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 心とカラダと運命
徳久克己・著 日本教文社
 
 
 心をきめるもの

 「心」が「行動」となりますと、その行動によって、自分の環境をつくります。
自分の環境は、自分の心でつくったものだ、ということができます。
 今までは、「心」が「環境」にあらわれる、ということばかり申してきましたが、心理学者のジェイムズは、
 「楽しいから笑う、というが、逆に、笑えば楽しくなるのだ」
 と説いています。
 これは、「心」が「形」に現れるのも事実ですが、逆に、
「形」が「心」に影響する、ということも事実だ、というのです。楽しいから笑うのは当たり前のことですが、笑っていると楽しくなるというのも、たしかにほんとうです。
 きちっと坐れば、心もきちっとしますし、だらしなく坐れば、心もでれっとします。ネマキを着れば、なんとなく寝ようという気になるので、ネマキを着て散歩しようという気にはなりません。訪問着を着れば、どこかを訪問する気になりますが、訪問着を着て便所掃除をしようとは思いません。このように、確かに形は心に影響を与えます。

 
心で認めたとおりに

 ですから、心に思ったことが形に現れ、現れたことを心で認めると、それがまた形に現れ、それをまた心で認めて、それがまた形に現れる、ということになり、同じことを繰り返す――これを習慣といいます。そしてこの習慣が、
 「私はこんな運命だ」
 「私は頭が悪いのだ」
 「私はカラダが弱いのだ」
 というような、固定観念を作り上げてしまい、それがどうにもらならない運命であるかのように思われがちなのです。MRA(道徳再武装)の創始者フランク・ブックマンは、
 「思いは行動となり、行動は習癖を生み、習癖は品性をつくり、品性は運命を決定する」
 と言っています。
 『生命の實相』(谷口雅治・著)には、
 「認めたもののみが、存在に入る」
 という根本真理が説かれています。これこそ運命を決定する最も大切な真理のひとつです。
 たとえば、「私は不幸だ」と思えば、不幸が出てきます。その不幸を見て、
 「やっぱり私は不幸だ」
 と思えば、またその「不幸」を心で認めたのですから、形に出てくるのです。人間が環境に支配されるのは、その環境を認めるからです。
 「現実に私は不幸なのだから、不幸と思い、不幸である現実を認めるのはあたりまえのことではないか?」
 こう言うひともいますが、不幸を不幸と認めていては、またそれが現実となって現れてきて、心と環境との悪循環は、いつまでたっても断ち切れません。
 ですから、今の運命を切り抜けて新しい運命をつくろうと思うなら、
 「認めたもののみが、存在に入る」
 ということを確認して応用することが、大切なカギとなるのです。
 
 
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