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 「意識と波動」の不思議な世界
杉山育代・著 星雲社
 
 
 嫌いな人と付き合えるようになる

 ある霊能者が言いました。「東京の繁華街は私にとって地獄です。だって、例えば新宿の歌舞伎町に行ってごらんなさい。あそこは欲望の渦ですよ。妬(ねた)み・嫉(そね)み、裏切り、憎しみ、脅し、……もう人間の醜さの展示場です。あんなところに行ったら私の体はもちません。そもそも東京は住むところではないです」と。
 確かに、霊能者は人の意識の波動を受けることの出来る能力者ですから、好むと好まざるとにかかわらず、いろいろな人の想念を体が受けてしまいます。想念のうちでも特に醜い波動ほど影響を受けます。ですから、「もうたくさん」という気持ちになるのでしょう。霊能者は極端なケースですが、私たちも多かれ少なかれ、こうした気持ちをもっていないでしょうか。
 私に言わせれば、これは間違いです。現実から逃避してはダメです。良し悪しを別にして、妬み・嫉み、憎しみなどがあるのが人間世界なのです。そのかわり、愛もあれば優しい心に出会うことだってあるじやないですか。そうした諸々を含んだところに人間世界が成り立っているのです。私たちは、こうした世界で生きなければならないのです。憎しみが醜いからといってそこから逃避してはなんの解決もありません。憎しみを愛に変えることだって不可能なことではないのです。
 今から10年前、筑波で開かれた科学博で、3000個の実をつけた一株のトマトが展示されていました。遺伝子に特別の操作をしたわけでなく、まったく普通のトマトです。野澤重雄さんが開発した水気耕栽培で、ハイポニカ農法といわれるやり方で育てられたものでした。(苗を土に植えるのでなく、酸素を強制的に送る装置が付いた、常に動く水溶液内で育てる)
 単にこれだけのことなのに、どうして3000個もの実をつけられるのでしょうか。野澤さんは次のように説明します。「……植物の生命の本質は今私達が見ているよりも、もっと大きい可能性を宿しているのです。植物はどこまでも大きくなる性質を潜在的に秘めているのです。問題は、その可能性を阻害する要因があることです。その中で最大の阻害要因が土です。……土は光を通さないし、水分が一定していない、温度も不安定、栄養にもムラがある……云々」と。
 水気耕栽培は、その阻害要因を全部取り除いた栽培方法だったのです。一株のトマトが松の木のように大きく枝を張り、3000個もの実をつけるのは壮観です。生命の未知なる可能性を垣間見る思いがします。
 でも、これは手放しで賞賛できるものでしょうか。私にはやや疑問に思えるのです。
 確かに、土は成長のための阻害要因にはなっていますが、自然界で土がなかったら植物は自分の根ですっくと立ち上がることは出来ません。風に倒れないように根を張ることも出来ません。雨による水分の補給も、栄養の摂取も出来ません。それが自然というものです。常に限界が付きまとうのです。
 そのために生命の潜在能力が開花できないという論理は、少し飛躍しすぎていると思います。理想的な環境などないのです。大いなる可能性とは、どんな粗悪な環境でも、それなりに生命を育む能力というふうに考えるべきだと思います。
 これと同じことが、人と人の付き合いでも言えないでしょうか。嫌な人もいれば好きな人もいる。欲望の渦もあれば愛の泉もある。こうした雑多な要素でなり立っているのが人間世界です。そこから逃げ出したのではダメです。
 いろいろな邪気に対して、そこから逃げるのではなく、自分の気を同調させ、その気と付き合える能力を身につけるわけです。こうすることによってどんなタイプの人間とも分け隔てなく付き合えるようになります。実に理想的な姿だと思いませんか。
 
 
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