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 本山博の人間の研究
 本山博・著  東洋経済新報社
 
 
 物の霊的次元

 私は子供の頃から、霊能者である母に連れられて、山の祠で一日中読経したり、山奥の滝に打たれる神道の修行をし、幽霊をみたり、山の神にお会いしたりすることが日常の生活であった。長じて23歳頃からヨーガの行を始めたが、心が身体から自由となり、自分にとらわれなくなるにつれて、次第に、超常能力が自然に具わってきたように思う。
 ある人が、ある土地へ移りたいが、移ってもいいかどうかと尋ねるので、束京から何百キロメートルも離れた土地を超感覚的に見てみると、その土地の、現在、人家の建っている街の様子と、100年余り前の小川が数条十字型になって流れ、周りが一面の田圃である状態と、さらに数百年前に戦争のあった状態等がみえる。その見た通りのことを相手に説明し、「その土地は古戦場の跡であり、迷える霊たちがみえるから、移らない方がいいでしょう」と注意する。相手はその土地へ行き、現在の状況を見、郷土誌その他を調べて、100年前の状態や、数百年前に古戦場であったこと等を確認する。
 このような霊視は、今までに何千件あったか数えきれないほどだが、重要と思われることは、土地にも心の面があり、土地そのものに記憶が保たれているということである。100年前、数百年前のその土地の状態、そこでの事件は、現在の市街地を見る限り、感覚することはできない。しかし、その土地の心的面(アストラル次元の土地の魂)では明らかに記憶されており、その記憶の像を超感覚的にみることができる。
 もう40年も昔、私の母の所へ60歳余りの老婦人がみえた。その婦人はトモ子という名前である。母に、その婦人の祖母の霊が降霊した。そして、じっとその婦人を見つめていたが、「お前はマヤではないか?」と尋ねた。婦人は泣きながら、「本当におばあさんの霊ですね、ありがたい」と言った。婦人の説明によると、「自分はもともとはマヤという名前で、その名前をつけてくれたのが、さっき降りてこられたおばあさんでした。結婚してから、姓名判断の人に聞いてトモ子に変えたのですが、それから40年もトモ子で過ごしたので、自分でもマヤという名前はすっかり忘れていました」ということであった。
 その後、その婦人は早速に北陸にある故郷の祖母のお墓へお参りに行った。墓参の際には、霊園の前の茶店で、生前祖母が好んで食べていた出来たてのぼた餅を買ってお供えするのが、毎年の習慣であった。しかし、その日はあいにくいつものように出来たてのぼた餅がなかった。もう少し待てば、新しいぼた餅が出来るということであったが、待っていたのでは帰りの汽車の時間が間に合わない。そこで、少々固かったが、前日のぼた餅を買って墓前に供え、お祈りして帰京した。
 翌日お宮へお参りすると、祖母が私の母に降霊して、「マヤや、昨日は有難う。供えてくれたぼた餅を食べたけれど、いつものように軟らかくなくて固かったから、今度は軟らかいのにしておくれ」と言った。婦人は腰を抜かさんばかりにびっくりして、「どうもすみませんでした。帰りの汽車に間に合わなかったものですから」と謝り、祖母が昇霊してから、母に、「本当にびっくりしました。霊の世界は確かにあるんですね」と、しみじみ話したということである。
 ここで重要なことは、物の霊的面(あるいは心的面)があるということである。すなわち、老婦人の祖母の霊が北陸にある墓前の供物のぼた餅を食べたと言うけれども、物の面(次元)でのぽた餅は依然として墓前にあったわけであるから、祖母の霊が食べたのは、物の次元でのぽた餅ではなく、心の面(霊的次元)、いわゆるアストラル次元のぼた餅を食べたわけである。
 このように、物にも、物理的次元の物と心霊的次元の物とがある
 
 
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