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 竹内文書
 世界を一つにする地球最古の聖典
高坂和導・著  徳間書店
 
 
 縄文時代の稲作は科学的にも立証されている

 つい2、30年前まで、縄文時代は完全な狩猟採取生活であったと信じられていた。
 最近、青森県青森市の三内丸山遺跡から発見された大量の栗が、DNA鑑定の結果、人工的に栽培されていたことが判明し、考古学上の大発見だと報道されていた。
 それを読んだわたしは、『竹内文書』の記述を裏づける物証がやっと出たかと心が弾む思いがした。
 『竹内文書』によれば、穀類を初めとする食物の栽培技術は日本から世界に広まったのである。にもかかわらず、日本には野生種のイネが存在しないことを理由に、稲作は大陸から弥生人が渡って来たときにもたらされた文化であると信じられているのだ。事実、長い間の発掘調査でも稲作の痕跡はみつかっていなかった。
 ところが、あまりニュースになっていなかったが、縄文時代の穀物栽培は三内丸山の栗畑発見以前にも見つかっていたのである。
 昭和53年に、縄文晩期に属する福岡市の板付遺跡から見つかった水田跡だ。縄文時代に稲作が行なわれていた証拠以外の何物でもない。だが、学会は「稲作=弥生時代の渡来人の文化」という考えに強くとらわれていたため、これは弥生人がいち早く渡来していた跡だという考えに傾いてしまったのである。だが、これを機に縄文時代の稲作の可能性が改めて問いただされるようになっていったのも事実である。
 それから十余年、宮崎大学農学部の藤原宏志教授は、稲作の有無を判定するのに画期的な方法を取り入れた。それは、土器に含まれるプラントオパール(植物珪酸体)の有無を調べるというものである。平成3年から実施されたこの方法が、最近注目を集めている。
 イネ科の植物は珪酸を多量に含んでいるが、これはイネが枯れた後も一部は細胞の形を保ったまま残る。したがって、縄文土器の破片から微細なサンプルを削り取り、洗浄したのち、顕微鏡で観察し、プラントオパールが見つかれば、その時代に稲作があったという判断につながるというわけだ。
 平成8年までにこの方法で見つかったプラントオパールで最古のものは、岡山県美甘(みかも)村の姫笹原遺跡出土の土器片から検出された。今から約四千五百年前、時代区分でいうと縄文中期にあたる。縄文中期のものは今のところここだけだが、縄文晩期まで範囲を広げれば、青森県八戸市の風張遺跡、岡山県総社市の南溝手遺跡でも稲作の痕跡は見つかっている。福岡県福岡市の板付遺跡、佐賀県唐津市の菜畑遺跡では、約二千五百年前の米が完全なまま炭化したものまで見つかっている。もはや縄文時代に稲作が行なわれていたことは否定できない事実となりつつあるのだ。
 なによりもこうした発見は、ごく最近の調査結果でしかないということだ。まだまだ調査範囲も検体も充分とはいえない。今後対象範囲が広がっていけば、さらに古い時代のプラントオパールや米が発見される可能性は非常に高いといえるだろう。縄文前期、縄文早期の遺跡から稲作跡が発見されることも充分に考えられるのだ。
 また三内丸山では、狩猟が中心だったと考えるには、大型動物の骨がほとんど発見されていないことも注目に値する。
 こうした古代の食生活を裏付ける文献証拠をわたしは『上記(うえつふみ)』に発見した。それによると、天皇が東北巡幸の折、土地の人々が肉食をしているのを嘆かれ、実養食事法をご指導になったというのだ。実養とは読んで字のごとく、木の実を主とした食養法のことである。『上記』不合(ふきあえず)第三代の記録には次のような一節がある。
 「なぜお前たちはそのように獣の肉を食べるのだ。体に良くないことなのに」
 「この土地の冬は厳しく、獣の肉を食べなければ体が温まりません」
 「そうか。ならば肉の代わりに榧(かや)・栃・椎などの木の実を米に混ぜて食すがよい。肉を食したときと同じ効果がある」
 こうした天皇の指導があり、人々の木の実の栽培が盛んになったとある。それでも肉の味を忘れられない人も多く、ウサギ程度の小動物は公然の秘密のようにして食べられていたのではないだろうか。
 わたしの知り合いのある明治生まれの女性は青森の出身なのだが、昔は女性や子供が獣の肉を食べることは絶対的なタブーだったと語る。さらに男の人も獣の肉は家の中で調理せず、屋内に持ち込んで食べることもしなかったという。獣の肉の味は忘れられないが、天皇の教えに背くこともできないという民の心情がよく現れたエピソードではないだろうか。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
「稲作文化は日本から世界に広がったものだ」ということが竹内文書に記されており、それを裏付ける事実として、縄文中期にはすでに稲作が行なわれていたことが科学的に証明され始めたということです。この本の中で著者は、縄文土器が環境汚染を防ぐ素晴らしい機能を持っていることを発見したと述べています。このように、縄文人は一見素朴でもさまざまな面で高度な技術を駆使していたことがわかっているのです。この本を、人類の由来を考える上で大変参考になる書籍としてお勧めします。
 
 
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