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 天風先生座談
 宇野千代・著 二見書房
 
 
 観念要素と潜在意識

 これから観念要素の更改について話しましょう。あなた方の多くが気がついていない人間の心でおこなう思考というものですが、心の表面では実在意識というものがおこなっている。しかし、人間が何事を考えるにつけても、この心の表面の実在意識の単一な働きだけで思ったり考えたりするものではないのであります。実在意識の奥にもう一つ、潜在意識というものがある。俗に心の倉庫と言います。
 この中で思ったり考えたりするすぺての材料が、観念要素と名づけられている。何かものを考えようとすると、すぐこの観念要素がひょいひょいと飛び出して来ては実在意識となる。そして、その思い方考え方に、一連のアイディアを組み立てるのであります。
 この侵すべからざる大きな事実を、静かに考えてみると、人間の思い方考え方が尊くなるのも卑しくなるのも、強くなるのも弱くなるのも、正しくなるのも清くなるのも、結局はこの観念要素の状態に左右されているということになる。そういうことに、たいていの場合、気がつかない。気がつかないどころか、中には、自分の思い方考え方の間違っていることに、同情している奴があるだろう。「こういうときに、こういう考え方をしちゃいけないかもしれないが、俺ア凡夫なんだ。おまけに人の身の上じゃない。自分の身の上だぞ。これが怒らずにいられるかい」そう言って怒っている奴がある。
 真理というものは事情に同情してくれず、また弁護もしてくれない。「お前の場合は別だから、まアいいわ、心配しろ。しようがないわな。そのかわり、体に障らないようにしておけ」なんて言ってはくれない。事情はどうあろうとも、われわれの思い方考え方がすこしでも消極的である場合は、直ちに、われわれの生きる肉体生命のうえに、驚くぺき、よくない変化が現われて来る。これをたいていの人は知りませんよ。
 だいいちお医者さんでも気のつかない人が多いんだから、素人が気がつかないのも無理はないが、すこしでもわれわれの心の中に消極的な感情、情念が起こると、命を生かす上に直接に欠くべからざる血液と淋巴とか、その性能のすべてが、消極的な感情、情念の発生と同時に破壊されてしまう。これを知らないから、平気で怒ったり、泣いたり、恐れたり、憎んだり、恨んだりしているんだよ。
 血液がそういう状態になるような消極的な感情、情念とはどんなものか、教えてあげるね。
 一番さきが「怒ること」、あなた方のもっとも得意とするところだ。第2は「悲観すること」。これも頼まれなくても、しょっちゅうやっている。第3は「理由なくして恐れること」。第4は「憎むこと」。みんなお得意とすることばかりだろう。第5が「恨むこと」。第6が「焼きもちを焼くこと」。次に煩悶苦悩憂愁。みんな、あなた方の得意なことばかりだ。この中のどれかが心に起これば、それが消極的感情、情念だ。それが心の中に起これば、いま言ったように、たちまち血液と淋巴の弱アルカリ性が、ぐっと破壊されてしまう。
 とにもかくにも、この消極的感情、情念を、自分の実在意識の中に発生せしめないようにしなければならないんだが、それがいけないと言われたそばから、発生させまいと思っても駄目。何故かというと、潜在意識の中に、観念要素の中に、そのどれかしらんがはいっているかぎりは駄目だ。実在意識にそういうことを思ったり考えたりすることがいけないんじゃないんだ。潜在意識の中に、そういうことを思わせたり考えさせたりするような材料をため込んでおくことがいけないんだ。材料がなけりゃあ出て来ねエんだ。あるから出て来る。
 考えてごらん。四斗樽に水をいっぱい入れておいたら、いつの間にかボウフラがわき出したとする。これはいけないっていうんで、あとから新しい水をいくら入れても、ボウフラの卵をとらないかぎりは、いつまでたってもボウフラを失くすことは出来ないんだ。
 だから、何をおいても、まず、第一番に、潜在意識すなわち心の奥の、大掃除をやらなければいけないんだよ。それが、観念要素の更改ということなんだよ。人の顔の異なるごとく、現代人はそれぞれ違った観念要素を持っているけれども、そいつがみんな消極的な事柄ばかりだ。だから、そこらでうろちょろ生きている人間どもは、どんなに学問しようが、どんなに金が出来ようが、この中を掃除しないかぎりは、何か事がありゃあ、いままでの大言壮語はどこへやら、その心が散々な状態になっちまうのであります。
 
 
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