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 チベット 永遠の書
テオドール・イリオン・著  林陽・訳
徳間書店  1994年刊
 
 
 全世界が新しい生命観を必要としている

●転生は、生命が一つであることの高度な象徴である。開かれた心と精神をもって転生という概念に接するとき、「自我」と「非我」とを区別して考えるという幻想は消えるのである。「自我」も「非我」も、実は同じものに過ぎない。「自我」を扱うのとは違う方法で「我ならぬもの」を扱うということは、右手と左手の扱い方を差別するのと同じく愚かしいことである。

●地獄に行くのが怖いからというただそれだけの理由で悪事を働くことを恐れている人間と、悪い来世が待ち構えているという理由から悪行に手を染めずにいる人間と、どれほどの違いがあるのだろうか?

●われわれに降りかかる不運はすべて、身から出たさび、悪念と悪行の結果なのだ。われわれは蒔いたものを刈り取るのだ。

●「戦争は、人間の利己心、悪念の産物じゃ。多くの者は心のなかで戦争を起こしている。彼らは絶えず色々な方法で隣人と戦いながら、同時に平和を語る。戦争が怖いという理由で戦争に対抗するのであれば、そのような抵抗に何の価値があろうか。症状に立ち向かってはならない。心を変化させることだ」(チベットの聖人)

●「人は、若さを保とうと努力する瞬間に年をとるのだ。何かを自分のものにしておこうと努めるその瞬間に、人はそれを失うことを恐れる。人が何をしようと食べようと、その恐れが人を毒する。恐怖心こそ、人の若さを蝕む元凶なのだ」
「人生のどのようなことも相対的であること、絶対的な価値は何一つないことを忘れてはならない。善あるいは悪でさえ、実際には存在していないのだ。真に善なるもの、あるいは真に悪なるものは何一つない。われわれが物事をどう扱うかにかかっているのだ」
「若さとは何だろうか? それは、偏見から自由でいること、習慣的考え方、生き方から自由でいることである。自発的で、愛に富み、熱中している限り、われわれはいつまでも若いのだよ」

●「執着の心さえなければ、金持ちであっても構わないのだよ」

●「愛することだ。深く、深く愛することだ。そして、愛が自己中心性という毒から自由になっていれば、それだけ深く理解することになるから、あなたは人に対して優越感をもったりしなくなる」

●「全世界が新しい生命観を必要としているのだ。西洋は霊性を放棄し、東洋は物質を放棄している。(中略)われわれが新しい生命観を生み出さない限り、東洋と西洋のいずれもが滅亡の危機にさらされることになるだろう。物質と霊性の両方をもつ新しいタイプの人間が必要なのだ」

●この人たち(チベット人隠者)は他人の自由意志に働きかけようとは決してしない。相手がどれほど賢く力ある人間であったにせよ、われわれが霊的導師の命じるままに自動的に動くような操り人形と化すようであれば、人生は何の意味ももたないのだ。人は、最も優れた善と、もっとも恐るべき悪との間を選ぶ権利をもっている。人の運命は自らの手の中にある。人間に与えられた栄光はまさにそこにあるのだ。いつの日か、人は自らの努力によって自らを救い、チベットの賢人たちのようになるだろう。彼らは道標のようなものである。(中略)
 隠者たちは自らの歩く姿を披露することはできる。だが、自分の腕に抱き抱えて子供を運ぶなら、子供は歩き方を覚えられずに終わってしまうことだろう。
 
 
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