物質的な肉体のほかに「見えないからだ」がある
死体の解剖からはじまった近代西洋医学は、人体を精密な分子機械であると考えています。したがって、分子でできた機械の部品の故障が「病気」であり、故障の修理が「治療」であると考えます。ものをあつかうのとまったく同じように物理的(外科手術・放射線療法)、化学的(薬物療法)な技法を駆使して部品の故障を修理し、修理できない部品は新しい部品と交換(臓器移植)するのが近代医学です。
最後に残る自然――からだ。そのからだも地球上のいのちのつながり(生態系)のなかにある以上、いま、まわりの自然と同じように汚染や破壊に傷つき、病んでいます。有効な治療法のないまま、子どもたちはアトピー性皮膚炎やぜんそくに悩み、おとなはガン、脳血管疾患、心臓疾患、代謝疾患などで悩んでいます。数多くの種が失われつつある現在、最後の自然もけっして健康な姿ではないのです。
たしかに、わたしたちのからだには「物質的な側面」があります。その側面にかんしては物理学や化学の法則がそのままあてはまり、近代西洋医学の治療も法則どおりに成功します。緊急時の外科手術に代表されるように、わたしたちは西洋医学のそのようなアプローチに大きな恩恵をこうむってきました。
しかし、これはとても重要なことですが、からだには物質的側面のほかにエネルギー的側面、情報的側面といった「非物質的な側面」があり、そこではたえず、従来の物理学や化学の法則があてはまらない、未知の現象が起こっています。
たとえば気功治療の実験では、たいがいこんな現象が見られます。気功師が〈気〉を送りはじめてしばらくすると、それまでまったく異なっていた気功師と患者の脳波の波形が完全に一致してくる「トランスパーソナル・シンクロニゼーション」(超個的同調現象)が起こるのです。見えない「なにか」が媒介して、空間的に離れたところにいる気功師と患者の脳波が細部にわたって同調してくるこの現象は、近代西洋医学ではまったく説明がつきません。
中国の「特異効能者」(超能力者)には透視や念力を行なう人たちはもちろん、耳や指先でものを見たり、匂いや味を感じる人たちがたくさんいます。これも科学や医学では説明のしようがありません。
〈気〉という、現在までに開発されている観測機器ではその本体をつかまえることのできない超微細なエネルギーが、人体の生命活動や精神活動にとってひじょうに重要な役割を果たしているらしいことは、最近の「人体科学会」などの研究によってほぼ明らかにされています。からだには物質的な「肉体」のほかに、超微細なエネルギーでできた「気のからだ」のような、もうひとつの「見えないからだ」があるらしいのです。
「肉体のほかにもからだがある」などといえば奇異に聞こえるかもしれません。しかし、世界の多くの伝統文化を調べてみると、人間について深く知ろうとするいかなる試みも、もうひとつの「見えないからだ」の存在をぬきには成功していないことに気づかされるのです。
また、臨死体験などにともなって起こる「体外離脱」現象はどうでしょうか。死の一歩手前までいった経験をもつ人の多くが、「自分のからだからぬけだして空中を浮遊し、遠くまで行っていろんなものを見たり聞いたりしてきた」と報告しています。それらの報告のなかには幻覚や妄想もあるでしょうが、そのときの見聞の対象が客観的な事実であったことがのちに立証されたケースも少なくありません。地球外にまで飛翔して行ったと証言する人、過去や未来のできごとを目撃してきたという人もたくさんいます。
体外離脱の体験者たちは、からだからぬけだした「自分」にも感覚があり、感覚の触手であるもうひとつのからだ、「透明なからだ」があったと報告しています。非物質的なそのからだは時間や空間の制約を受けず、意のおもむくままに自由に移動できるもののようです。こうなると、近代西洋医学はお手あげです。説明の手がかりすらありません。しかし、『チベットの死者の書』や『観無量寿経』などをはじめ、世界には体外離脱の体験者が書いたとしか思えない文献が無数に残されていて、それらの内容には共通する要素がたくさんあるのです。
見えない「気のからだ」や時空を超える「透明なからだ」は荒唐無稽なつくり話ではありません。それらは世界の先端的な科学者たちがいま、真剣になってその正体をつきとめようとしている「未知のからだ」の一例です。仏像の光背やアメリカ先住民の大きな羽根飾りなど、「見えないからだ」を見えるかたちにあらわそうとする試みは世界の多くの文化で大昔から行なわれていたのです。
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