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 スピリチュアルな生き方原典
 脇長生・講述 桑原啓善・筆録
  でくのぼう出版
 
 
 大切なのは日常の意念の統制

 精神統一は座れば出来るというものではない。統一の要点は今日にはなく、平常にある。統一から統一までの日々にある。折りにふれ時に当たり「我(が)」をなくす、すなわちゆとりをつくる。その工夫精進にある。
 端的に言えば、統一は背後霊の整理である。すなわちよい霊を残し、悪い霊を除く。我々が霊と行き来するのは、心の波による。従って自己の心から我をなくすことが統一の要件となる。自分の目の前に出てくる事象によって反省せよ。これ以外に道なし。統一はその仕上げの日。

 指導者に統一してもらって、背後霊の整理をして貰おうという考えは間違っている。自分で背後霊の整理をしよう。そのために意念の統制をしよう。
 何か悩みや不幸にあうのは、その時もっている心持ちが、よい心持ちでないからである。何か我の働きが強かったからである。それ以外は絶対にない。その時、「ああ私にもまだこのような心が残っていたか」と反省する。それはまた、「この原因あればこそ、このような悩みという形で教えてもらった」という感謝の心と変わる。この態度で日を送る時、次の統一日まで困った事は起こらない。しかし、人間はそういう反省をしても、またその過ちを繰り返しがちだから、次の統一の時に、完全になくすための仕上げをする。

 精神統一を実習すると、悪癖や病気など一切の不幸はなくなる。その理由は、不幸はすべて邪悪霊の仕業であり、統一実習によって邪霊は整理除霊されるからである。
 しかし、これら邪霊を呼び寄せたのは、もともと自分の心であるから、自分の心を高くしないかぎり、いつまで経っても「除霊〜憑依」の悪循環を繰り返すことになる。
 統一実習者の中には、統一だけで自我霊が高くなると思いこんでいる者があるが、
自我霊は日常生活の反省鍛錬を通じて初めて向上するものである。

 自我霊を高めるとは、
意念を統制すること心身を浄化すること奥の心を浄めること。表現はそれぞれちがうが、この一事である。
 それには実際どうすればよいか。
自分の目の前に現れる出来事や人は、すべて自分の奥の心の現れであるから、その折にふれて、これによって教えられていると考えて反省すればよい。反省といっても、四六時中、思いつめることではない。それはむしろ反省にとらわれているので、何か事が起こった時に反省の心を動かせばよい。それ以外の時は、一刻一刻を有り難いと思ってくらせばよい。決して難しい事ではない。

 自分の不幸や病気は何から生まれたか。これを霊魂学で調べると、すべてこれはある霊魂の仕業である。しかし、何がその霊魂を働かせたかというと、本人の心の波長である。
 そこで、一般常識からすれば、この霊魂を恨み、恐れ、これを除けばよいということになるが、それは間違いである。ここが大切なところで、心霊常識の上に立つとき、
「この不幸や病気で、自分の心に欠陥があることを教えてもらった。この霊魂のおかげで、自分の実態を自覚させてもらってありがたい」と心の持ち方を変えることである。
 一般常識に立って霊魂を憎むと、ますます邪霊ははびこり、心霊常識に立って感謝の心を持つとき、初めて不幸や病気はなくなる。常に現状に感謝し、心持ちを変える努力を怠るな。
 
 
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