サンフランシスコで受けた「文明」の洗礼
一行は、アメリカの太平洋郵船会社(パシフィック・メール・スチームシップ・カンパニー)の「アメリカ号」で、横浜を出帆します。4500トンの帆走を兼ねた外輪船で、23日間でサンフランシスコに着いています。
サンフランシスコは、当時人口が15万。ゴールドラッシュ以後急速に発展した、ある意味で西洋文明の最前線基地ともいえる街でした。一行はここで初めて西洋文明と出会うことになります。使節団の中にはすでに外国を知っている者もありましたが、ほとんどの人にとって最初の異国であり、印象がことさら鮮烈であったようです。
大使一行の案内されたホテルは中心街のグランドホテルでした。ここはヨーロッパスタイルの5階建ての格式のあるホテルで、一行は「西洋文明」の最初の洗礼を受けることになります。
玄関からロビーに入ると、まず磨き上げられた大理石の床に驚かされます。ロビーに続いて300人を一度に収容できるという大食堂があり、そのフロアには酒や菓子、果物、煙草、服飾品を売るアーケードがありました。2階から上がホテル部分で、部屋数は300に及んでいます。
一行はそれぞれの部屋に案内されましたが、驚きの連続でした。
久米邦武は、『米欧回覧実記』にこう書いています。
「客室、寝室、浴室およびトイレ、みな備わっている。大鏡は水の如く、カーペットは花の如く、天井からは宝石かとみまちがうほどのビードロのシャンデリアがぶら下がり、ガス灯を点ずれば七彩に輝いて素晴らしい。窓には紗(しゃ)に花紋を織りだしたカーテンがかかり、霞をへだてて花を見るようであった」
ベッドに腰かけてみると、スプリングが効いていて心地よく、洗面台の栓をひねれば清水がほとばしり出てきます。石鹸、手ぬぐい、マッチ、コップまで真新しいものが揃っています。わずかに指の先でベルを押せば、百歩の外から女中が飛んできます。(中略)
万雷の拍手を浴びた伊藤博文の「日の丸演説」
サンフランシスコでは、使節団の到着前から歓迎委員会が組織されていて、明くる日から日曜以外はとぎれることなく歓迎行事が続きます。12月14日(陽暦1月23日)には、グランドホテルで、市歓迎委員会主催による大歓迎晩餐会が開かれました。それは歓迎行事のハイライトともいうべき大レセプションで、会場には日米の国旗が飾られ、参会者は300人を超え、知事、前知事、市長をはじめ各界の名士を網羅していました。
スピーチと乾杯がえんえんと続きます。岩倉大使もこれに応えて挨拶し、つづいて伊藤博文が立って英語でスピーチをしました。これが日本人による、おそらく公式の場では初めてと思われる英語でのスピーチで、のちに「日の丸演説」として知られるところとなります。当日の模様を伝える現地の新聞「サンフランシスコ・クロニクル」から抜粋して紹介しましょう。
「今日、わが日本の政府および国民の熱望していることは、欧米文明の最高点に達することであります。この目的のために、わが国ではすでに陸海軍、学校、教育の制度について欧米の方式を採用しており、貿易についても頓(とみ)に盛んになり、文明の知識は滔々と流入しつつあります」
「しかも、わが国における進歩は物質文明だけではありません。国民の精神進歩はさらに著しいものがあります。数百年来の封建制度は、一個の弾丸も放たれず、一滴の血も流されず、一年のうちに撤廃されました。このような大改革を、世界の歴史において、いずれの国が戦争なくして成し遂げたでありましょうか。この驚くべき成果は、わが政府と国民との一致協力によって成就されたものであり、この一事をみても、わが国の精神的進歩が物質的進歩を凌駕するものであることがおわかりでしょう」
伊藤は、前年7月に断行したばかりの廃藩置県のことをいっているのです。
「わが使節の最大の目的は、文明のあらゆる側面について勉強することであります。貴国は科学技術の採用によって、祖先が数年を要したことを数日の間に成し遂げることができたでありましょう。わが国も寸暇を惜しまず、文明の知識を取り入れ、急速に発展せんことを切望するものであります」
伊藤はいよいよ熱弁をふるいます。
「わが国旗にある赤いマルは、もはや帝国を封ずる封蝋(ふうろう)のように見えることなく、いままさに洋上に昇らんとする太陽を象徴し、わが日本が欧米文明の中原に向けて躍進するしるしであります」
万雷の拍手が起こりました、しばしそれは鳴りやまなかったといいます。新生日本の開化への烈々たる意気が、31歳の伊藤の燃えるような情熱のほとばしりとなり、参会者の胸を打ったのです。
この新しい日本を象徴するような若々しいスピーチは、日本が未開、野蛮の島国ではなく、長い歴史を持つ精神的に進んだ国であり、いまや欧米文明国の仲間入りをすべく積極的に文明開化に努力している国家であることを世界に向けて宣言するものでありました。
★なわ・ふみひとのコメント★
本書は、幕末の大動乱を経て誕生した明治新政府が、岩倉具視を団長とする「岩倉使節団」を編成して西洋諸国を歴訪したときの様子を、随行した久米邦武の『米欧回覧実記』を参考にしながらまとめたものです。昨日の内容と併せて読みますと大変感慨深いものがあります。自然を傷つけない「循環型経済」を続けてきた江戸時代の日本人が、近代合理主義によって物質的に発達した西洋文明に触れて感動させられる姿がありありと描写されています。
伊藤博文が英語で行なったという「日の丸演説」は、当時の日本が先進国アメリカに比しても非常に文化度の高い国であったことがわかります。原文は本人が執筆したものではないと思いますが、江戸時代を生きた日本人の気高い心意気を感じさせる内容です。
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