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 自分の力に気づく
スピリチュアルブック
 マイケル・ゴダート・著 小原亜美・訳
大和書房
 
 
 与えるということ

 私たちのほとんどにとって、親はだれより多くのものを与えてくれた存在だ。育った環境にどれほど不満があっても、親に欠点、そして失敗に思えるようなことがあっても、親は親なりにベストを尽くしてきたというのが本当のところだろう。
 あらゆる心の傷にレーザーをあて、分析しようとする昨今の批判的な風潮に便乗し、親が「しなかった」ことをあれこれと考えるのは簡単だが、わずかの時間、親が「したこと」を考えてみよう。
 子供をもつとは、あきらめ、すべてを差し出し、我慢することだ。
 親はあなたに食事と衣類、そして住む場所を与えるために身を捧げ、家庭のなかでも、外でも、懸命に働いてきた。汗水たらして稼いだお金をはたいて、おもちゃや本を買い、稽古事をさせ、旅行に連れて行ったかもしれない。
 つまり、親は自分の能力の範囲で精いっぱい、あなたを育てたのだ。こうあるべきという自分の考えに親をあてはめようとすることはやめよう。限界はあっても、親はあなたを愛し、なにより、あなたの幸せを望んでいたのだから。
 周囲を幸せにすることは、スピリチュアルな人の特徴でもある。支えや励ましの言葉をかける。思いやりを行動に表す。相手を気遣っていることを表現する。友だちとして、家族として、自分が果たすべき責務を喜んで果たす。
 周囲を幸せにするとき、私たちは相手に元気を与える。スピリチュアルな人々は、自分が真っ先に最高のものを手に入れたいという自己中心的な欲求に駆り立てられることはない。周囲を幸せにすることは自分のスピリチュアルな幸福を求める一環なのだ。
 親が望んでいるのは、私たちの顔を見たり、声を聞いたりすることだ。それで親は幸せになる。だから、少なくとも1週間に1度は実家を訪れよう。遠くに住んでいるのなら、電話をかけよう。
 両親が他界しているなら、親戚や年長の知人に会ったり、電話をかけたりする。
 無私の精神で周囲を幸せにすることは、「与える」というスピリチュアルな資質を鍛えることにつながる。
 私たちは与えあい、助けあうために存在している。「自分のため」に夢中になると、周囲の仲間とも、内なるパワーとも切り離される。高いレベルのスピリチュアリティを身につけた人々は、枯れることのない内なるパワーの源泉とつながっているため、与え続けることができる。与えれば与えるほど、「それ」が豊かになると知っている。
 「それ」には何を当てはめてもいい。エネルギー、時間、お金、知識、技能、そして愛。
 より多くを与えるうちに、エゴに縛られることは少なくなり、障害物は消え始める。違いはどうでもよいことになり、自分たちはひとつだと感じるようになる。なぜなら、自分がその「ひとつのもの」により近づいているためだ。
 与えるとは、義務や強制と感じることなく、自分の責務を果たすこと。エゴを満たすための報酬や評価を期待せずに実行するのが、本当の意味で与えるということだ。報酬を考えずに与えるとき、あなたは無私の精神のうちにエゴを放棄している。いい親になるとは、つまりエゴを放棄してひたすら与えることだ。
 私たちは自分が生きとし生けるものとつながっていることを思い出し、理解しなければならない。少なくとも、まずいちばん近しい相手から始め、相手に尽くし、その幸福に貢献する必要がある。相手に尽くすとき、私たちは自分の本質、つまり愛を与えている。愛を与えることで、私たちは愛を得る。
 
 
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