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 稲盛和夫の哲学
 稲盛和夫・著 PHP
 
 
 意識体と魂について

 意識とは何か。たとえば、頬をつねると「痛い!」と感じるのも意識です。これは、皮膚にある神経の反応を脳細胞がキャッチして「痛い」という意識が生じるからです。そういう肉体に付属する意識もあれば、人間がもともともっている意識もあるのではないかと思います。いわば過去世の意識、記憶のことです。
 「過去世」「意識体」「魂」などというと、眉をひそめる人がいるかもしれません。しかし、私は魂というものを信じています。そして、肉体が死んだときに魂――あるいは意識体――が肉体から分離すると思っています。意識は肉体とともに滅んでしまうのではなく、肉体とは別の次元で存在しているような気がするのです。
 コンピュータになぞらえて考えれば、意識体というものがもっと明確にわかるような気がします。コンピュータはハードだけでは動かず、ソフトが必要ですが、人間にとっては肉体がハードであり、そこに意識体というソフトが入って初めて機能するということだと思います。
 また、意識は電波のように放射しているのではないかと思います。古来より以心伝心という現象があり、テレパシーとか、虫の知らせということもよくいわれているからです。
 しかし、その意識の正体までは見当がつきません。また、肉体を離れた意識体がどこへ行くのかという行く先もわかりません。ただ、意識体は宇宙の意志と同じような存在ですから、宇宙に遍在しているのではないかと想像しています。また、肉体と分離した意識体は、転生して別の肉体に引き継がれるとも考えています。
 ところで、肉体の死によって意識体が肉体から離れるということについて、臨死体験を書いた文章を読んでみると興味深い話が出てきます。
 ――臨終のときに自分が横たわっている姿を上から見ていた。医者が自分の身体に触って、「ご臨終です」といった。まわりの家族が泣きだす。「オレはまだ生きている。何を泣くんだ」といっているうちに気がついた――。
 こういう例はいくらでもあります。このことは科学的には証明できませんが、その数の多さを考えると、一概に否定できるものではありません。
 じつは、私の知り合いにも臨死体験をした人がいます。彼は夜中に自宅で心臓発作を起こして倒れました。奥さんが救急車を呼んで病院に担ぎ込まれたあと、心臓が止まってしまった。そこで電気ショックを与えたところ、3回目ぐらいで蘇生したそうです。
 翌朝、知らせを聞いた私は病院に見舞いに行きました。「たいへんだったね」といいましたら、自分の臨死体験を話してくれました。家で気分が悪くなって倒れ、救急車に乗せられ、病院まで運ばれたこと、心臓が止まったこと、集中治療室で心臓が動かないと医者や看護婦があわてていることを覚えているというのです。とくにおもしろいのは次のような話でした。
 ――最初は苦しかったけれども、そのうちに気分がよくなり、気がついたら花園のなかを歩いていた。向こうからあなたがやってきて、「お前は何をしているんだ」といった。ハッと気がついたときに、電気ショックで心臓が動きだした――。それは本当にリアルな体験だった、と彼はいっていました。
 心臓発作で倒れ、心臓が止まり、一般的にいえば意識がなくなった。それでも当時のことを覚えている。これが肉体とは別に意識体があってもおかしくないと私が思う1つの理由です。
 
 
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