自己決定できない国
いまさらいっても詮ないことだが、明治の近代化の前に鎖国があり、開国した結果、日本だけが植民地化されずに逆にいくつかの戦争を勝ち抜いてきました。世界最大の軍事国家だったロシアに勝ったというあの戦はまさに人間の歴史の奇蹟の一つであって、その後、日本は連合国にくみして第一次世界大戦の戦勝国にもなった。日本の近代史は、有色人種の中で日本人だけが白人と肩を並べて近代国家をつくり上げたという非常に輝かしいものでした。
それが勢い高じて太平洋戦争に突入し、敗戦に終わる。この戦争の功罪については私もさんざんいってきたが、日本があの戦争を起こさなければ、世界全体は依然として白人の植民地として支配されていたことでしょう。それを変えたということでは、たとえ敗戦といえども大きな歴史的意味があった戦でありました。私が会ったナセル(エジプトとシリアのアラブ連合共和国第二代大統領)もスカルノ(インドネシア初代大統領)も、マレーシアのマハティール(元首相)も同じことをいっていました。
その近代史を日本人はどういう意識を持って眺めてきたか。いずれにしろ、大方の日本人にとって太平洋戦争の敗戦というのは非常に大きなショックだった。つまり、非常に痛々しい処女体験だったといえます。
乱暴な形で処女を失った女性が一種のトラウマ(心的外傷)をもって男を忌避するという例はたくさんありますが、日本人の場合もあの戦争で一種のトラウマができ、戦後の為政者であるアメリカにすべて依存することで済ませるという習慣が定着し、その間アメリカも非常に狡智に日本人の意識改造をし、この国を飼いならしてしまった。
亡くなった村松剛氏(評論家)が交換教授でカナダに行った帰りにニューヨークタイムズの本社に行って、日本が降伏した1945年8月、向こうでは14日の「ニューヨークタイムズ」の社説をコピーして持ってきました。
彼は公平を期するために、もう一つの敗戦国ドイツが数カ月前に降伏した日の同じ社説も写して持ってきましたが、二つの論調が全く違うことに驚きました。
ドイツは同じ白人、昔から白人同士で喧嘩してきたのでドイツとの戦争はその一つの事例でしかなく、ナチスを淘汰すればわれわれはドイツの復興に力をかそうという、ある意味では極めて同情的な論調です。
一方、日本の場合には漫画までついていて、大きなナマズみたいな化け物がひっくり返って、そのあんぐり開いた巨きな口の中にアメリカ兵たちが鉄帽をかぶって入り、大きなやっとこを持って口から牙を抜いている。
その説明に、「この怪物は倒れはしたがいまだに生きている。われわれはアメリカのためにも世界のためにも、この怪物の牙を完全に抜き去らなくてはいけない。これは戦争に勝つよりも大変な仕事だが、世界のためにアメリカがやるのだ」と書かれてある。
ドイツの場合にはヒットラーを悪魔に仕立てることですべてナチスに転嫁できたが、日本の場合にはナチスドイツと違って、白人から見れば醜い異民族が近代国家をつくってアメリカと戦争し、それもさんざんアメリカをてこずらせたということで両者の扱いは全く違っている。
このような、アメリカが日本に対して持っていた強迫観念は、トラウマにこそなっていないが、白人の黒人に対するオブセッション(強迫観念)に似ています。
しかし、朝鮮戦争を経て米ソ間に冷戦構造が構築された段階になって、アメリカは日本を見直し、パートナーとして育てもしましたが、日本人の方はいまだにそういう被虐的な意識から脱し切れず、つまり「為政者」アメリカへの他力本願が一種の新しい国家的DNAとして培われてしまった。
自立のための手だて
米国の戦略に詳しいハドソン研究所の幹部二人と話をした折、おもしろかったのは、アメリカによるアフガニスタンへのテロ報復に対して、日本がインド洋に軍艦を送って協力したことをアメリカがものすごく感謝し、評価していたということです。
というのは、アメリカは日本の海軍に対して、一つの心的外傷がある。あの真珠湾を攻撃した日本の海軍は世界で最初の空母機動部隊編成で大成功をおさめた。その後アメリカもまねをして同じものをつくりましたが、世界史上で機動部隊同士の洋上決戦というのは1回しかなく、その最初で最後がミッドウェー海戦です。
あの海戦についてのアメリカ側の認識は、われわれは3つぐらい幸運が重なって、かろうじてあの海戦に勝つことができた。もしあの3つが裏目に出ていたら負けていただろうが、もしあそこで負けていれば恐らく太平洋は日本に席巻されて、後あの戦争はどうなったかわからない。下手をすると、ハワイは当然、カリフォルニアまで取られたかもしれない、ということです。
アメリカの軍事関係者には、そのような強迫観念が一種のトラウマとしてあるから、日本海軍がアメリカのためにインド洋まで軍艦を出したというだけで、心理的に百万の味方を得た印象を与えたということでしょう。要するに、彼らはかつての日本の帝国海軍の伝統を私たち以上に評価認識しているということです。
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