霊的な世界に興味を持つことの危うさ
霊能力、超(常)能力、潜在能力開発、霊媒(チャネリング)、振り子占い(フーチ)、自動書記、瞑想、内観、各種のパワー療法、ヒーリング、ニューエイジ・グッズ等々、まさに今、精神世界は「百花繚乱」の観があります。そして、一昔前であれば問題にされなかったであろう人たちがテレビに出演し、または雑誌の表紙を飾り、大きな組織を作っていく現代です。もしあなたが、今ここに挙げたような事柄に興味を持っているとしたら、多かれ少なかれ注意していただきたいのです。
さて、どのような人たちが霊的なことに関心を持つようになるのでしょうか。一言で申し上げれば、邪神界や魔界の霊たちの餌食になってしまった人たち、つまり彼らに見込まれて憑依されてしまった人たちが、霊的な現象にあこがれるようになるのです。
そして、霊的なことに関心を持っているから「魔」に入られるのではなく、すでにやられてしまっているからそのようなことに目が行き、心が向くようになるのです。
このような世の中になってきますと、「我こそが救世主なり」等といいだす人が、次から次へと出てくるものです。しかしながら、このような言葉こそがおそれ多くも、ちゃっかり正神になりすました偽神(邪神、魔)たちの常套文句なのです。
“本当の信念”とは力を抜くことである。力みは魔に通じる
ここで、いわゆる「潜在能力開発」「イメージ・コントロール」「自己啓発」について、少しお話しします。
このような書籍もいろいろ出ているようですが、これは、超(常)能力、霊能力ブームと並んで、「魔界」が人間世界に送り込んだ「教え」なのです。しかしこれもまことしやかに作られていますので、普通は、どこが誤りなのか気づくことはできないでしょう。あのような勉強をしますと、必ず信念ということを教わります。強い信念を持ち続けなさい……と。
しかし、本当の信念とは力を抜くことなのです。人間は、力みを捨てて、すべてを神様にお任せしなくてはならないのに、人間の力で何とかしようと教えるわけですから、ますます力が入って、神様から遠く離れてしまうのです。
そして目標を立てて、信念を持ってイメージすれば、それらはすべて「念」「自我」「呪い」「業」ですから、そのようなことをやっている人のところへは「類は友を呼ぶ」の法則によって、「待ってました」とばかりに「魔」が入ってくるのです。そして「魔」が入ってくれば、もしかしたらその力で願いごとが一時的に叶うかもしれないけれども、決してその人は幸せにはなれないし、霊的に取り返しのつかないことになってしまうのです。
毎日をよりよく生きるための三つの指針
大体目標というものは、私たちの数ある過去世のすべてをお見通しである守護霊様が立てた上で私たちを昼夜導いて下さっているのであって、明日のことさえわからない私たち肉体人間が勝手に立ててはいけないのです。立ててもその通りにはなりません。
ひたすら日々の生活をまっとうし、自分の向上を心掛けていく――これが、人間の務めなのです。明日がある、という思い上がりがあるから先々の目標を立てるのであって、毎日、“一日一生”と思って生きていれば、そんなものは要らないのです。
そして諸々の力みを捨てる代わりに、私たちが今しなくてはならないことは、次の三つです。
(1) すべてをありのままに受け止めて、世の中に、悪いことというものが存在しないことを理解する――全肯定。
(2) すべてのことが良いことだということがわかれば、すべてに感謝できる――全感謝。
(3) すべてに感謝できるようになれば、それはすでにすべてを天に任せた心境――全托。
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