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 ホピ的感覚
小原田泰久・著 KKベストセラーズ
 
 
 精神世界とのつき合い方

 精神世界がブームになったのは、アメリカでのニューエイジの動きがきっかけだった。精神世界をファッションとしてとらえ、ロマンチックなものとして訴えることによって、まずは若い女性に受け入れられ、それが男女関係なく若い層を中心に広がっていったのである。
 しかし、さきほど述べたように、ファッションやロマンで語れるほど精神世界は薄っぺらなものではないことは、よくわかっていただけたと思う。私たちがすべてだと思ってきた「目に見える世界」をも簡単にひっくり返してしまえるほどの大きなエネルギーを、精神世界は秘めているのである。気楽な気持ちで触れたりすると、とんでもない大きな火傷をしてしまったりする。こっくりさん遊びで高校生が精神に異常をきたしてしまったと新聞で読んだことがあるが、見えない世界と無防備に遊んでいると、逆にいたずら好きな霊に遊ばれてしまうことになってしまう。
 氣の治療でも、たくさんの人を治療すればするほど自分の具合が悪くなってしまう人がいる。氣の世界では、病気を生み出すものを邪氣といっているが、治療によって病人が持っている邪氣を受けてしまうと、自分も具合が悪くなったりする。
 正しく氣を扱っていないと邪氣を受けてしまう。
 氣の治療の専門家である中川氏が言うには、「自分が治療してやっていると思うと邪氣を受ける。自分は身体を貸しているだけで、治療は神様がやってくれていると思っていれば邪氣は受けない」そうである。確かに、精神世界は自分をなくしたところにあるわけだから、「自分が」という気持ちは最初に捨てなければいけないことだろう。
 自分を捨てることなく、つまり強い我を持ったまま精神世界に触れると、いつの間にか邪氣に入り込まれてしまう。邪氣は、病気や不幸をもたらす。
 例えば、氣功師になりたい、超能力者になりたい、前世を知りたい、霊と交信したいという思いが、もうそのまま我であり、邪氣を呼び込む。それだけならまだ救われるかもしれないが、超能力者になって有名になりたい、お金持ちになりたいといった意識が入ってくると、もうこれは我の塊で、精神世界とはとても接することのできないレペルだといえるだろう。
 そういった意識で氣や霊的なことに関心を持つと、必ず邪氣が忍び寄ってきて、一時的にはいい目を見させてくれるかもしれないが、最終的には邪氣に振り回されて、破滅するしかなくなってしまう。
 神様は、必要なら私たちの身体を使ってくれる。自分から、わざわざ超能力者になる修行をする必要などまったくないのだ。何もしなくても、必要なら超能力が授かるし、必要なければ授からない。そういった気持ちでいることが、邪氣を寄せつけないコツである。重要なのは、神様にお任せする気持ちであろう。精神世界とつき合うには、その気持ちを忘れてはいけないのである。
 今という時代は、精神世界なしには語ることはできない。多かれ少なかれ、誰もが精神世界と接しながら生きていかなければならなくなっている。それだけに、十分な防備をしてつき合わなければ、せっかくいい教えを受けているにもかかわらず、不幸ばかり背負い込むということにもなりかねないのである。
 
 
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