生命の潜在力を活かす文化と生き方
――石川光男(国際基督教大学教授)
生命はつながりである
「生命はつながりである」ということを理解する一つの例として、人間の身体の中で自然に起きている遺伝子組み替えを挙げることができます。
30年ほど前は、遺伝子というのは不変であり、遺伝子によって生物のすべてが決まると考えられていましたが、すべての遺伝子が不変であるわけではないことが最近の研究で分かってきました。
身体の中に細菌のような異物が入って来ますと、私達の持つ免疫機能は、この異物を撃退するための抗体というものを作ります。この抗体を作るもとになっているのが遺伝子です。
ところが、私達の免疫機能は、見たこともないような細菌に対しても抗体を作る能力があります。もし遺伝子が不変だとしたら、こんなことは起こりえないわけですが、私達の身体は未知の侵入物に対しても抵抗する力を持っています。実は遺伝子は、必要に応じて自動的に遺伝子組み替えをやっているのです。エイズが怖いのは、この組み替え機能を壊すからなのです。
ここで大切なことは、遺伝子も環境から独立して機能するものではないということです。身体の他の機能と密接なつながり持ち、自らも柔軟に変化する能力を持っているからこそ、強靭な適応力を持っているのです。
部分重視の西欧医学
「生命はつながりである」ということを、よく表わしているもう一つの例があります。噛むということに関係したお話なのですが、身体的に似たような条件で、歯がそろっている人と、歯がほとんど抜けてしまっている人の死後の頭蓋骨の重さを比べた研究があります。歯があって亡くなった方の頭蓋骨の重さは650グラム、歯が無くて亡くなった方の頭蓋骨は280グラムでした。これは何を意味しているのでしょうか。
歯の重さの違いではないのです。歯の無い人の頭蓋骨を調べてみますと、骨がスカスカで非常に脆くなり、縫合部分もガタガタになってかみ合わせがゆるんでいます。それが倍以上の重さの違いに表われているのです。歯の状態と頭蓋骨の状態だけでもこれほど密接な関係があるのですから、身体の一部の状態と全身の状態は密接な関係があります。一部分の異常は、必ず他の部分の異常につながっていきます。
歯は「物」としての身体の一部分ですが、それは単なる独立の部分ではなくて、身体全体と密接なつながりを持った存在であるということです。私達は、歯の噛み合わせがごくわずか狂っただけでも、頭痛、腰痛、高血圧と、さまざまの症状を起こします。
けれども、歯科医でもこのことを分かっている人は少ないのです。近代医学では、歯を身体の単なる部分としてしか見ていないのです。これは歯科医だけに限ったことではなく、西欧医学全体に共通する考え方です。
皆さんは、身体の具合が悪くなった時に病院に行きますね。医者はいろいろな検査をして、どこが悪いかを見つけようとします。そして医者から「あなたは肝臓が悪いですよ」と言われて、「ああ具合が悪かったのは、肝臓のせいだったのか」と納得するわけです。
もしその時、医者が「あなたは身体全体が悪いですよ」と言ったら患者はガッカリするか、あるいは「悪いところも見つけられないのか、このヤブ医者め!」ということになるわけです。ここに今までの科学が生命を見る時に持っているものの見方の体質が表われています。
今までの医学の持つ生命観は、部分と全体のつながりに対する認識が非常に薄く、部分だけを取り出して治そうとする部分重視の発想です。こうした生命観が私達の間にも知らず知らずに浸透して、身体の具合が悪くなれば身体の中のどこかの部分が悪くなったのだと考えて、身体全体に思いをはせるという習慣がないわけです。
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