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 出口王仁三郎の
霊界からの警告
武田崇元・著  光文社文庫
 
 
 21世紀、超弩級の「ヒの雨」が降る!

 いま私たちの社会構造や意識は、目に見えないところで大きな変化を生じはじめている。
 しかもその変化は、いままでにない超弩級の文明的変化で、そうなれば21世紀には、これまでの人類社会が、まったく別な世界に生まれ変わってしまう、そんな予感がきわめてリアリティを帯びてくる時代を私たちは生きている。
 元NHKディレクターで文明評論家の浦達也氏は、これをいみじくも「あの世がこの世になる時代」と表現し、「レトロ・フューチャー」というキーワードで説明する。「レトロ・フューチャー」とは、「過去と未来を合わせ鏡にして、たがいに照射する混合ビジョン」だという(『仮想文明の誕生』光文社)。これは、まさに過去と未来が反響するかのように照応する『霊界物語』の時代の到来を予感させる言葉ではないか。
 いずれにせよ、これから私たちが直面することになる変化は、どんなかたちであれ、人間の存在の仕方まで変えてしまう「種の進化」に近いような変化になることはまちがいない。
 この進化の引き金はすでにひかれている。まだまだ大峠はつづく。「種」としての再生と破局のドラマは永続革命のようにつづくのだ。
 「火の雨」とは核の恐怖だけではない。「ヒの雨」とは、人間が進化のためにくぐりぬけなければならない「霊(ひ)の雨」でもある。
 王仁三郎は「今の世」のかなたに、「大未来」すなわち「ミロクの世」があるという。そして、ほんとうの「ミロクの世」は、「今の世」とはまったく違う位相にある世界だという。
 『霊界物語』には、「大過去」つまり神代に地球の現界で起こったことがおもに記されている。しかし常識的にいって、その当時の人間は、原人レベルにとどまっていたはずである。まさか『霊界物語』は、その原人の物語ではありえない。35万年の過去には、『霊界物語』の世界と、原人の世界とが同じ地球上に、同時に存在していたのである。
 そういうことがありえない、と考える人は、いまだに手応えのある現実がひとつだと思っているからにすぎない。そのような現実に対する素朴な存在論そのものが、21世紀になると崩壊するだろう。
 過去と同じく、未来にはふたつの世界が共時的に存在することになる。
 どんどん人間が進化してゆく過程で、ある種の人びとは、いねば異次元の「大未来」、ほんとうの「ミロクの世」へとスパイラルに移行する。
 だが、進化から振るい落とされた人間は、大三災、小三災によって廃墟となった都市空間をドブネズミのように彷徨いあるき、無限地獄のような闘争を繰り返すことになる。そういう人びとが救われるためには、さらに王仁三郎の再臨を待たねばならないのである。
 またある人びとは、永久に脱出が不可能な、ネガティブなヴァーチャル空間に閉じ込められることになるのかもしれない。脳とコンピュータがインタラクティブ(双方向)になるということは、基本的には進化の契機になるが、また別の観点からいうと、一定数以上の悪思念に凝り固まった脳が存在すれば、悪思念によって支配される袋小路のような負のヴァーチャル空間が実際に出現するということにもなる。
 王仁三郎の言葉に「立て分け」という無気味な言葉がある。これまで人類が経験したことのない大進化(大峠)の過程で、この世自体の「立て分け」が行なわれる、と読み取れる確言である。
 王仁三郎は昭和17(1942)年に仮出所したあと、陶芸作品に没頭する日々を送る。晩年の王仁三郎は、その波瀾の生涯とは対照的な静かな毎日を送った。それは、人間としての王仁三郎に、わずかに許されたやすらぎのときであったともいえる。
 ところが、王仁三郎はある奇妙な行為にその最後の情熱を燃やす。わずか1年のあいだに、約三千個におよぶ陶器を焼きあげるのである。その光輝くような独特の不思議な色彩感覚は、のちに専門家から「天国の美」と絶賛され、耀碗(ようわん)と名づけられる。
 みずからを壮大な「器」と化して、霊界と現界の交感磁場の創出を、未曽有のかたちでくわだてた出口王仁三郎──その彼がひたすら焼きあげた「器」には、なんの思いがこめられていたのだろうか。
 無心に土をこね、最後の霊的造形力で「型」となし、みずから窯に火をくべて焼きあげる王仁三郎。そのとき、彼は産霊(うぶすな)の土に霊的な命を仮託し、燃え上がる紅蓮の炎のなかに、あらたな宇宙の創造を準備したにちがいない。
 現界での命を限りあるものとした出口王仁三郎にとって、それは最後のエネルギーの燃焼でもあった……。
 王仁三郎はかつて「わしのは予言ではなく預言」だといったことがある。
 「預言」とは、すなわち「言を預かる」という意味である。神は警告を発するが、いったんその言を預かる。そして再三の警告にもかかわらず人民や指導者がいうことをきかぬときに、いよいよ「いうてきかしてわからねばきかしてみせる」のである。
 また、王仁三郎は、こうも言っている。

  ことさらに神は地獄をつくらねど
      己がつくりて己がいくなり

 その時期は近づきつつある。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
終末の大峠がどういう形で始まり、決着していくのかということがおぼろげに理解できる内容です。この世界は複層化(二極化)するということです。出口王仁三郎の言葉を借りれば、高級霊界(神界)と融合してできた「ミロクの世」と、大三災と小三災に見舞われ、悪思念によって覆われた地獄的世界とに分かれていくということになります。それが「立て分け」と呼ばれるものです。
 未来と過去、現在が融合するというイメージは、時間が直線的に流れるわけではないとされる霊界の様相と似ています。別な表現をすれば、過去の行為(身・口・意)のカルマが現在に反映し、現在の行為(身・口・意)がカルマとなって未来において開花するという形でなく、身・口・意がすぐに形となって現れる世界が訪れるということです。今すでにそのような傾向が強まっていることを感じますが、人が悪思念を持てばそれにふさわしい現象がすぐに実現するわけですから、そのことによってさらに悪思念が加速されることになります。そうやってこの世界の二極分化が進み、大峠(2012年12月という予測は外れましたが、そう遠くはない将来に訪れると見ています)においては、それぞれ人は二つの位層(位相)に魂の居場所が決まっていくということです。
 
 
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