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 縄文日本文明一万五千年史
序論
太田龍・著  成甲書房
 
 
 『神々の指紋』グラハム・ハンコックの指摘は的を射ているか

  『神々の指紋』の著者グラハム・ハンコックが来日し、6週間かけて日本の縄文文化遺跡を調査した(2000年)。
  「日本以外ではほとんど知られてないけれど、私は縄文を古代世界で最も重要な文化と位置づけています」と彼は述べる。
  1万2千年前、地球を襲った天変地異によって世界中の古代文明が滅びた。しかし日本列島の縄文人はその目撃証人であり、しかも生き残って現在の日本人までその系統はつながっているのではないかと、ハンコックは推測する。
  「縄文文化は海外ではほとんど知られていない。それは日本人が過小評価し、発信もしてこなかったからだ」。その封印がハンコック氏によって解かれようとしている。「1万2千年超の足跡を現在まで連綿と残している、世界でも希有な縄文文化に、どんなに注目しても注目のしすぎということはない」。
  日本人が過小評価してきた、西洋(英国)の作家がその封印を破って云々、という。しかし、「日本人」と、容易に一般化してもらっても困るのである。太古以来の日本の伝統を過小評価したのは、まず、中国かぶれの売国奴エリート権力階級、次に西洋かぶれの同じ売国奴エリート権力者階級、であろう。
  過小評価が究極まで煮詰まると、まさしく現在の日本の政財官学界マスコミ界エリート集団のように、日本的なるものの一切を抹殺しないではおれない心理メカニズムとなる。

 
日本人の脳の特異性、角田忠信博士説

  西洋式言語学の訓練を受けた日本の学者たちは、百年以上にわたって日本語をいじくりまわしてきた。日本語という、何から何まで奇妙な、人類文明の頂点に立つ西洋人の言語に対して異質であり、それ故劣悪な言語を破壊して、これを西洋語化することこそ、西洋文明の洗礼を受けた自分たちエリートの使命である、と固く信じた。
  その国その民族の言語はまた、その民族の音楽と緊密不可分に結びついている。日本語が西洋語およびユーラシア大陸のすべての民族の言語と決定的に異質であると同時に、日本人の音楽もまた、西洋人の音楽と本質的に異なる。ところが、西洋かぶれの明治国家官僚は、小学校の全般的義務教育学制を施行するにあたって、全児童に西洋音楽を強制した。
  「日本の義務教育での音楽教育は、日本人が長い伝統で培った音楽の感覚を全く無視して、これとは異質な西洋音楽の方法でなされているという指摘は、日本の教育者からされている」と角田博士が言われる通りである。
  (中略)
  にもかかわらず、角田博士は、(少なくとも9歳頃まで)日本語で育った人間の脳の働きは、西洋人のみならず日本人以外の他のすべての民族と人種とは全く異質であるという独自の新説を立て、それを実証する仕事を営々と積み重ねられた。(中略)
  角田博士の学術論文を発表年代順に収録しただけの、まるで一般受けのする要素のない『日本人の脳』が、平成5年に34版というから脱帽だ。

 
日本語はまるで「原始の尻尾」をつけたような言葉 

  日本では認識過程をロゴス(論理)とパトス(感情、情念、情緒)に分けるという考え方は、西欧文化に接するまではついに生じなかったし、また現在に至っても、哲学、論理学は日本人一般には定着していないように思う──と角田博士は語っておられる。
  西欧人においては、左脳(言語半球)はロゴス的脳。言語は子音(音節)、そして計算。右脳(劣位半球)はパトス的脳と機械音、楽器音、自然音、そして母音、という。しかるに、日本人の場合は、左脳(言語半球)は、子音のみならず母音、あらゆる人声。そして、虫の声、動物の鳴き声などの自然音、そして計算を司どる。右脳(劣位半球)は楽器音、機械音。
  この事実は、『日本人の脳』が出版された昭和53年までの間に、角田博士によって明らかにされたことである。しかも、その後実験を続けていくうちに、西欧人のみならず、日本人とポリネシア人を除く、他のすべての民族と人種が、西欧型に分類されるという。
  日本語は完全に孤立しているのか──?。
  渡部昇一(上智大学教授)は「日本語だけが変にユニークで原始の尻尾をつけたような言葉である」とさえ語っており、「西洋人もうんと太古には日本語みたいに左のほう(左脳)にみんな入っちゃうような言葉だったのではないか」と続ける。
  日本以外の民族では、何度も何度も「原始の尻尾」を切られた。日本は幾度か「切られそう」にはなったがその度に生き延びた。そこを「私が数えただけで5回あるんですよ。一回目は用明天皇のときの仏教導入です。2回目は頼朝の時。3回目は北条泰時。それから明治維新。そして敗戦」と渡部は解説する。
  「日本語のユニークさ」とは、つまるところ、人類の原始太古時代の言葉が生き延びている、いや単に言葉というのではなくて、脳の仕組み、脳の働きが太古のまま維持されている、ということなのであろう。
  「日本文化を考えますと、どうも普通の文明国の文化じゃないところがあるんですね。おかしい文化なんですよ」(渡部昇一)。
  超太古原始人の精神と最先端西洋科学技術文明が共存している。日本人以外は、いずれかの時点でこの原始性が切断されて消滅している。しかし日本人だけはそれが生き続けている。どうも、日本に関する限り、超太古期縄文文明は今日まで生きている、と言えそうなのだ。日本には、外国のいかなる規準や物差しもそのままあてはめることは出来ない。
  また、ハンコックのこうした発言も重要だ。「縄文土器は、素晴らしい古代文化の結晶です。縄文人が作った土器を手にすると、電流のようなものに打たれて、縄文人の知的水準の高さ、創造力、あるいは芸術的センスといったものが、歳月を超えて伝わりました。私たちにとって幸運なことは、縄文文化は失われた文明ではないということです」。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
この文章のあとに、画家の岡本太郎(1996年没)が上野の博物館で初めて縄文土器を見て、「‥‥心臓がひっくりかえる思いだった。人間の生命の根源をほとばしるように刻み込み凝集した凄みとでもいったらいいか、とにかく圧倒的な迫力でした。全身がぶるぶる震えるくらいのね。こんな凄い造形が太古の日本にあったのかと‥‥」と驚いたエピソードが紹介されています。縄文人の流れを引く私たち日本人の脳は、世界の他の民族の脳とは異なっているのです。この秘密はどうやら日本語の中にあるようです。日本語は大切に守っていきたいですね。
 日本文明に関してユニークな研究を続けてこられた太田龍氏も、今は亡き人となってしまいましたが、氏の著書はぜひ多くの人に読まれるべきだと思います。特に「どうも自分は自虐史観の影響を受けているのではないか」と思われる方にお勧めします。
 
 
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