人を信用する心、許す心
〜朝日新聞(夕)1995.2.18
●避難所から様子を見に戻るたびに、家のものがなくなっている。娘が結婚式でつけたネックレスや隠していた宝石も消えた。地震より人の心が怖い。(主婦・60)
●人を信用する心を失い、人を許してあげようと思う気持ちが生まれた。避難所で食料や衣服を大量に持ち去る人がいて気分がなえる。(高校3年・男性)
●家は傾き、立ち入り禁止。場所と時間がなくなって初めて「勉強」できる環境のありがたさを感じた。(高校1年・女性)
●避難所でボランティアに精を出している。3月のスキーの予定がつぶれたが、そんなことはちっぽけなことだと本当に思う。(大学3年・男性)
僕たちは試されていたのではないか
朝日新聞 1995.2.22
●大震災で全校舎が危険建物になった本山中の三年生が綴った卒業文集。
「すべてが悲劇だったのか。そうではないと思う。協調性があった。お互い助け合っている姿があった。ひょっとしたら僕たちは試されていたのではないか」
「自分にいまできることは何か?を考えた。家から動けない人を手伝い、こどもの世話、水汲みなど、本当に小さなことしかできなかった」
「気づいていなかったいろんなことに気がついた。家族のあたたかさ、命の重み、私の生活を支えてくれた大勢の人々の存在、みんな大切なものだった。それに気づいていなかった愚かさを知った」と書いたのは女子生徒。
もっと無欲に生きたい
〜朝日新聞 1995.3.9
●震災後に人生観が変わったという人が多い。身近な人が亡くなり、家や高速道路が倒れ、今まで想像さえしなかったことが、一瞬のうちに起こったのだから、当然かもしれない。人間っていつ死ぬかわからない。だから、いつ死んでも後悔しないよう自分の時間を一生懸命に、もっと無欲に生きたいと思うようになった。
違う人間に生まれ変わりつつある
朝日新聞 1995.2.1
●気がつけば、別人のような自分を発見した被災者は多いのではなかろうか。あまりにも多数の命を失い、あまりにもさまざまな出来事にもまれながら、被災者たちは時に打ちのめされ、時に気力をふりしぼり、昨日とは違う人間に生まれ変わりつつあるのではないか。
たしかに、一時の興奮がさめ、利害がからむ復興の現実に直面すれば、その変化もいったんはしぼむかもしれない。だが、原点としての被災体験は残る。(中略)
阪神大震災を耐え抜いた一人ひとりが、その体験を「神戸の心」とか「西宮の心」とか言ったようなものに結集していった時、被災地は風格のある人間都市として再生されるだろう。道路や緑地を広げる物理的な都市改造だけが、復興ではない。
広がる隣人意識
〜朝日新聞 1995.2.9
●普段は気づかない底流の変化が、非常時にはしばしば鮮明になる。阪神大震災でいえば、今日の世界では、隣人意識ともいえる一体感が、私たちの想像以上に広がっている、ということだ。
自然の脅威に鈍感だった
〜朝日新聞 1995.1.30
●阪神大震災は「戦後日本」という、見かけだけは大きくなってしまった建物の安普請ぶりを剥き出しにしたのではないか。(中略)不用品をあっさり見捨てる効率社会へ向けて私たちは突っ走ってきた。(中略)自然の脅威について、私たちは少し鈍感になっていた。
●家はどうもなっていないのに避難している人が何人もいるんです。「何で?」と尋ねると「ここにいたら水はあるし、三食つきやから」って。「救援物資で四畳半の部屋がいっぱいになったわ」という人もいて。人間の嫌な面をたっぷり見ました。(主婦・60)
●戦後の原点は不戦であり、人権であり、民主主義だろう。抑圧されていた個人を肯定するところから始まった。しかし、「個人の肯定」が、実は個人の「欲望の肯定」へとずれていったのが、戦後史の皮肉だった。より豊かに、もっと豊かに、と欲望はふくらむばかりだった。(1/30・朝日新聞・社説)
献身的だった医師や消防団員の活躍
〜神戸新聞
●地震直後に素早く災害に立ち向かった勇気ある人々のことだ。妻を亡くしながら、がれきをかき分け何人もの命を救った消防団員がいた。崩壊した真っ暗な病院で、負傷を押し救命治療に当たった医師がいた。崩壊を免れたわが店を壊して防火帯を作った店主がいた。緊急出動した父に代わり住民救出に励んだ息子がいた。限界に挑むボランティアもいる。(正平調)
●震災直後の対応についていろいろと批判する人があるが、現場で実感したことは、自治体をはじめ遠方からの救護や救援活動は、昼夜を分かたず懸命に続けられ、よくやって下さったと思う。自治体職員の中には家族を失い、家を失った人も多いが、ほとんど泊まり込みで連日市民のため活動を続けている。彼らも被災者だと思うと、とても批判する気にはなれない。
公園や空き地に駐留してテントや車の中の生活をしながら続けられる活動を支えるものは何であろうか。役所や学校の冷たい板の間やソファに寝起きして活動を続ける職員の活動を支えるものは何であろうか。
海外からの救援隊が感想を述べているように、アメリカ西部の地震で見られたような暴動や略奪はなく、被災者も救援者も整然と行動し、苦しい中でも静かに耐えながら、お互いに慰め支え合い、黙々と復旧活動に入っている人々を支えるものは何であろうか。(神戸市立看護短大学長・尾形誠宏)
●鉄道代替バスの停留所には、人々の大きな塊ができ、待ち時間は長い。幹線道路を緊急用に規制され、間道の多くを倒壊家屋にふさがれて、地獄のような車の渋滞ができている。ドライバーはひたすら待つ。譲り合う。クラクションはほとんど聞かれない。なんという忍耐心、譲り合い、思いやりだろう。廃墟の中で、避難所の中で、そうした相互の愛他心が、随所に見られ、海外のマスコミ関係者たちを驚かせた。
●人間っていつ死ぬかわからない。だから、いつ死んでも後悔しないよう自分の時間を一生懸命に、もっと無欲に生きたいと思うようになった。(会社員・香月悠貴子)
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