[戻る] 
Browse  
 
 古神道のヨミガエリ
山田雅晴・著  徳間書店
 
 
 高次元存在の正体はサニワをしないとわからない

 近年、日本でもチャネリングやリーディングがブームになっています。
 チャネリングは宇宙の意識や霊的存在にチャンネルを合わせてそのメッセージを聞くことですが、これは一種のシャーマニズムであり、古神道の鎮魂帰神法の変形だと見ていいでしょう。また、いろいろな霊能者が予言やお告げを行なっていますが、これも同様です。
 鎮魂とは自己の魂をきちんと鎮め、コントロールする方法を指し、帰神とは神懸かりを指します。つまり鎮魂帰神とは、神や霊を自分の体に憑からせ、コンタクトすることを言うのです。
 古神道では、鎮魂帰神を行なう場合、必ず神主と審神(サニワ)とがセットになっています。神職の俗称を神主といいますが、本来の神主とは、神と交信するする人物(依り代、台ともいう)のことなのです。そのとき、神主に憑かった神霊が、はたして本当に由緒正しい神なのか、それとも低級霊のイタズラなのか、あるいは降りてきた神示が有益なものなのかどうか、判断する役目をサニワと呼びます。
 サニワは、神事において降臨した神霊やメッセージの真偽・レベルを分析し、判定します。たとえば八幡大神を名乗る神が神主に憑かった場合、サニワは神話や霊学の知識をもとに、さまざまな問答を行ないます。それで神霊の言っていることには信憑性があるとなれば、これは本物の八幡大神だろうと判断し、御神示をうかがいます。しかし、辻つまの合わないことや次元の低いことを言う場合、「おまえは八幡大神ではない!」と喝破することもあるわけです。
 考えてみればあたりまえです。神霊を降ろしたと言っても、それが本当なのかどうか、その神霊の言葉からだけではわかるわけがありません。「私は天照大御神です」と名乗っても、どうしてそれをそのまま鵜呑みにすることができるでしょう。
 一般社会でも、いきなり人の家に訪ねてきて名前を名乗る以上は、身分を証明するものがなければ信じてもらえないのといっしょです。専門的見地からそれを判断するのが、サニワの役目なのです。
 サニワは沙庭とも書きます。もとは清場(サヤニワ)の意味で、神の神官をいただくために清められた場所のことでした。それが転じて沙庭と呼ばれるようになり、その沙庭で神託の意味を判断する人のことをサニワビトと呼ぶようになりました。それに漢字で意味を当て審神者(サニワビト)となり縮まって審神(サニワ)になったというわけです。
 古神道では、何でもかんでも目に見えないお告げをあてにするわけではありません。神と自称するものを信じることの危険性をよくわかつているからです。だから、神主とサニワのペアによる神うかがいという形が、古代から伝承されてきたわけです。
 現在の百花繚乱のチャネリング・神示をみると、チャネラーや霊能者といった神主は数多く存在するけれども、送られてきたメッセージの真偽や有効性、送ってきた存在の正体を見極めるサニワがほとんどいません。そして本当だか嘘だかわからない霊的メッセージを、一般の人が信じこんで右往左往しています。これは精神的にあまり健全な状態とはいえません。私たちの一人ひとりが、しっかりしたサニワという視点を待ち、霊的な問題に充分な判断力を持ちたいものです。

 
メシア待望論はタナボタ的思考になりやすい

 ニューエイジ運動や終末的宗教活動をやっている人たちには、観念的で現実逃避型の救世主待望タイプが多いように見受けられます。また、社会的な評価が得られなかったり、自分の生活がうまくいかないので、神様やUFOのことに夢中になっている人も少なくありません。
 こういう人たちは純粋な人ではありますが、心の奥にどこか現実を直視したがらないところがあるようです。地に足がついていないとでも言ったらいいでしょうか。
 UFO待望論者の思想は次のようなものです。
 「地球まで来れる科学力を待った宇宙人は、今の地球人より高度な文明を待っているのだから、やがて、いまの政治や経済、宗教も、まったく変わってしまう。特に、宇宙人の社会は貧困や災害が存在しないことになっている。いわゆるみんなが幸せなユートピアだ。それが地球にもたらされるわけだから、もうあくせく働くことも人間関係で苦労することもなくなる」
 というわけです。
 宇宙人が空からタナボタ式に、地球に幸せをもたらしてくれるというのですが、これは一種のメシア思想だと考えていいでしょう。地球が危機に陥ったとき、ウルトラマンのように救世主がやって来るという考え方なのです。マイトレーヤ(ミロク)の下生も同じパターンです。
 そうなると人間は、現状を自力で打開しようという意欲が薄れてしまいます。また、選ばれた人間のみが救われるという選民思想にもつながります。ここに問題があります。私自身はUFOや宇宙人の存在を認めていますし、宇宙人が地球人類のいろいろな問題に対してアドバイスするという形で姿を現していると思っています。江戸時代の書物にも空飛ぶ円盤らしきものの目撃談が載っていますし、宇宙人の存在自体は疑いようがないと思います。
 しかし、だからといって宇宙人が地球を助けてくれるというムシのいい考えはさすがに持てません。仮に宇宙人がボランティアの心で地球に救いの手を伸ばしてくれたとして、それにただすがることが、はたして本当に人類のためになるのでしょうか。私はそうは思いません。
 古神道では、ただボーッと待っているだけで救いが与えられるとは考えません。だからこそ行法によって自らのケガレを祓い清め、ナオヒを輝かせようと努力するわけです。そのうえで高次元からのお陰をいただくのが古神道の考え方です。自分は何もしないで、ただメシアを待望するだけではミソギにもタマフリにもなりません。ということは、御魂はケガレたままなのです。
 一人ひとりの魂の向上なくして人類の危機が回避できるとは、とても思えません。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
霊界通信や宇宙人からのメッセージの危険性を述べています。日本に古くからある神道の教えでは、サニワ(審神)を非常に重視し、その方法についてもさまざまな研究が重ねられてきたのです。しかしながら、今日のように次元の壁が薄くなりつつある時代においては、異次元(霊界・幽界)の存在からさまざまな形でこの世界の人にアプローチがなされるようになり、全くサニワ(審神)されないままにいろいろなメッセージを取り次いで世を惑わす人が増えているということです。「神様の声が聞こえた」と言って感動するような心のレベルでは、いともあっさりと魑魅魍魎の餌食にされてしまいます。サニワの素養もない一般の人が取り次ぐ異次元からのメッセージには要注意です。
 
 
[TOP]