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 江戸の霊界探訪録
「天狗少年寅吉」と
「前世の記憶を持つ少年勝五郎」 
平田篤胤   現代語訳:加賀義
幸福の科学出版
 
 
 「大願」というものの大概は欲心

 私がもともと知らない人だが、ある医師が、紹介人もなく、尊大な様子でつかつかとやって来て、私に会いたいと言う。会うと、「寅吉に会いたい」と強いて請うので、その頃は、みだりに人に会わせなかったのだが、やむを得ず面会させた。
 その医師は、世の高潔ぶった人のように、清潔な話をして、まず自分の長寿と夭折について質問した。すると寅吉はこう答えた。
「それは言わない掟です」
「私には大願がある。成就するかしないか」
「どんな願いですか」
「私は金銀を多く持ちたいなどという卑しい心は一点もない。ただ、大邸宅を構え、身の上も昇進し、財宝が思いのままに集まって、それを十分に使い、人にも施して、寿命を長く、病難もないようにと、常に弁財天、聖天(大型歓喜天)などを信仰して、日々の祭りを欠かしたことはない。どうだ、この大願は叶うだろうか」
 寅吉は少し考える様子で、
「ご信心次第で叶いますでしょう」
 と答えると、医師は、ひどく喜んで帰っていった。その後、私は寅吉に訊いてみた。
「あの医者の願望は非常に大きいが、本当に叶うのだろうか」
 寅吉は笑って答えた。
「あのような占いは、それほど苦心して考えようとは思わなかったので、成るか成らないかも深くは考えず、実は、口から出まかせを申したのです。あの医者は、『欲心は少しもない』と清らかそうに言っていましたが、『財宝を十分に得て十分に使い、人に施すほどでありたい』と言われました。私は、これはどの欲心はなかろうと思ったのですが、あの医者は欲心だとは思っていませんでした」
「その欲心から弁天や聖天などを祭っているとのことですが、信心さえ厚ければ効験もあるでしょうけれど、ついには神罰に遭うことを知らないのです。俗人が『大願、大願』と言う内容は、大抵が、この程度のことでありますために、神々様はさぞかしお困りのことでございましょう」
「真実の大願ならば、あの人は医師なのですから、『何か神界に良き療法があるはずだ。私は医者だ。どんな難病でも私の手で癒えない病はないというように、療法を知って天下の病苦ある人を救い、その療法を世に広く伝えて天下の医師たちにも知らせ、あまねく世に医術をもって功を立て、死してのちも人の病苦を救う神となろうと思う。この願いは、どうやって叶えたらよいでしょうか』などという問いであったならば、私も苦心して占い、考え、聞き知っている療法や薬方のことを語りもしたでしょうに。本当に可笑しいことです」

 後で聞いた話だが、この医師は多くの財宝を持っているが、飽くことなく種々の手段で金を集めているという。

 神の道を否定する「生学問」ほど危険なものはない

 ある日、人々が私のもとに集まって、さまざまな方面の話をしていた。その折に、ある博識ぶった人物のことが話題になった。その人は「神道はとても小さな道だ」と言うのである。「それほどでもない学問を立派そうに誇るのは、慢心した人だ」などと語り合っていた。
 そのとき、寅吉が言った。
「およそ学問というものは、魔道に引き込まれることで、よろしくないことです。その理由は、むろん学問をすることほど善いことはないのですが、真の道理の至極まで学び至る人はなく、大概は生学問をするからです」
「書物をたくさん知っていることを鼻にかけて、書物を知らぬ人を見下し、『神はいない』だの、『仙人・天狗はいない』だのと言い、『不思議なことはない』『そのような道理はない』などと言って我意を張ります。これはすべて生学問の高慢であって、心が狭いのです」
「書物に記してあることでも、実際に見てみると違っていることはいくらでもあります。だいたい、高慢な人は心が狭くて、最後には悪魔・天狗に引き込まれて責めさいなまれる人なのです」
「異界で聞いた話があります。何とかという大鳥が『自分ほど大きなものはいまい』と思って出かけ、飛びくたびれたので、下に見える穴に入って羽を休めました。すると、その穴がくしゃみをして、『俺の鼻に入って休むのは誰だ』と言われ、肝を潰したというのです」
「人間ほど尊いものはありませんが、自分より下のものを見るとだんだん卑しく劣ったものが幾百段あるか知れません。顕微鏡で見ても分かるでしょう。蠅は小さいものだと思いますが、その蠅に羽虫がたかっています。その羽虫にもまた、羽虫がたかっているかもしれません。そのように、上にもまただんだんに幾百段段か、尊いすぐれたものがあるはずで、この天地も何もかも、何とかという神の腹の内であるかもしれないのです」
「それは、人の腹の内にもいろいろな虫がいることからも分かることです。そうであるから、大空がどこまであるかということまで知り、自由自在な器量がなくては、偉そうなことは言えないのです。すべて、慢心・高ぶりほど悪いことはありません。魔道に引き入れられるきっかけとなるからです。それゆえ、顔の美しい人、また諸芸の達人、金持ち長者なども、慢心・おごりの心があるため、多くは魔道に入るものです」
「坊主はだいたい低い身分の者から出て、位が高くなり人に敬われるため、みな高ぶりの心があって大抵は魔道に入るのです」
「特に、金持ちがますます欲深く金を集めて、それを世のために使ったりしないのは、神が憎むことだと聞いています。金持ちが一所に金を集めるゆえに、貧乏人が多くなります。世人がおのおの、暑からず寒からず、食べて着て住めるぐらいに取り揃えて、欲を深くしないでいると、世の中が平穏無事に行くのです。金持ちが莫大な金を集めて、『これは俺のものだ』と思っていても、よく考えれば自分のものなど何もなく、すべて公のものなのです。金銀だって、公のもとに通用している世の宝です。その他、食物も着物も公の地でできたものです。家も公の地にあるわけです。その身体でさえ、公の地に生まれた身なのだから、我が身とは言えません。金銀や何かを数多く持っていても、死ぬときに持っては行けません。それなのに、このことをわきまえず、むやみに欲を深くして物持ち・金持ちになりたがる大は、死んでもその心が消えず、人のものを集めて欲しがる鬼物となるのです。これはまさに、魔道に入ったということです」
 
 
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