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国家の大義
 世界が賞賛したこの国のかたち
前野徹・著  講談社+α新書
 
 
 アインシュタインが絶賛した精神

 連綿と続いてきた日本の高い精神性は戦前までは継承され、海外の人々の驚嘆の的でした。
 日本文明の素晴らしさに気づいた西洋人のひとりに、20世紀の偉大な科学者、アルバート・アインシュタイン博士がいます。アインシュタイン博士が、一世を風靡した総合雑誌「改造」を出版していた改造社の招きで日本を訪れたのは、1922年(大正11年)のことでした。世界中に名を知られた高名な科学者であった博士が、多忙ななか、改造社の申し出に応じて来日したのは、小泉八雲の著書を通じて日本を知り、「神秘の国・日本」に憧れを感じていたからでした。
 マルセイユから日本に向かう北野丸の船上、アインシュタイン博士にノーベル物理学賞受賞の知らせが届き、世界中に大々的に報道されました。神戸港に降り立ったアインシュタイン博士を待っていたのは日本の人々の熱狂的な歓迎でした。この来日で全国各地の主要都市を訪問し、講演を行ない、日本の伝統文化、日本人の伝統の精神に触れ、甚く感激した博士は来日中したためた日記で、次のような感想を残しています。
 「日本人は優しく、争いを好まない」
 「日本人は平和に生活を楽しんでいて、うらやましい」
 「人を真剣に、高く評価するのが日本人の特徴。彼らほど純粋な心を持つ人はいない」
 また、「改造」に掲載された日本の感想記では、日本人の質素な暮らしや礼儀正しさ、思いやりの心を指摘し、「西洋と出合う前に日本人が持っていた生活の芸術化、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心を忘れないでほしい」と締めくくっています。
 歴史を遡れば、あのフランシスコ・ザビエルも本国に送った書簡のなかで、当時の日本人についてこう記しています。
 「日本人はこれまで遭遇した国民のなかで最も傑出している。名誉心が強烈で、彼らにとっては名誉がすべてだ。武士も平民も貧乏を屈辱とは思っていない。金銭より名誉を大切にし、侮辱や嘲笑には黙って忍ぶということをしない。武士が領主に服従するのは、それが名誉だからであって、罰を恐れているからではない。日本人の生活には節度がある。酒を飲み過ぎるきらいはあるが、多くの人たちが読み書きができ、知的水準がきわめて高い。学ぶことを好み、知的な好奇心にあふれている」
 ザビエルと同じくイエズス会に所属し、織田信長を訪ねた巡察師、ヴァリニャーノも、日本人には欠点もあるが、
 「ヨーロッパ人に見られる粗暴さや無能力がなく、忍耐強く清潔好きで、理解力に優れ、仕事に熟達している。礼儀正しさと理解力において、日本人がわれわれを凌ぐほど優秀であることは否定できない」
 と日本人の精神文化の高さを認めています。

 
中国経済が急成長する理由

 翻(ひるが)って現代の日本人はどうでしょうか。
 公の精神がすっぽり抜け落ちています。日本の経済が頭打ちになったのも、国という概念が戦後、なくなったからです。
 今、中国はたいへんな勢いで経済成長をしています。かつて、中国の人々は、家族と国を切り離して考えていました。家族が繁栄すれば、国がどうなろうとも知ったことではありませんでした。国を捨て、豊かな暮らしを求めて、世界各国に散り、華僑ネットワークを築きました。
 この家族第一主義が最近では、変わりつつあります。家族も大事だが、国もそれ以上に大事だと考える人が主流になっています。
 たとえば、アメリカに留学した日本人と中国人の最大の違いは将来の夢です。中国の人たちは、将来は国に戻り、中国のために役立ちたいと口を揃えます。一方、日本の留学生は、「英語を使える仕事に就きたい」とか、「将来、起業して裕福になりたい」とか、個人的な願望をあげる。そのまま、アメリカに残り、日本を捨てる留学生も数多くいます。
 中国の経済が今発展しているのは、日本の明治時代と同じく、若い人たちが国の繁栄を願い、懸命にがんばっているからです。
 中国だけではありません。アジアの子供たちの多くが、「将来、みんなのために何かできる人間になるために勉強したい」と目を輝かせます。
 国なき日本では、大人も国を顧みません。官僚は国民の税金をむさぼるだけむさぼり、引退した後は、「この国は、終わった」と、自らの責任は棚にあげて海外へと生活の拠点を移し、逃げ出す。私の周りには、海外に移住し、悠々自適の生活を楽しんでいる官僚OBや経済人OBが数え切れないほどいます。
 ――日本はなんと無惨な国になり果てたのでしょうか。

