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 氷川清話
勝海舟 江藤淳・松浦玲/編 講談社
 
 
 西郷と江戸開城談判

 西郷なんぞは、どの位ふとっ腹の人だったかわからないよ。手紙一本で、芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやってくるとは、なかなか今の人では出来ない事だ。
 あの時の談判は、実に骨だったヨ。官軍に西郷が居なければ、談(はなし)はとても纏(まと)まらなかっただろうヨ。その時分の形勢といえば、品川からは西郷などが来る、板橋からは伊地知などが来る。また江戸の市中では、今にも官軍が乗込むといって大騒ぎサ。しかし、おれはほかの官軍には頓着せず、ただ西郷一人を眼においた。
 そこで、今話した通り、ごく短い手紙を一通やって、双方何処にか出会ひたる上、談判致したいとの旨を申送り、また、その場所は、すなはち田町の薩摩の別邸がよかろうと、此方から選定してやった。すると官軍からも早速承知したと返事をよこして、いよいよ何日の何時に薩摩屋敷で談判を開くことになった。
 当日おれは、羽織袴で馬に騎(の)って、従者を一人つれたばかりで、薩摩屋敷へ出掛けた。まづ一室へ案内せられて、しばらく待って居ると、西郷は庭の方から、古洋服に薩摩風の引っ切り下駄をはいて、例の熊次郎といふ忠僕を従へ、平気な顔で出て来て、これは実に遅刻しまして失礼、と挨拶しながら座敷に通った。その様子は、少しも一大事を前に控へたものとは思はれなかった。
 さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいふ事を一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかった。「いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします」──西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生命と財産とを保つことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。もしこれが他人であったら、いや貴様のいふ事は、自家撞着だとか、言行不一致だとか、沢山の兇徒があの通り処々に屯集して居るのに、恭順の実はどこにあるのかとか、いろいろ喧(やかま)しく責め立てるに違いない。万一さうなると、談判はたちまち破裂だ。しかし西郷はそんな野暮はいはない。その大局を達観して、しかも果断に富んで居たには、おれも感心した。
 この時の談判がまだ始まらない前から、桐野などいふ豪傑連中が、大勢で次の間へ来て、ひそかに様子を覗って居る。薩摩屋敷の近傍へは、官軍の兵隊がひしひしと詰めかけて居る。その有様は実に殺気陰々として、物凄い程だった。しかるに西郷は泰然として、あたりの光景も眼に入らないもののやうに、談判を仕終へてから、おれを門の外まで見送った。
 おれが門を出ると近傍の街々に屯集して居た兵隊は、どっと一時に押し寄せてきたが、おれが西郷に送られて立って居るのを見て、一同恭(うやうや)しく捧銃(ささげつつ)の敬礼を行なった。おれは自分の胸を銃先にかかって死ぬこともあろうから、よくよくこの胸を見覚えておかれよ、と言い捨てて、西郷に暇乞いをして帰った。
 この時、おれがことに感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失はず、談判の時にも、始終座を正して手を膝の上に載せ、少しも戦勝の威光でもって、敗軍の将を軽蔑するといふやうな風が見えなかった事だ。

 西郷の胆量の大きさ

 西郷はちっとも見識ぶらない男だったよ。あの人見寧(ひとみやすし)といふ男が若い時分に、おれのところへやって来て「西郷に会ひたいから紹介状を書いてくれ」といったことがあった。ところが段々様子を聞いて見ると、どうも西郷を刺しに行くらしい。そこでおれは、人見の望み通り紹介状を書いてやったが、中には『この男は足下を刺す筈だが、ともかくも会ってやってくれ』と認(したた)めておいた。
 それから人見は、ぢきに薩州へ下って、まづ桐野へ面会した。桐野もさすがに眼がある。人見を見ると、その挙動がいかにも尋常でないから、ひそか彼の西郷への紹介状を開封して見たら果して今の始末だ。流石に不敵の桐野も、これには少しく驚いて、すぐさま委細を西郷へ通知してやった。
 ところが西郷は一向平気なもので、「勝からの紹介なら会って見よう」といふことだ。そこで人見は、翌日西郷の屋敷を訪ねて行って、「人見寧がお話を承りにまいりました」といふと、西郷はちょうど玄関へ横臥して居たが、その声を聞くと悠々と起き直って、「私が吉之助だが、私は天下の大勢なんどいふようなむつかしいことは知らない。まあお聞きなさい。先日私は大隅の方へ旅行したその途中で、腹がへってたまらぬから十六文で芋を買って喰ったが、多寡が十六文で腹を養うような吉之助に、天下の形勢などいふものが、分る筈がないではないか」といって大口を開けて笑った。
 血気の人見も、この出し抜けの談に気を呑まれて、殺すどころの段ではなく、挨拶もろくろく得せずに帰って来て、「西郷さんは、実に豪傑だ」と感服して話したことがあった。知識の点においては、外国の事情などは、かへっておれが話して聞かせたくらゐだが、その気胆の大きいことは、この通りに実に絶倫で、議論も何もあったものではなかったよ。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
江戸城無血開城によって、150万の江戸っ子を戦火から守った一方の立役者の回顧談です。後世の歴史家はいろいろと勝手な分析をしていますが、やはり敵陣の中に従者と二人だけで乗り込んでいくのですから、勝海舟にとっては命がけの中での大変な談判であったことが判ります
。その海舟を幕府代表として丁重に遇した西郷隆盛という人物の立派さに、勝海舟自身が舌を巻いているのです。
 
 
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