人生を楽しく見る工夫
私は、いっさいの悲観をやめて、常住坐臥、絶えず快活に生きるため、毎朝目覚めれば、まず今日も生きていたなと感謝し、忙しければ忙しいほど、自分が働き得ることを感謝する。そしてもしも病めば、休息を与えられたなと感謝しつつ、充分に休養して癒った後の活動に準備し、貧すれば負担が軽くなったと感謝し、富めば思うままに有益な方面に金の使えるのを感謝するというふうに、あらゆる場合に、その苦しい厭な暗い方面を捨てて、楽しい愉快な明るい方面にのみ心を振り向ける。
したがって本を読めば本が面白く、人が来れば人が面白く、海に行けば海が面白く、山に行けば山が面白く、いかなる場合、いかなる仕事にも、快く当たってベスト(最善)を尽くすことができる。そして難しいことほど、嶮岨な路ほど、心にかなうと信ずる。それは苦難は快楽に到達する段階であって、快楽の程度は苦難の大きさに比例するという体験を有するからである。
わが友・田村剛博士は、かつて台湾よりの帰途、門司下船の際、ほとんど両脚を失うほどの稀有の厄難に遭った。私が見舞いに行くと生きる苦しみの惨酷さをるる訴えられた。そこで私は次のような激励の言葉を述べたのである。
大なる苦難は大なる喜悦をもたらす。平凡な生活の人には平凡のことしかできない。由来、災難は天が我々に与える試練であって、我々は必ずやこれに堪え得る力を有するものである。それはあたかも慈愛深き母親が、強き子には重き荷を負わせてますますその力を伸ばさせ、弱き子には軽き荷を負わせて歩みを続けさせるのと同じで、天は決して人を殺すような無理な試練を課するものでない。
だから身にかかる災厄が重いほど、それだけその人に大任を授くべく天より選ばれた幸福を感謝すべきだ。古人も「天の将(まさ)に大任を是人に降さんとするや、必ずや、まずその心志を苦しめ、その筋骨を労しその体膚を餓やす」といわれたように、君の今回の受難は、君の生涯に何物にも代え難き幸福の基である。君はこれより物事を恐怖せざる人、いかなる災厄にも平気で打ち克つことのできる人となり、他人にでき難い大事業をも成し遂げらるべきと信ずる。
古来大事業を成した人はいずれも決死的受難に堪えてきた人のみだ。私は君が今度の受難をかえって幸福に振り換えさせる力を充分持っていることを信ずる。
多くの苦痛を与えられている人間は多くの苦痛に堪える力があるからである。
(ドストエフスキー)
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