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 日本人の品格
渡部昇一・著  ベスト新書
 
 
 世界の八大文明の中の独立した文明

 日本では長い間、「日本文化」という呼称が一般的だった訳ですが、ある時、日本やシナの文学をよく知っている一部の西洋人が「日本文明」という言い方をするようになる。それを最初に言い出したのは、私の知るかぎり、『源氏物語』を英訳したアーサー・ウェイリーです。彼は元来、語学の達人で、ヨーロッパの主要な言葉はみなマスターしているほどの人物。大学を出てから大英博物館に勤務し、そこでシナの絵の分類などを担当することになる。水墨画などに書かれていた漢詩を見て、今度は漢詩の勉強をするようになり、たちまちシナ語をマスターし、漢詩の英訳集なども著しています。
 やがて日本の文化にも関心を持ったウェイリーは、1925年から数年を費やして『源氏物語』を英訳し、欧米の文化人らに大いなるカルチャー・ショックを与えました。彼のように、シナのことも日本のことも客観的に知る人が、「日本は文明である」という結論に達した訳です。
 彼はOriginality of the Japanese Civilization(「日本文明の独創性」)というパンフレットの中で、日本文明の独自性を繰り返し強調しています。
 「日本は文明である」と主張した人は他にもいます。戦後、駐日大使になったライシャワーです。彼が戦前に書いた日本の歴史書の中には、「明らかに日本は一つの文明である。それにしては小さいじゃないかと言う人がいるかもしれないが、ギリシアやローマなど、古代の文明もそもそも小さなものだった。そう考えれば、日本列島は一つの文明を築く上で十分な広さを有していた」というような趣旨のことが書かれているのです。
 『文明の衝突』を書いたサミュエル・ハンチントンは、世界の文明を西欧文明、イスラム文明、シナ文明など、八つに分類しています。これによれば、シナ大陸の東側は朝鮮半島までがシナ文明圏だとし、日本はシナ文明圏とは切り離された独立したひとつの文明圏として捉えています。
 こうした分類を見ても、他の文明圏の場合、ひとつの文明の中にはさまざまな国があり、多様な民族や言語が入り交じっている。ところが、日本文明は日本人しかいません。これは大変注目すべき点だと思います。
 では、なにゆえに日本は、世界の国々を知る人たちをして、「単なる文化ではなく文明である」と言わしめたのか。

 
日本文明の核となるのは、皇室と神社

 朝鮮半島までは明らかにシナ文明、あるいは儒教文化と言ってもいいのですが、ようするにシナの一部です。その中に、朝鮮文化もあれば揚子江文化もあるかもしれませんが、朝鮮半島までは一つの文明圏です。ところが、玄界灘を隔てた日本は、どうしてもそこには入らない。
 何がそこに入らないようにしているのかと言えば、突き詰めれば「皇室」と「神社」の存在があるからです。これは、日本をひとつの文明として捉えざるを得ない根拠の芯になるものだと私は考えます。日本を、あるいは日本人を論じる際には、皇室と神社を絡めて論じなければ成り立たないのです。
 では、皇室の本質とは何か。それは、神話時代から、こんにちまでつづく世界で唯一の王朝である、ということです。つまり、神話の神々も、現代の皇室と連続しているということです。当然ながら中国にも神話はあったでしょうが、司馬遷が『史記』を書くころに古代の伝承はほとんどなくなっています。
 古代のギリシア神話を見ても、アガメムノーンというトロイ戦争における英雄は、系図を辿ると、祖父の祖父はゼウスの神です。このあたりまでは、神話と王朝の連続性がある。ドイツなど、他の文明圏の多くでも、神話の神々の子孫が王家になったという話はあったのですが、みんな消えてしまっている。ところが、日本だけが残った。
 そういう意味では、日本という国は、他では絶滅したにもかかわらず、そこだけぽつんと残された極めて稀な文明と言えるのではないでしょうか。そうした日本のすがたを見て、「日本そのものが世界最大の文化遺産である」と私は言いたいと思っています。
 かつて世界中のいたるところで、人々は自然に対して敬虔な気持ちを抱き、それを八百万の神として敬ったのでしょう。そして、神話という形を通して、神と人間とのつながりをイメージしたのでしょう。しかし、そうした神話の世界の大半は消えてしまいました。永久に不滅のように思えるギリシアの石造りの神殿は、今では廃墟と化しています。
 ところが、日本だけは違うのです。数百年前に建てられた社殿が、補修や住替えを重ねてこんにちまで残り、祀る人々が絶えることがない。祭ともなれば、多くの人々が集い、神社の周りは活気に満ち溢れます。かつては地球上の至る所にあった、人間の最も根源的な宗教の形が、今もなお日本では生きているのです。
 神話的な構造はギリシアと似ているのに、なぜこうも違うのか。その時わかったのは、「日本では古代の神様が死んでいない」ということです。
 どういうことかと言うと、それを祀っている民族が変わっていないということにほかなりません。古代日本の神様は、『古事記』や『日本書紀』を見ればわかるように、皇室と分かち難く結びついている。これが、日本の本質です。
 つまり、神話と結びついた王朝がこんにちまで続いているということです。古代から途切れずにこんにちまで続いていること自体、他の国にはありません。日本は小さな島国だから続いたんでしょう。
 元来、木造や茅葺きの神社は放っておけばすぐに朽ちてしまいますが、石造りのギリシア神殿は廃墟となり、日本の山の中にある木造の神社は残る。この逆説的状況の中に、日本文明の本質があるのだと言えましょう。ようするに、皇室と共に神話の神様が今もなお生きている、それが日本なのです。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
日本が世界の中でも非常に特殊な文化を持つ国であることには、どなたも異論はないはずです。しかしながら、それは「文化」と呼ぶべきレベルのものではなく、まさに一つの「文明」である──というのが、日本をよく知る世界の識者たちの認識なのです。漢字や仏教などに見られるように、この国が他の文明の影響を受けているのは確かですが、それでもそれらの影響を全く受けていない日本独特のものとして「皇室」と「神社」がある、と著者は述べています。まさにこの皇室と神社こそが、日本を日本たらしめている本質と言えるものでしょう。
 そのバックボーンとなっているのは「神道」すなわち大自然を八百万の神と見なして畏敬する「惟神(かんながら)の道」なのです。その皇室がいま世界支配層の中核にいる“国際ユダヤ”の巧妙な戦略によって抹殺されようとしています。いずれは、日本人が神社に参拝することをも禁止する形で、この国を徹底的に蹂躙する計画になっていると見ています。それから終末の大峠となり、“立て替え”が始まるのです。
 
 
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