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 あなたもケイシーになれる(上)
H・B・パーヤー・著 今村光一・訳
中央アート出版社
 
 
 人間誕生のプロセス

 肉体に宿った霊魂は、どこか車に乗り込んだ人間に似ている。ある時間車をつかうと、車はもう修理ができなくなり捨てることになる。しかし、車の持ち主はその後でも同じ好みを持っていて、新車を買う時には、前のと似たような車を選ぶものである。この場合、彼の選択は自分の好みや財布の都合で決定される。このたとえ話はある種のプロセスを理解するうえでは役に立つだろう。しかし、人間の誕生のプロセスの全てを理解するにはこれでは不十分である。
 人間は3つの体を持っている。霊的、精神的、物理的な“肉体”である。人間が生まれる時には霊的な肉体と精神的な肉体は物理的な肉体の中に投射され、物理的な形をもって登場してくる。だから物理的肉体の姿で生まれてくる人間は、いろいろな要素をその中に全て持ち合わせているわけで、それが好みに合わせて新しい車を選ぶというのとは違っている点である。

 
宇宙の秩序を保つカルマの法則

 「類は類を生む」という諺は、宇宙の法則を理解するうえで役に立つ諺である。生まれ変わりの仕組みの裏側で働いているのは、この原理である。一つの生で現れた特徴は、そのつぎの生でもまた再現される。人間の考え、選択、行動においても同じことが起きる。このことに関連して「新約聖書」の中心的な教えが検討されたことは、これまであまりなかった。その教えとは、「人は蒔いたものを苅り取らねばならぬ」という教えである。
 サンスクリットの世界では、この原理をカルマと呼んできた。カルマとは「類が類を生む」ということに他ならず、行動ないしは行動の連続性に関する法則のことである。
 この見事な法則は、宇宙に秩序と調和を確立する法則で、これがなければ宇宙は無秩序と混沌の支配するところとなってしまうだろう。
 カルマの法則の正統性は、それが神そのものの性質と神の愛から出ているところにある。人間は自分の周囲の宇宙に、この法則が顕現されていることによって存在できている。しかし、われわれは自分の自己本位な考え、選択、行動の結果として不幸に陥った時などに、この正統な法則に失望し戸惑うものである。そしてわれわれは、苦痛をもってこの法則に直面させられる。しかし、そういう時でさえも、カルマの法則は神の愛の不変性と持続性を示してくれているものなのである。
 カルマの法則の働きとは、人間に、人間は神から離れた小さな神になることはできない、人間は「全体」の一部であり宇宙の法則に自分を合致させねばならない、他の霊魂との関係に責任を持たねばならない、ということを教えるものである。霊魂がいくつもの生をくり返しこの世にもどって来るのは、神が償いをさせたり刑罰を与えたりする目的からそうさせているのではない。生命、光、愛の道を選ぶチャンスを何度も何度も人間に与えてくれているのは、神がその愛によってそうしていることなのだ。
 カルマの法則の働きを説明するのに、ケイシーはリーディングの中で、食物が体に吸収される場合のことを例にして説明した。「食物を体へ吸収するのと、人間が自分の選択や行動によって自分の上にもたらす効果はよく似ている」と彼は説明したのだった。
 前の生での生き方は、何も遠い過去の『天の記録簿』に記録として残されるだけのものではない。それは人間のいまの生の中に直ちに引き継がれ、いまの生の構成要素になっているものなのだ。そしてそれは、われわれの体の細胞の構造の中に姿を現している。顔付きはむろんのこと、たとえばアレルギーとかアル中といった特定の病気に対するかかり易さ、情緒、才能、欲望、他人や宇宙に対する対応の仕方などなどといったものの中にも現れているのだ。
 肉体が死んでも、精神的あるいは霊的な生命はそれ以前の考え方のパターンとか意図とかをほとんどそのままに持っていて、生前と変わらずに生き続けている。そして人間は意識の上でのあるタイプの体験をしたり、ある世界へと移って行ったりするが、その体験や世界は実は彼自身が自分のために前からつくっていたものなのだ。
 われわれは地上の生活での体験を思い起こし、学んだレッスンについて考え直し、また地上にもどってくる時のための準備を始める。そして地上にもどった時には、再び前のレッスンをやり直し、神や宇宙、他の人々との一体性を目指しての巡礼をくり返すのである。「類は類を呼ぶ」という法則によって、われわれは相似た状況の両親や肉体や環境などに引き寄せられて地上にもどってくる。そして、「類は友を呼ぶ」という法則によって、われわれがもどって来る場所は、全ての霊魂にとってそれぞれ相応な場所なのである。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
カルマの性質は「蒔いた種を刈り取る」と表現されることが多いため、「過去世で犯した罪の責任を現世で償わされる」と理解している人も多いと思います。しかし、それは必ずしもカルマの性質を正確に言い表しているとは言えないのです。ここではそのことをケーシーの言葉としてわかりやすく説明してくれています。要するに、カルマとは現在の自分が身につけている「身(行動)・口(言葉)・意(気持ち)の癖」を表しているということです。私たちが現在の人生で遭遇し、体験している現実は、潜在意識に刻まれた「心の癖」が、同じ波長を持つ出来事を自分の周りに引き寄せているのです。それが「類は友を呼ぶ」法則だというわけです。
 
 
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