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 八正道のこころ
堀田和成・著 法輪出版
 
 
 思うことは、ものの始まりであり、行為を意味する。

 「口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして外に出て行く。しかし、口から出て行くものは心の中から出てくるものであって、それが人を汚す。悪い思い、すなわち殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、そしりは心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである……」
 これは聖書のマタイ伝に出てくるイエスの言葉です。
 思うことは、心の中の出来ごとで悪いことではないと、つい考えます。が、これはとんでもないことなのです。思うことは外に現われずには済まないし、また私たちは心の世界に生きている者であるからです。たとえば箸の上げおろしにしても、心の命令なくしては動きません。心がアレコレ命令し、神経を通して腕、指先に指令しているので動いているのです。
 さまざまな善も悪も、心に描き、思うから形になって現われます。実際に、この地上の一切のものは神の創作であり、私たちの身のまわりのものは、こういうものがあれば便利、ということが心に描かれ、作られています。
 それですから、事の始まりは私たちの心がなにかを思い想像することによって起こります。無意識の行動にしても、その時は意識せずともそれを意識した時があって、それが行為になって現われたものです。
 私たちの運命、健康、人と人との調和は、すべて個人の心のなかでつくられ、時間をかけながら現われてきます。時間をかけてとはどういうことかといいますと、肉体をはじめとしたこの地上は波動の荒い世界ですから、心の中で想像したことは、ある一定の時間を経なければ外に現われてこないのです。
 心の働きが人の運命をどう変えるかといえば、人の思いは念となって外に放出され、それはやがて自分のところに帰ってくるものです。それはちょうど山彦と同じなのです。
 人の相談を受けておりますと、自己中心的なわがまま勝手な人ほどさまざまな悩みを持ち、苦しみを持っていることがわかりました。夫婦の間はもちろんのこと、親子はバラバラで仕事も思うようにいかず、それで悩まれるわけです。
 ある人は、地位や名声を得て経済的にはなに不自由なかったのですが、その能力を差引いた心の状態は怒りや欲望に燃え、気ままに過ごしてきましたので、年中家庭内のトラブルが絶えず、とうとう家族と別れ、一人暮らしをはじめました。心の持ち方がその人を孤独にさせ、運命をかえていったのです。
 健康についても同じです。食べ物や体質遺伝、過労などが病気をつくりますが、心因性による病気もまた多いのです。ノイローゼなどの精神病をはじめ、胃腸障害、眼病、神経痛、リウマチ、腎臓病、糖尿病など数えあげたらきりがありません。
 こうした諸器管は、それぞれ固有の細胞意識を持ち、その持ち場を守っていますが、その人の心の作用がそれぞれの細胞意識に反応をあたえ、不調和な思いが強ければ、その思いを受けてその活動を弱めることになるわけです。つまり病気という症状を呈します。
 もちろん、人の体はそれぞれ体質遺伝があってみなちがいますが、要するに、その人の体にとっていちばん弱いところが発病することになります。怒りっぽい人でも胃腸病になる人もあれぼ、糖尿病にかかる人もいるわけです。
 こういうことから、あるお医者さんは病気の治療は精神衛生にあるとして、科学治療と同時に精神治療に重点をおいて、多大な効果を収めている方もあるほどです。
 私たちは、現象界という物の世界にかこまれ生きていますが、現象界をよくみると、それは波動としてとらえられ、その波動の塊りが、いっときその場所に集中固定して物を形造っているので、時が経つとその塊りは雲散霧消し、そこにとどまることはないものです。
 すべての物は、エネルギーの集中固定化されたものであり、それをあると見るかないと見るかによって、私たちの心のあり方は180度ちがってくるわけです。ブッダは、この世の一切のものは「諸行無常」であって、常ならざるものとみて、執着のむなしさを強調します。
 ではこの世にあるものはなにか。それは各人の心であり、魂であって、こうした魂や心が私たちの五体のなかに生命を宿しているので、諸々の現象を認知しているのです。
 
 
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