 
外国人が見たサムライ

 かつて日本は貧しく、現代の人々のように海外旅行もできなければ、着飾ることもできなかった。おいしいものを毎日食べるという贅沢もできませんでした。しかし、今の日本人よりはるかに格好が良かった。内面からにじみ出る威厳と美しさに満ち満ちていました。
 アメリカの一般大衆が日本人を初めて目にしたのは、1860年の春でした。この年、徳川幕府は日米修好通商条約批准のため、小栗忠順(おぐりただまさ)らの使節団を送りました。使節団はワシントン、ニューヨークを回りました。
 当時、ワシントンでもニューヨークでも、日本人使節団見たさに多くの見物客が集まりました。そして、アメリカの人々は、日本のサムライたちの凛とした立ち居振る舞いに、感動さえ覚えました。
 ニューヨークで一行を見たウォルト・ホイットマンという詩人はサムライたちの品の良さ、毅然とした態度、その動作のひとつひとつに感激し、「ブロードウェイの行列」と題した詩を残したほどでした。
 現代の日本人は着飾って海外に出かけるけれども、感動どころか半分侮蔑されています。せいぜいカネ蔓(づる)ぐらいにしか思われていません。日本人に対する尊敬は消えてしまいました。マレーシアでもタイでも、インドネシアでも……。
 その理由はなんでしょうか。アジアの人々があの戦争を恨んでいるからではありません。日本は多大な迷惑もかけましたが、アジアの国々の欧米列強からの独立には、心底、力を注いだ。そして戦後、灰燼のなかから立ち上がり、未曾有の経済大国を築いた。東南アジアには、かつて日本人を尊敬し、日本に憧れを持つ人々がたくさんいました。
 たとえばモハマド・マハティールが首相当時のマレーシアは、日本の経済成長にならい、「ルック・イースト政策」を実施し、大きな効果をあげたのはよく知られています。
 しかし、今はもう、日本は見習うべき模範ではありません。裕福になって、心を失ってしまった日本人は、ただの醜い存在であり、むしろ彼らの反面教師となってしまったのです。
 憂国の作家、故・司馬遼太郎さんが、小説『峠』のあとがきで次のように指摘しています。
 「人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。人はどう思考し行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教である。(中略)明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、かつての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおして、かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう」

   ★なわ・ふみひとのコメント★
 
江戸時代までの日本人が、先進文明を誇る西洋の人間から見ても非常に優れた民族であったことがよくわかります。世界を一極支配しようと考える者たちは、この優れた民族をあの手この手で劣化させ、骨抜きにする必要があったのです。その第一弾が明治維新であり、第二弾が太平洋戦争後のGHQ(占領軍)による“日本民主化”の諸政策だったのです。
  その結果、この国の国民の気高さは失われ、いまでは雪崩を打って劣化の道(家畜化の道)を転がり落ちています。行き着くところは、外国に操られた人間に国家の中枢機能(政治とマスコミ)を完全支配され、実質上の奴隷化を余儀なくされつつある今日の姿なのです。平和な世の中を夢見るのは個人の自由ですが、ますます加速化し、激しさを増していくと思われる終末現象を目の前にして、ここに述べられているような歴史的事実と、その結果としてのこの国の現実を直視する姿勢は持っておく必要があると思います。

 
 
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