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 古武士霊は語る
近藤千雄・著 潮文社
 
 
 祈願とはなにか

 さて祈願とは何かということがよく話題にされますが、これは私が述べるよりも、霊界生活三千年のシルバーバーチの霊言に耳を傾ける方がよいでしょう。「霊界の方では人間の祈りをどう見ておられるのでしょうか」という質問に対して、シルバーバーチは次のように答えております。

 「祈りとは何か」を理解するには、その目的をはっきりさせなければなりません。ただ単に願いごとを口にしたり決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。テープを再生するように陳腐な言葉を大気中に放送しても耳を傾ける者はいませんし、訴える力をもった波動を起こすことはできません。
  私たち(=霊界の者)は、型にはまった文句には興味はありません。その文句に誠意がこもっておらず、それを口にする人みずから、内容には無とん着であるのが通例です。永い間それをロボットのように繰り返してきているからです。
 真の祈りにはそれなりの効用があることは事実です。しかし、いかなる精神的行為も、身をもって果たさねばならない地上的労苦の代用とはなりません。祈りは自分の義務を避けたいと思う臆病者の避難場所ではありません。人間として為すべき仕事の代用とはなりません。責任を逃れるための手段ではありません。いかなる祈りにもその力はありませんし、絶対的な因果的連鎖関係を寸毫も変えることはできません。
 人のためにという動機、自己の責任と義務を自覚した時に湧き出る以外の祈りのすべてを無視されるがよろしい。そのあとに残るのが、心霊的ないし霊的であるが故に自動的に反応の返ってくる祈りです。その反応は必ずしも当人の期待した通りのものとは限りません。その祈りの行為によって生じたバイブレーションが生み出す自然な結果なのです。
 
あなたを悩ますすべての問題と困難に対して、正直に、正々堂々と、真正面から取り組んだ時、解決のためにありったけの能力を駆使して、それでも力が及ばないと悟った時、その時こそあなたは何らかの力、自分より大きな力をもつ霊に対して、問題解決のための光を求めて祈る完全な権利があると言えましょう。そして、きっとその導き、その光を手にされるはずです。なぜなら、あなたのまわりにいる者、霊的な目をもって洞察する霊は、あなたの魂の状態をありのままに見抜く力があるからです。たとえばあなたが本当に正直であるか否かは一目瞭然です。
 さて、その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。つまり、肉体に宿るが故の宿命的な障壁を克服して本来の自我を見出したいと望む、魂そのものの祈りです。これは必ず叶えられます。なぜならその魂の行為そのものが、それに相応しい当然の結果を招来するからです。このように、一口に祈りと言っても、その内容を見分けた上で語る必要があります。


 結局そこまでが人間側からの祈りの正しいあり方であるということで、それから先のこと、つまりその祈りに対していかなる回答があるかは神々の決めることであり、それを素直に受け入れないといけないということでしょう。
 別のところでシルバーバーチは「祈ることは要求することではありません」と言い、「人間の要求を聞いていると、それをそのまま叶えてあげたら、かえって好ましい結果にならないようなことばかりです」と、耳の痛くなることを言っております。
 
 
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