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 日本人の本能
歴史の「刷り込み」について 
渡部昇一・著  PHP研究所
 
 
 祖国への誇りから生じる品格

 さて、個人個人が自助の人であり、立派な人であれば、そのまま国家として見た場合にも「品格」があるといえるのかという疑問が一方で湧いてくる。やはり国家として見た場合には、個人とは別に、「ナショナル・キャラクター」(国民性)を特徴づける何かが存在するのではなかろうか。それでは、自助の精神に裏打ちされた個人個人は、いかにして国レベルでの品格をも備えることができるのだろうか。
 これを解く鍵として、私は再度スマイルズの『品性論』を繙(ひもと)いてみた。彼は次のような趣旨のことをいっている。
 「国としての品格は、自分たちは偉大なる民族に属するという感情から、その支持と力を得るものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の遂げた光栄を永続させるべきだという風土がその国にできあがったときに、国家としての品格が高まる」(渡部訳)
 スマイルズのこの主張をもとにして、わが国日本という国家、日本人についての検討をしていくことにする。
  (中略)
 日本人としての新たなる指針を打ち出すためにも、黒船が来た辺りからの日本人に焦点をあてて、その特徴や特性を抽出していくことにしよう。すると、かつて日本人は案外と西洋人の尊敬を得ていたことに気がつくのである。

 
畏怖感を与えた日本の武士

 たとえば、19世紀頃のシナや朝鮮にいた西洋人というのは、シナ人や朝鮮人を軽蔑することしか知らなかった。なぜなら、李朝末期の朝鮮の汚さは、まさに言語に絶したものだったからである。このことについては西洋人による研究も数多くあり、それについては『日本の驕慢 韓国の傲慢』(渡部昇一・呉善花共著、徳間書店)にもいくつか引用している。一方、同時期の日本はといえば、全く軽蔑されることはなかった。というのは、目に見えるところでは清潔であったというのである。玉川上水などの上水道がいたるところで整備され、都市の庶民でも24時間きれいな水を飲むことができたのである。
 そして、西洋人をもっと驚かせたことは、日本人は決して卑しくなかったことである。日本に来た宣教師は、日本という国においては、お金は万能ではないのだということに気がつき、非常に感心している。日本には武士という人たちがいて、それは必ずしも金持ちではない。一方で、商人というのはたいそう金持ちである。にもかかわらず、金持ち必ずしも貧乏な武士に威張ることはできない。こうした富よりも強い道徳があるようなこの国は、なんとも神に近い存在であるという趣旨のことをいって褒め讃えている。
 また別のエピソードとして次のようなものがある。万延元年(1860年)の春、数名の大名が使節としてアメリカに送られた。その中の正使新見豊前守正興などの評判がすこぶる良いのである。生まれつきの大名というのは、子供のころから善意の人間しかいないところで育ってきているためか、ずるいなどという感覚を全く持っていない。それが異国の地にいる人々にも伝わるのである。
 評判がいいのは大名だけではない。彼に同行した武士についても同じである。武士というのは、辱められたらいつでも死ぬ覚悟ができている集団である。だからこそ、どこへ行っても決して辱められるようなことにはならなかったのである。
 さらに一層、西洋人が感心したというエピソードがある。幕末期、薩長と江戸が戦争を起こしたときであった。フランスは当時、鉄工所などを作る手助けをしていた縁で、幕府側すなわち江戸を助けたがった。一方、イギリスは薩長の方を助けたいと願い出た。
 さぞかし薩長も江戸も喜んだだろうと思いきや、両者とも「結構です」といってせっかくの申し出を断ったのである。けんかをするのに外国の助けはいらない、何がなんでも勝てばいいという問題ではない、下手に助けられでもしたら、その後どんな落とし前をつけさせられるか分からないと考えたからである。
 これを聞いて、英国公使ヘンリー・スミス・パークスはそれまでの態度を一変した。なんと立派な国民なのか、と。パークスは長い間シナ人を相手にしており、そこから得ていた教訓とは、シナ人には怒鳴らなければならないということであった。きっと同じ東洋人なのだから日本人だって怒鳴りさえすればいいだろうと思っていた。ところが日本人には利かなかった。下手に怒鳴ると逆に殺されかねない。無礼なことをすれば殺される。そして責任をとらせると、日本人は皆、堂々と腹を切る。事実、パークスは腹を切るところを見せられたのである。
 これを見れば日本人に畏怖を感じずにはいられない。これまで他のどの有色人種に対しても決して持ち得なかった畏れを初めて起こさせたのである。ここに、日本人の「品格」と呼ぶべきものを感じることはできないだろうか。

   ★なわ・ふみひとのコメント★
 
ここに紹介されているような日本の「品格」は、いまやアメリカ(を裏から支配する勢力)によって完膚無きまでに打ち砕かれてしまいました。この本を読みますと、かつて西洋人を畏怖させた日本国民の品格の源流には、やはり「武士道」の精神があったことがわかります。今はもう国としてそのような日本人の品格を取り戻すことはできないと思われますが、私たちの偉大な祖先が築いてきた日本の品格を誇りに思うと同時に、自分の身近なところからでも、それを守っていく努力はしていきたいものです。

 
 
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