企業は社会のために存在することを忘れてはいないか
戦後、日本経済が驚異の発展を遂げた理由のひとつに、利益を度外視しても、社会的なニーズに応えようとした経営があったと思う。戦後、経済が高度成長を遂げていくなかで、かつての新日鐵など、日本の製鉄会社は儲けようと思ったら、いくらでも儲けることができたはずだ。しかし、彼ら製鉄業界は、鉄鋼業界が目先の利益だけをむさぼっていると、結局、鉄を必要とする他の産業が育たないという判断で、利益を過剰に追求しないように自制してきた。そこには、日本経済全体を伸ばすために、ときには自分の利益も抑えなければならないという判断があった。
鉄は国家なりという。一国の基幹産業が、こうしたすぐれた判断に基づいた経営を行なったおかけで、自動車、造船など、鉄を必要とする産業は、その競争力を強めることができた。その結果、日本の経済全体が、大きく発展することができたといえよう。この例を見るまでもなく、企業の経営者たるものは、自社の利益ばかりを考えるのでなく、その企業を成り立たせている社会、国民をだいじにしなければなるまい。民主主義国家では、企業は社会のために存在すべきなのである。
戦後の日本は、多くの企業が雇用を確保し、仕事をつくり出し、社会のためにその義務を果たしたことで、社会全体を大きく発展させることができたといえよう。それには、日本政府の企業に対するさまざまな規制がよい影響を与えてきたことは否定できない。ソ連や中国などの社会主義国家ほどには過酷な規制はしないが、それでも戦後の日本政府は、企業が好き勝手をしほうだいにすることに対しては、強いタガをはめてきたのである。
私は、戦後の日本社会では、政府と民間の関係が健全であったと思う。たとえば日本の石油会社はバカ儲けすることができない。なぜなら、石油会社が一方的に利益を独占したら、社会に多大な影響を与えるので、通産省が石油価格を厳しく管理しているからである。
また、この円高で電力会社は円高差益を消費者に還元するように、行政指導が行なわれたのも、読者の記憶に新しいところではなかろうか。市場で売られるさまざまな製品に対して、厚生省や通産省、農水省など、さまざまな役所が、許認可システムを通じて、いろいろな規制を行なっているのも、消費者保護という観点からである。
こうしてみると、これまでの日本政府は、一般の国民大衆が公平に得をするような、ふつうの人びとをだいじにする政策を行なってきたことがわかると思う。もちろん最近は、政府が行なってきたさまざまな規制に関して、その行きすぎや弊害が指摘され、それを撤廃するようにとの声が高まっている。しかし、客観的に見て、成功した部分のほうが圧倒的に多かったことは事実である。
これに対してアメリカは、企業は自分の利益だけのために好き勝手に行動していいという社会である。企業はロビー活動を通じて政府を買収し、政府は企業の利益追求を手伝っている。そして政府は企業活動に対して、原則的に厳しい規制は行なわない。お金があり能力がある人が、ビジネスチャンスをつかんで金儲けをしたいというなら、好き勝手に儲けなさいという社会なのだ。
社員のクビを切るのも好き勝手だし、安全性に問題のある商品を売り出すのも、法律に違反しないかぎり企業の勝手だ。もし、何らかのトラブルが発生した場合は、企業と個々人がそれぞれ弁護士を通じて、法律によって解決しなさい、政府はその間には関与しませんという社会なのである。だからアメリカではご存じのように、やれ欠陥商品のためにケガをしたとか、自動車の安全対策が悪かったので事故に遭ったなどといって、企業を訴えることがやたらに多い。自由を与えられる代償に、自分の権利は自分で守れというわけである。
一見、これは政府規制が少なく、自由を尊重した社会のように見える。とくに官僚によって幾重にも規制され、なにかと規則の多い社会に暮らす日本人から見ると、それは風通しのいい、素晴らしい社会に見えるらしい。しかし、その実態は、強いものはますます富み、弱いものはますます貧しくなるという社会である。
たとえば、問題を訴訟で解決するにしても、訴訟費用の支払えない貧しい人の弁護をしようという弁護士などほとんどいない。それに対して、多額の報酬を支払ってくれる大企業、大金持ちのほうには、優秀な弁護士がいくらでもつく。結局、アメリカ社会は、弁護士を活用できる金持ちしか守ってくれないのである。
その結果、現在、アメリカ社会では、一部の大金持ちは、その資金力、権力を生かしてますます富み、その一方、都市にはホームレスや失業者があふれ、犯罪、麻薬があふれるという状況になってしまった。企業の金権主義が、社会の荒廃を招いたのである。企業が自己の利益ばかり追求するのは、野蛮な社会に先祖返りするようなものだ。
★なわ・ふみひとのコメント★
解説するまでもないと思います。日本はすでに、著者がここで批判の対象としているアメリカとそっくりの国になってしまいました。アメリカを嫌って日本に帰化したビル・トッテン氏ですが、いまや先進国はすべてこのアメリカと同じような社会に変わつつあるのです。つまり、お金の力で支配される社会に‥‥。
このような形で社会を崩壊させようしている計画のことを、私は終末における「神のシナリオ」と対比して「サタンのシナリオ」と呼ぶことにしています。もちろん、それとて宇宙を貫いているスーパーパワーの手のひらの上での動きでしかないとは思っていますが、現実にはこれから世界中で大変悲惨な状況を作り出し、終末のカタストロフィー(破局)現象に彩りを添えていくことになるでしょう。
私は東日本大震災とそれに伴う福島原発事故も“彼ら”の仕業だと確信しています。この国でも早くからサタンの足音が聞こえていましたが、いまやシナリオも最終章となってきて、その足音が大きく響き始めたということです。
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