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 エドガー・ケイシー
カーク・ネルソン・著  光田秀・訳
たま出版
 

 ユングの夢に現れた人類の集合的無意識

  予言に関する私の考え方、キリスト再臨に対する私の態度を述べておきたいと思います。
  まず、なぜ予言という現象が可能であるのかについて。
  おそらく、予言というもののメカニズムを考えるには、ユングが呼ぶところの集合的無意識の概念を用いると分かりやすくなると思います。
  心理学によると、私たちの意識には、私たちが通常自覚している顕在意識の他に、無意識といわれる領域があるといいます。たとえとして、海に浮かぶ氷山を意識の全体とすれば、海面に浮かんで見えるわずかの部分が顕在意識であり、海面下にある大きな部分が無意識であるというようなことが言われます。
  努力すれば何とか思い出せる意識が顕在意識で、いくら努力しても思い出せない意識が無意識であります。私たちはこの無意識層を自覚することが出来ないにもかかわらず、無意識はさまざまな形で私たちの人生に影響を及ぼします。
  たとえば、卑近な例で言うと、会社に入っても必ず上司と衝突して会社を辞めてしまうということを繰り返すような人は、たいてい、無意識層に「上司と衝突して会社を辞める」というパターンが刷り込まれていて、そのパターンがその人にそのような行動をとらしめるのです。
  ここに述べた例は、個人の無意識に存在するパターンが、その個人の行動を知らず知らずのうちに左右することを示したものですが、ユングは、私たちの無意識層には個人に固有のパターンばかりではなく、各自の無意識をさらに深く探ると、先祖から受け継いできた特定のパターン、そして究極的には人類としてのパターンがあることを明らかにしました。
 これらの人間が集団として共通に持っている無意識のことを、ユングは集合的無意識と呼び、その集合的無意識に表れる特定のパターンを「元型」と呼びました。
  ユングはさらに、この集合的無意識に潜む元型を探ることで、民族や国家が無意識的に何をしようとしているかを知ることができると主張しました。実際、ユングは精神分析と夢解釈によって、ゲルマン民族が将来において世界を悲惨な戦争に巻き込むことを予知したのです。
  ユングは小論『影との戦い』の中で、次のように述べています。
  「すでに1918年に、私はドイツ人の患者の無意識の中に、彼らの個人的心理には帰することのできない独特の障害があるのに気づいていました」と。
  さらに、そのような無意識は、同じような無意識を持つ個人を引き寄せ、そこに群衆を形成し、その群衆の中に、抑圧された集合的無意識の意志を代行する指導者が現れれば、たちまち群衆はなだれのように、逆らいがたい力をもって彼に従うだろう、と予言していました。
  また、ユング自身、第二次世界大戦が始まる前に、次のような夢を見ています。
  海から巨大な金色の獣が現れ、ヨーロッパ中を暴れまわる。獣はおびただしい数の人間を、その牙で引き裂き、鋭い爪で多くの人間の体をえぐっていく。
  人類の集合的無意識が、しばしば夢という形をとって現れるということを知っていたユングにとって、この夢が何を意味しているかはあまりに明白でした。すなわち、「金髪のアーリア人のみが優れた民族であり、その他の劣等な人種は絶滅させねばならない、というナチスのおそるべき妄想と、それが引き起こす未曾有の災厄、つまり第二次世界大戦の勃発が間近に迫っていることを予知したのです。
  読者の中には、ユングの見たこの夢が、ダニエルの予言や黙示録の予言に酷似していることに気づかれた方もいらっしゃると思います。私も、ダニエル書やヨハネの黙示録は、夢もしくは幻視という形で、人類の集合的無意識に触れ、それによって予言したのではないかと考えています。

 大艱難は至福に溢れた未来への通過儀礼

  ここまでの予言解釈からすると、人類には悲惨な未来しかないように思えますが、しかし、これから人類が遭遇するであろう大艱難も、もっと大きな視野に立てば、それが至福に溢れた未来への通過儀礼でしかないことが納得されるはずです。
  すなわち、これから遭遇する大艱難は、究極の集合的無意識である「人類の集合的無意識」が、自らの意識の大浄化を望んでいることの表れであり、人類はあえてそのような状況を設定した、ということです。人類の無意識に潜むあらゆる残虐性、獣性、エゴイズムを、人類の意識から一掃するために、大浄化の機会としてこの大艱難を設定したのです。
  さらに重要なのは、私たちがこの大艱難の時代に生まれて来ているという事実です。エドガー・ケイシーは、私たちの本体は永遠不滅の霊的実体であり、魂の錬磨のために一時的に地上の肉体に入るのだということを明らかにしました。また、偶然によって肉体に入る者はいない、神の恩寵によって肉体に入るのだ、とも言います。
  となると、私たちはわざわざこの大艱難の時期を選んで、地上に生まれてきたということになります。なぜ、こんな苦しい時代に生まれてきたのか。その目的は、人類をして大艱難の時期を通過させ、至福の時代に移行せしめるという、偉大なる聖業にあずかるためであるに相違ありません。かかる意味において、私たちほど素晴らしい時代に生まれ合わせた人間はいないと言ってよいでしょう。
  これから、人類は未曾有の混乱と苦しみを経験することになるのかも知れません。あちこちで大地震や火山噴火が頻発し、人々はこれまで経験したことのないような不安と恐怖に襲われるでしょう。
  邪想念で汚れた都市は破壊され、海の塩で浄化されるでしょう。その時、顕在意識は麻痺してしまい、私たちの無意識に封じ込められていたおぞましい想念が、一挙に噴出するのです。
  しかし、この時が私たちの正念場であるのです。人類が、その無意識からあらゆる邪想念を一掃した時にこそ、私たちは大いなる方の到来を希求し、至聖の意識を私たちの意識の中に呼び込まなければなりません。この時にこそ、至福の時代へ向けての大いなる一歩を踏み出さなければならないのです。
 
 
 
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