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 佐藤初女さん、
こころのメッセージ
小原田泰久・著 経済界
 
 
 「神様は、身近で、一緒にいる感じですね。特別ではなくて。祈ったからと言って助けてくれる存在ではありません。試練も神様が与えてくれる。それをどうとらえるかは本人次第。結局は、自分がどうしたいのかが一番です」

 祈りというと、たとえばお正月の初詣のとき、神殿に向かってパンパンと柏手を打って、「今年こそ結婚できますように」「お金持ちになれますように」と、お願いすることだと思っている人が多いようです。
 果たして、そんな行為が本当に幸運をもたらしてくれるのでしょうか。プロ野球のキャンプが始まると、どこの球団もキャンプ地の神社で必勝祈願をします。全球団が「今年こそ優勝を」とお願いをしているわけです。お祈りごとがすべてかなうとすると、全部の球団が優勝しなければなりません。それとも、強いチームがあったり弱いチームがあったりするのは、祈願した神様の力関係でしょうか。
 初女さんという人は、だれよりも神を敬い、神の意思に沿って生きていると、私は思っています。それでも、初女さんの身にも、都合の悪いこと、悲しいこと、辛いことは起こってきます。息子さんが50歳の若さで亡くなりました。悲しい出来事です。実際、初女さんも深い悲しみの中で、最愛の息子さんを見送ったことでしょう。
 だったら、初女さんがもっと信心深くなれば、悲しいことは起こらないのかというと、そういうことでもありません。そもそも、自分に都合の悪いことが起きないようにと願うのは、人間のエゴです。
 ある人が言いました。私は神様がいるなんて信じません。なぜなら、私の人生は不幸の連続だからです。もし、神様がいれば、こんなに辛い目に私を合わせるはずがありません。
 初女さんは言いました。
 「そうじゃないですよ。試練も神様が与えてくれています」
 父親の破産、自分自身の大病、ご主人や息子さんとの死別、ほかにもたくさんの苦難を乗り越えてきた初女さんが言うからこそ、とても重みを感じる言葉です。
 「底まで行けば自然に浮かび上がってくる」という体験をし、初女さんはそのたびに、起こったことを真正面から受け止めることができる感性を身につけてきたような気がします。辛く悲しい出来事は、その人をより強くしてくれます。成長させてくれます。
 雪が溶けるとたくさんの植物が待ちかねたように芽を出します。彼らは雪の下で寒い冬を耐えてきました。その数カ月が、春になったときに一気に伸びる生命力を蓄えさせたのです。辛いことが起こったときに、「嫌だ、嫌だ」と逃げ回っていては、せっかくの成長のチャンスを逃してしまいます。成長しないと、また同じことが起こってきます。それからも逃げていると、また起こります。それが、「不幸が連続して起こる」という現象です。だれが悪いわけではありません。すべては自分が引き寄せたことなのです。
 初女さんの素晴らしさは、不幸を喜びにつなげることができるということです。病を通して食の大切さを知り、それを行動で示すうちに、たくさんの人が救われていきます。身内を亡くした体験は、同じような境遇の人に、その事実をしっかりと受け止めさせ、さらに一歩を踏み出す勇気を与えます。
 思いつめたしかめっ面が明るい笑顔に変わっていく。これが初女さんの喜びにもつながっていくのです。すんだことをくよくよと考え、いつまでも悲しみに暮れていては、こんな喜びは手に入れることができません。
 毎日毎日、晴れた日が続いたらどうでしょう。晴れるのが当たり前で、太陽を見られる喜びなど感じることができません。雨が何日も続いて、やっと雲が切れて、そのすき間からお日様の光がカーテンのように降りてきたとき、すごく神々しいものを感じます。日の光を受けるしあわせを、体いっぱいに感じることができます。その喜び、しあわせを知っている人は、嵐であろうと竜巻であろうと、受け入れることができるはずです。
 どんな人にも、例外なく、悲しいこと、辛いことは訪れます。生きているかぎり、それは避けられないことです。自分が好き好んで選んだわけではないかもしれません。しかし、その後、ずっと落ち込んで過ごすか、すぐに立ち直るかは、自分で選べることです。
 都合の悪いことが起こらないようにと願うことにエネルギーを費やすのではなく、歓迎したくない出来事が起こったときに、どういう受け止め方をして、どう行動するかが、私たちに課せられた重要なテーマです。そして、そんな生き方ができたとき、喜びや悲しみ、しあわせは、ひんぱんに私たちのもとを訪れてくれるようになるのです。
 
 
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