米軍より恐ろしかったのは餓死だった。85歳の元兵士が暴く戦争の『醜いはらわた』──本の帯より
頼みの綱の友軍陣地に向かって
アメリカ軍の大部隊が上陸してきたとき、ホランディアにいた約1万人の日本兵の大多数は非戦闘員でした。航空部隊、飛行場設営部隊が主で、戦闘部隊はわずか2個中隊のみ。日本兵は、山岳地帯を通ってサルミ方面めざして退却しました。センタニ湖に通ずる道路は、すでに敵に掌握されていましたので、退路はいやでも山岳地帯を歩かねばなりません。
敵が上陸する寸前、着任したばかりであった第九艦隊司令長官遠藤中将は、その山を横切って退却しようとしたのです。もちろん、無事に済むわけがありません。おそらく、このサイクロープ山だけで、何百人もの日本兵が行き倒れたことでしょう。
第六飛行師団ら転進部隊の行き先はひとつでした。ホランディアから西へおよそ3百キロの地点にあるサルミという村落です。中国戦線から急進派遣された歩兵第三十六師団が昭和18年末そこに上陸、陣地を構築していました。
サルミへ行けば友軍の戦闘部隊がいる、その指揮下に入るべきだ。ホランディア陥落寸前に、第6飛行師団長に任命されていた稲田正純少将はそう考えたのです。そしてジャングル内の転進を開始したのです。飛行場そばに設置されていた病院の負傷者、病人は、ことごとく自決させられました。
トル河に築かれた死体の山
約1カ月半のち、転進部隊の約半数ほどが、サルミ目前のトル河まで到達しました。サルミに行けば、友軍が助けてくれ、メシも食えるはずだ、と彼らは思ったことでしょう。しかしそれ以上進むことはできませんでした。第三十六師団の師団長命令で、渡河することが厳禁されていたのです。河岸には第三十六師団の布告が建てられていました。
「無断渡河する者は、即座に銃殺に処する」
すでに河の向こうにも敵軍が上陸して、激しい戦闘が繰広げられていたのです。
飢えた無秩序な敗軍の兵士たちが戦闘地域に入りこんでも、何の助けにもなりません。むしろ、大混乱を引き起こして痛手になる。食わせる食料もない。なれば、なんとしても転進者の侵入は防がねばならない。サルミの師団司令部は、そう判断したのです。
その結果、どんなことが起きたでしょうか。トル河東岸に、死体の山ができたのです。長い長い逃避行に堪えてきた転達者たちは、草をちぎり、土を噛み、はてはお互いが殺し合いながら、折り重なるようにして死んでいきました。
第三十六師団の戦史には、第六飛行師団の最期について簡単な記述があります。
「トル河中流に自治を要求された第六飛行師団部隊は、6月上旬612名、中旬596名が戦病死した。同部隊の戦病死数は、シアラに移動し北園少将の指揮下に入った同月下旬には180名にとどめることができた」
「自治」とは聞こえがいいですが、要は同胞から受け入れられず立ち往生していたということです。実に6月だけで、第六飛行師団の将兵1388名が、戦病死、つまり飢えて死んでいったのです。
その現場を目撃した人間の手記を紹介します。陸軍の現役兵を経て海軍第八建設部に入った三橋正代という人物です。
彼は運の強い人間でした。それ以上に、環境に耐え抜く肉体的、精神的な順応力を持っていたのです。ほとんどの転進者が行き倒れたのにもかかわらず、彼が生きながらえることが出来たのには、その素質が大きな力を発揮したからだと、私は思っています。
トル河を渡ることを禁じられた彼はいったん、コイスチャンという村落に滞在します。そこには先住民の家が5、6軒あるのみで、食糧はなく、兵士たちは次々に餓死していきます。そして彼は信じられない光景を目にしたのです。
腹は裂かれ、肉は削ぎとられ
見ている前で次々と兵士たちは斃れていった。力がつき果てたのか、杖をついて樹に寄りかかっている者が次第にくずれ落ち、そのまま口をすこし動かしたまま死んで行くのだ。そのようにして斃れていった同胞が、一夜もたたないうちに、大腿や内臓部が切りとられている。その見るも無残な姿を見て、目の前がまっくらになった。
いかに餓死しようとも、いままで共に苦労を重ねてきた仲間の肉まで剥ぎ取ることは、いまの今まで考えたこともなかった。背中が急に寒気がして震えてきた。いつ俺もこんな姿になるのか。天皇陛下の股肱の臣の、これが最期の姿か。ぼろぼろの夏襦袢を引き裂いて、顔にかけてあった。このようなことをする鬼人も、死者の顔をまともに見ることはできなかったのだろう。
この人も国を出るときは、あの歓呼の声に送られ、手を振って出征してきたのだろう。生きたい、生き抜きたいは誰も同じだ。だがなぜこれほどまでにしなければ──。
毎日、頭上から敵機が散布する降伏ビラが降ってくる。それには立派な日本語で書いてある。
「君たちはすでに尽くすだけは尽くしたのだ。いたずらにジャングルの中で餓死すべきでない。潔く降伏してこい。米軍は君たちの衰弱し切った身体を、速やかに豪州に送って静養させる。ジャングルに無駄な死に方をするな。このビラを掲げて来ればよいのだ。君たちの親、兄弟が待っている」
降伏は日本軍には絶対だめだ。俺たちは小さい時から、もちろん軍隊においても、そう教育されてきた。そのため、このような哀れな姿になっても、敵には降伏しないと今日まであらゆる苦難に耐えてきたのだが。
だが、いま眼の前の兵隊は、腹は裂かれ、太腿の肉は削ぎとられ、白い骨まで見えているではないか。軍規も軍法もなく、戦力を喪失したいまの我々には、降伏するのが本当かもしれない。
いままでにも、道際に何十、何百の死体が転がっていた。死体は腐ってものすごい臭気を発し、無数の銀バエが群がっていた。そばを通るたびに、ハエはうなりを生じて飛び立つが、また真っ黒になって腐肉をむさぼるのだ。そうして野良犬同然に倒れている者を埋めてやるなにものもなく、臭気に鼻をつまみ、その場を遠ざかる。
だがいまほど、人の生死について考えさせられたことはない。なぜこんな無駄な死に方をしなければならないのだろう。いやだ、いやだ。背筋が震えてくる。俺は石にかじりついても生きていたい。家族の許に、這いずってでも行きたい。
三橋氏のこの痛切な思いは、若い世代の人たちにどう伝わるでしょうか。そのことを考えるために、まさに私は嘔吐を抑えながら、かくも無残な記録を読み返しているのです。その後、三橋氏は師団の命令を無視し、トル河上流を渡河して戦後まで生きのびることができました。
★なわ・ふみひとのコメント★
あまりにも悲惨すぎて、読むに耐えない内容です。先の戦争では、アメリカの空襲で国内でも多くの犠牲者を出したので、戦地における戦争の悲惨さはあまり関心を持たれませんが、わが夫を、父を、兄を、弟を、許婚を、ある日突然届いた1枚の赤紙(召集令状)で戦地へと送り出さざるを得なかった当時の人たちの気持ちを思うと胸が痛みます。その夫や兄たちは、この本の著者が伝えてくれているように、熱帯のジャングルの中で飢えと闘いながら、家族に連絡をとる手段もないまま果てていったのです。この本はまさに鎮魂の書として、平和を望む現代の多くの日本人に読まれるべきでしょう。