10セント硬貨さえも不要
アンダーソンによると、奉仕(service)とは、他の人々のために自分自身を捧げることであり、「他人の豊かさ」に貢献することをいいます。彼は、人間の「悪」の部分である「わがまま」が、その人を病気へと追い込んでいく可能性を指摘し、人間の「善」の部分である「奉仕の心」が、人生のストレスを克服する素質のひとつであることを示します。
たとえば、ハーバード大学の卒業生を対象に40年にわたって研究するジョージ・バリアント医師は、もっとも社会的適応力が低かったグループの者にも有効な要素として「奉仕」(奉仕の心、奉仕の行動)をあげ、人生のストレスを克服できるかどうかについて、「その違いを生じさせるのは奉仕するかどうかである」と認めています。
同じく、『心臓病の克服』の著者であるディーン・オーニシュ博士も、自己中心的に生きることが、結果的に孤立と孤独を拡大してしまう危険性を指摘しています。また、ジェームズ・リンチ博士も、「『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』という聖書の言葉は、たんなる道徳上の命令ではなく、心理学的な命令でもある」と述べ、「他者への心づかい」が、自分を心臓病から守ることを報告しています。
さらに、医学博士のラリー・シェルヴィッツは、心臓冠動脈に関する研究の中から、驚くべき事実を発見しました。面接の中で。 “I” “Me” “My” など自分に関する代名詞をもっとも多く使ったグループは、自分たちのことをあまり口にしないグループにくらべて、たとえ健康を脅かすその他の要因が克服されていたとしても、心臓冠動脈の病気にかかりやすかったのです。この結果を受けて、シェルヴィッツ博士は、「自己中心的に考える人々は、そうでない人々にくらべて、心臓麻痺で死ぬ確率がはるかに高い」と断言しています。
これらの報告を受けて、アンダーソンは、次のように結論づけます。
奉仕は、生命にとって必要不可欠なものである。『寛大な心の持ち主には幸せな人が多い』ということを、私たちは経験的に知っているはずだ。そして今、寛大な人々は健康で長生きできるということが、科学的にも証明されようとしている。寛大さは誰にでも自然に備わっているものだが、それは表に出してこそ意味があるのだ。
奉仕からは、健康をはるかに超えたものが得られる。人生をかたち作る、配偶者との、子供たちとの、雇用者との、友人との、団体との関係はすべて、「与え、与えられる」または「奉仕し、奉仕される」関係である。天に投げたものは落ちてこなければならないのと同じで、与えたものは自分自身に返ってくる。因果応報するのである。
奉仕して受け取る見返りは、無条件な心から与えたときには、まさにそれに比例したものとなる。奉仕という行為は、歓びにあふれたものでなければならない。与えるという行為そのものの中に、歓びを感じなければならない。歓びに満ちて与えれば、奉仕が生み出すエネルギーが何倍にもふくらむのだ。
アンダーソンは、提供する奉仕が、物質的な形態をとる必要はないことも強調します。「微笑み」「ほめ言葉」「激励の言葉」「お祈り」こそが、もっとも適切な贈り物となることも少なくありません(ただし、物質的な贈り物をしてはならないという意味ではありません)。
実際に、奉仕の形態の中でもっとも力を持っているのは、「心の底からの気づかい」「本当の思いやり」「自然に生まれてくる優しさ」「誠心誠意の感謝」「無条件の愛」であり、アンダーソンは、「これらを行なうためには、10セント硬貨さえ必要ない」と強調しています。
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