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 〈あの世〉からの現地報告
アンソニー・ボージャ・著 近藤千雄・訳編
コスモス・ライブラリー
 
 
 訳者による解説――「霊性」

 「霊性」とは自我の本体のことで「個性」の根源と考えてもよい。そもそも人類がこの地球という物質界に生活の場を求めて降誕してくる目的は物質界ならではの体験、仏教で言う生・老・病・死・苦・喜・怒・哀・楽などを通して霊性を磨き霊力をつけることにある。霊にとって物質界は「修行場」としての価値が大きいようである。その霊性の高さ・程度のことを「霊格」という。各自はその霊格に応じた波動の中で生活している。
 物質界への降誕に際しては類魂(グループソウル)の一人が守護霊として、さらに複数が指導霊として付けられる。指導霊は生長に応じて交代があるが、守護霊は終生替わらず、苦楽を共にしながら、死後も案内役となってくれることが多い。
 ついでに付言すると、守護霊のことを英語でGuardian Spirit ないしは Guardian Angel などと言うが、いずれも日本語同様に「守る」という意味が込められているので、とかく苦難や病気や災害から救ってくれるかのように思われがちであるが、これは地上の人間的誤解である。
 苦難には「苦難の法則」というのがあり、原因と結果の法則――「因果律」――によって裏打ちされている。必ずしも意識的な悟りを伴わずに、霊性を高め霊力を強めるように配慮されている。「天の配剤」というのがそれである。なぜあれほど残酷なことが起きるのだろうと、理解に苦しむことがあるが、そういう体験をさせられる人は、それに相当する業を背負っているに違いないのである。前世の因縁というのがそれであろう。それは必ずしも当人の犯した罪の報いとは限らない。類魂の一人である守護霊のものかもしれない。だからこそ手出しができないのである。そういう時は守護霊も共に苦しみ悲しんでいると思うべきである。
 「神とは法則であるGod is the Law」というのがスピリチュアリズムの大原則である。法則とは因果律つまり原因と結果の法則the Law of Cause and Effectのことで、霊性の進化を促すことを目的としては最後の小数点まで計算され、その結果には寸分の狂いもないというのが、高等な霊界通信の一致した表現である。
 所詮、物質界は過酷なトレーニングセンターであるから、病苦や悲劇は覚悟しなければならない。よく奇跡的な治病体験が語られるが、それは法則を超えて治ったのではなく、その体験によって罪障が消滅して、そこに霊的次元の法則の働く条件が整ったことを意味するのであって、同じ不治の病の別の患者が同じ治療家の所へ行っても、その条件が整っていない場合、つまり機が熟していないかぎりは、何の反応も見られないことになる。物理的法則が絶対であるように、霊的因果律もまた絶対なのである。
 あなたも今この時点において霊的存在であるから、ものを思い、心配し、喜び、あるいは悲しむといった心の働きは、肉体はもとより霊体にも幽体にも共鳴し、あなたという一個の人格(個性)を形成していく。
 ここで改めて指摘しておきたいのは、人の道に反したこと、つまり良心が痛むようなことは、たとえ第三者に知られなくても、その事実そのものが精神体つまり魂に刻み込まれるということである。
 「神は木の葉一枚が落ちるのもご存じ」という先人の言葉はそういう意味である。この精神体つまり魂のことを近代の心理学では「潜在意識」と呼んでいる。人間はこれを死後にそっくりそのまま持ち越す。
 
 
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