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 運命好転の法則
謝世輝・著  こう書房
 
 
 ただの水が“神癒”を起こした〜ルルドの奇跡

 フランスのルルドという片田舎の洞窟で、あるとき土地の娘が聖母マリアの姿を見た。この“マリア出現”のニュースはすぐにヨーロッパ中に広がり、娘がマリアから受けたという託宣に従ってバチカン当局はそこに教会を建て、近くに湧いている泉の水をためて水浴できる池をつくった。
 驚くべき出来事が起こったのはそれからである。さまざまな難病患者や障害者が礼拝に訪れると、その難病や体の障害がたちまち治ってしまい、その数は数千件にも達したのである。これがいわゆる「ルルドの奇跡」と呼ばれる“神癒”(神により病気を癒される)で、信頼できない報告もあったが、疑う余地のない事例も多く見られた。
 そのひとつに、完全に失明していた夫人の例がある。彼女は病院の車でルルドの洞窟までくると、マリアの姿が見えると叫んで倒れた。そして意識を回復したときには目が見えるようになっていたのである。しかも、医者の診断では、彼女の視神経はマヒしたままで、医学的には失明した状態のままであるにもかかわらず、彼女の視力は正常なのであった。
 なぜ、このような不思議な出来事が起こるのか。結論から先に言えば、「神癒により必ず治る」と信じているから治ったのである。ルルドの聖泉に水浴して治った事例を見ると、事態はもっとハッキリする。この泉の水で病気や障害が治った事例は数千にも達するが、専門家が水質を調査した結果、この聖泉には病気の治療に有効な成分はまったく含まれていなかった。それどころか、多くの患者が水浴したために有害な細菌がウヨウヨいて、病気にかかってもおかしくないほど汚染されていたのだ。
 治したのは“聖泉”ではなく、治してもらえると「信じる心」だったのである。

 
キリストも故郷では奇跡を起こせなかった

 このような場合、とかく霊能力がある婦人や、聖なる泉が奇跡を起こしたと思われがちである。そのため、霊能力の有無が議論されたり、泉の効能が問題にされたりするのだが、いずれもムダなことである。なぜなら、すでに述べたように「信じる心」、すなわち信者の信仰心が、奇跡を起こした根本の原因であるからだ。
 神癒により病気が治った人びとは、キリストやマリアを信じ、神の存在を信じていた。もし彼らに強い信仰心がなかったならば、「ルルドの奇跡」も「サンディエゴの奇跡」も起こらなかったであろう。
 信仰心と奇跡のこのような関係は、聖書にも記されている。聖書には、キリストが手で触れただけで、目の見えなかった人が見えるようになったとか、足が不自由な人が歩けるようになったとかいう奇跡がたくさん出てくることは周知の通りである。ところが、そのキリストも、「故郷の町の人びとには奇跡が起こせなかった」と記されている。なぜか?
 故郷の町の人びとは、キリストが大工の家に生まれ、成長していった様子を自分の目で見て知っている。だから彼らは、「あれは、自分たちがよく知っている大工の息子ではないか。あんな小僧に病気が治せるはずがない」と思ったのだ。これではキリストが“神の子”であると信じられるはずもなく、奇跡が起こるはずもなかった。
 私も含め、キリスト教の信者ではない多くの人びとにとっては、キリストが“神の子”であるかどうかといった問題は、とりあえずどうでもいい問題である。しかし、宗教が起こす奇跡の例から、次の事実だけは教訓として学びとるべきであろう。すなわち、「難病や重病が奇跡的に治るのは、患者の側に、『必ず治る』と信じる心があればこそだ。『信じる心』がなければ、神といえども奇跡は起こせない」
 想念や祈りで病気を治そうと思えば、いつもこの点を念頭に置いて実践してもらいたい。
 
 
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