は動物王国と植物王国に敬意を払います。人類の兄弟に敬意を払い、愛するのと同じように。

 愛とは内在の光への敬意である  [TOP]

 
皆さんはこう言うでしょう。「生命の法に違反する事をやっている連中を、どうやって尊敬できますか」と――。尊敬しなさい。あなたは相手の内に住む者を知っていますね。それを尊敬しなさい――それは神の光です。外に表れようと、姿を顕わそうとしているものですね。
  子供は絵を描きます。その努力の成果は美しいとは限りません。でも彼らはベストを尽くしているのです。私たちの兄弟も絵を描きつつあるのかもしれません。世界に絵を示そうとしているのかもしれませんね。それは魅力的ではない絵ではあるけれども、表現の形式なのです。成長の形なのです。そして、それは私たちには結構とは言い難いけど、一つの奉仕の形式なのです。
  皆さんには、いわゆる悪や醜いものが奉仕の形式だなんて、とても理解できないでしよう。しかし、それはそうなのです。愛に生きる人のとる態度は、生命に貢献する〈嘉きもの〉を常に認めようと努力することです。
 
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