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 ジェームス・アレンの法則
 ジェームス・アレン・著 ピーター・セツ・訳
イーハトーヴ・フロンティア
 
 
 思考が境遇におよぼす影響

 人の心は庭園によく似ています。それは知的に耕すこともできますし、あるいは野放しにしておくこともできます。しかし、耕すにしても放置するにしても、必ず何かが生まれます。無用の種子が蒔かれれば、役に立たない雑草の種子が落ちてきて、同じ種を作り続けていきます。庭造りをする人は、土を耕して雑草が生えないようにし、自分が咲かせたい花や実らせたい果実を育てます。
 それと同じように、人は自分の心という庭の世話をし、不純で誤った無益な思考が育たないように取り除いてこそ、正しく有益で清らかな思考という花や果実を育てることができます。その過程を続けることで、人は遅かれ早かれ自分こそが自分自身の魂の庭師であり、人生の監督者であることを発見するでしょう。

 思考と性格は一体のものです。性格が境遇と環境を通して表に現れるように、人の表面に現れてくるものは常に内面の状態に関係しています。しかし、これはその人に与えられた境遇がいかなるときでも、その人のすべての性格を表しているということではありません。
 ただ、その境遇は、とても密接にいくつかの思考要素が自分の中につながっているのです。それは人間の成長に欠かせない不可欠なものです。人はだれでも、自分の性格に組み入れてきた思考によって現在があるのです。人生で起こるさまざまな出来事に偶然の要素はありません。すべてが法則の結果に基づいています。法則そのものに誤謬はないのです。
 このことは、自分の環境と調和できてない人にも満足している人にも、平等にあてはまる真理です。人は、進歩し進化する存在です。人間は学習し成長するために、現在の場所にいるのです。どういった状況の中でも、霊的な教訓を学ぶことはあります。そして、その状況がすぎれば他の状況が与えられます。

 魂は、密かに抱いていること、愛していることや恐れていることを引きつけてやみません。そして魂は、育てた大望に到達するために最後まで挑むこともあれば、また、いかがわしい欲望のために底にまで落ちることもあります。境遇は、魂が自ら受け入れたものです。
 すべての心に蒔かれたり、あるいは落ちるままに根づいてしまった思考の種子は、遅かれ早かれ自ら開花し、行動となって機会と境遇という果実を結びます。良い思考は良い実を結び、悪い思考は悪い実を結ぶのです。
  境遇という外側の世界は、思考という内側の世界をなぞって形づくられます。外側から見て、好ましい状態も好ましくない状態も、最終的に個人のためになる要素になります。自分が育てた作物を収穫する人として、苦しみと喜びの双方から学ぶことになるのです。

 成長と適合の原則はあらゆるところで適用されます。人は運命や境遇の苛酷さによって救済所や刑務所に行くのではありません。卑しい思考と欲望の道をたどったからです。境遇が人をつくるのではありません。境遇は人に自分自身を明らかにしてくれるのです。人は思考の支配者であると同時に自らをつくりだす創造者であり、環境を形づくる作者でもあります。
 人々は、自分が望んでいる姿ではなく、現在の心の状態が姿として表れます。心の奥底にある思考や欲望は、たとえそれが不潔なものであっても清潔なものであっても、それ自体を糧として成長します。「私たちをつくりあげる神の力」は、私たち自身の内にあって、それこそがまさに私たちの思考なのです。
 
 
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